第29話 貧民街の開拓に向けて

 ああ、眠い。今日は授業、さぼっちゃおうかしら。


「ふわぁー」


 昨夜、遅くまで絵を描いていた私は、欠伸あくびを連発中だ。何を描いていたかというと、パン屋のイメージ画。


 実は昨日、私のパンを食べたお兄様がパン屋を開くことに賛成してくれて、資金を援助すると言ってくれたのだ。


 きっとルバインも、賛成してくれるはずよね。


 そう確信した私は、早々にプロジェクト開始に向け、動き出したというわけで。


「レティシア様、眠気覚ましにどうぞ」

 ルーシーがコーヒーを淹れてくれる。


「ありがとう。ルーシー、私が学園に行っている間に、これをドルフさんに届けてもらえる」


 白地の紙には、ログハウス風の一階建て家が描かれている。内装は、右側がパンの販売コーナーで、左側がカフェスペース。

 カウンターの後ろは工房スペースで、パンを捏ねる台や石窯を設置する予定だ。


「素敵ですね。レティシア様のパン屋を建てられるなんて、父はなんて光栄なのでしょう」


 私の拙い絵ではあったけど、ルーシーは目を輝かせている。


「大袈裟ね、私のほうこそ、ドルフさんに建ててもらえるなんて幸運だわ」


 食後の一時を、二人で和んでいるときだった。賊でも押し入って来たのかと思うほど、荒々しくドアが叩かれる。


「な、何事なの⁉」

 私は肩をビクつかせ、ドアを凝視する。


「レティシア! 起きてるなら開けてくれ」

 この声はルバインだ。


 なんなのよ、朝から。びっくりするじゃないの。


 ため息交じりにルーシーに目配せすると、頷きドアに向かう。


「おい、どんな魔法を使ったんだ。教えてくれ!」


 ドアが開くや否や、ルバインが駆け寄って来て、私が座っているテーブルを両手でバンと派手に叩く。


「もう、朝から騒がしいわね。ティータイムが台無しだわ。ちょっと落ち着いたらどう」


「これが落ち着いていられるか。俺はあんな美味うまいパン、食べたことがない。使ったのは小麦粉なんだろう? 同じ材料なのに、なぜあんなにも違うんだ。魔法だな、魔法を使ったとしか考えられない」


 ルバインは興奮していて、「美味かった」と連発している。


 パン職人冥利に尽きるけれど、あれはまだ私的には妥協して及第点といったところで。


「ちょっとノーラン、どうにかして」


 さすがのノーランも、やれやれといった感じだったけれど、私が睨みを利かせると、仕方がないというように頷いた。


「ルバイン殿下、お静かに──」

「ひぃ!」


 ノーランの囁きで、あれほど勢いのあったルバインが、空気の抜けた風船みたいに腑抜けてしまった。


 キャー、そんな手を使うの、ノーラン。いい、いいわー、ご馳走様~。


 ノーランは何をしたかというと、後ろからルバインを抱きしめて耳元で囁いたあと、「ふ~」っと息を吹きかけたのだ。


「殿下、座りましょうね」


 子どもをあやすようなノーランの促しに、頬を朱に染めたルバインが、「あぁ」としおらしく従っている。


 随分と手なずけたものね。恐るべし、ノーラン。


「落ち着いたようで何よりですわ。それで? 魔法がどうこう言っていたけれど……」


 ルバインの前にコーヒーが出されたところで話しを戻す。


「そ、そうだ。どんな魔法を使って、あんなに美味いパンを作ったんだ」

「ひとつお忘れのようですが、私は魔法なんて使えませんけど」


 澄まし顔で言うと、ルバインは身体を硬直させた。


 これは……失念していたー! っていう石化せきかかな?


「な、ならば、どうやってあんなにやわらかなパンを──」


 あ、復活した。まあ、ここでのパンの常識からすれば、天地がひっくり返るほどの衝撃なのかもね。


「魔法ではないですが、秘密はあります。いずれは教えて差し上げますから、パン屋の件、よろしくお願いしますね」


 そう言って、私はイメージ画を見せる。


「ほう、いいんじゃないか。実はな、あのパンを国王にも食べていただいたんだ。そうしたら、大層気に入られてな。費用は惜しまないから、また作ってほしいと言っておられた」


 国王お墨付きのパン屋だなんて、最高だわ!


「では早々に、貧民街の開拓を始めましょう。そのためには、マーカスの力が必要不可欠です。協力を仰げますか?」

「ああ、任せておけ」


 となって数日後──


「ルバイン殿下、おはようございます。──あの、マーカスはどこに?」

 

 待ち合わせ場所の正門にやって来た私は、そこにマーカスの姿がないことに気づき疑問を口にする。先に馬車に乗り込んでいるのかと思ったけど、それも違うようで。


「それが……ライナスが妙なちゃちゃを入れてきてだな」


 聞けば今回の件に私が関わっていることを知り、利用されることはないとマーカスを説き伏せたという。


 余計なことをしてくれるわね、ライナス。


 彼には一番嫌われているという自覚はある。だけど今回のことは、苦しんでいる民のためでもあるし、国のためでもあるというのに。


 なんとか手を打たねば。今後も何かと、彼は計画の妨げになりそうだ。


 ライナスも、悪い人間ではない。どちらかといえば、一本気のある青年だ。彼には彼の正義があるのもわかる。ただ……


 単純なあげく、思い込みが激しいのよね。


 困った。ライナスにはどうやったら、好感を持ってもらえるのか。まあ、今の段階で私がライナスに好かれる要素はどこにもないし、好かれるようなことを何一つしていないんだけど。


 ということで、ライナスのことは後回しにしよう。


 何せ今日は、これから貧民街に赴くことになっている。だから今は、マーカスをどうするかが先決だ。


 後方に広がる雑木林を開拓して、放牧区域にチーズやバターを作る建て家区域の整地。それから農作物のための畑区域。そして私のパン屋の着工。やることが盛りだくさんなのに、マーカスがいないとなにも始まらない。


 こうなったら、あの台詞を使うしかない。

 ゲームの中で、マーカスがディアナに惚れる切っかけになる言葉を、私は知っている。


 ふ、ふ、ふ……首を洗って待ってなさい、マーカス。私が落としてあげるから!

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