第27話 和やかな一時
ルーシーの家に着くと早々に、私は小麦粉を二キロづつに分け、水分量を変えながらパン生地を捏ねては焼くことを繰り返していた。
「今度のパンはどう?」
三度目の挑戦で焼き上がったパンを、お兄様とルーシーに試食してもらう。
「レティシア様、とても美味しいです。焼く温度で、随分と変わるのですね」
ルーシーは感嘆の声をあげ、パンを味わっている。その姿に、私の期待感も高まりパンを口にしてみる。
「う~ん、まだまだだわ。しっとり感が足りないのよね」
もちろん最初に焼いたパンに比べれば、相当よくなっているけれど。
やっぱり、問題は石窯なのかな。
普通の大きなドーム型の石窯は、薪で内部を温め、その後は薪を掻き出して余熱でパンを焼くのだけど、ルーシーの家のものは四角い小型の石窯で、少し勝手が違っていた。
薪で窯の内部を温めるまでは同じなのだが、薪を残しつつ温度の調節をしながら焼くというもので、一度目は温度が高すぎて焦げてしまった。二度目は低すぎて、焼き色があまりつかず……
そして三度目は、一定の温度を保てるように、熱を適度に逃がしながらも火を絶やさずに焼いてみたところ、一番うまくいった。
実は薪と合わせて使ったその火、煙が出ることなく熱を放つよう、ルバインに改良してもらった発火石によるもので。
パンを焼くために必要だと言うと、ルバインは快く改良に取り組んでくれた。貧民街の発展のために知恵を出し合った私たちは、今ではすっかり同志のような関係になっている。
「そうか? 俺には何が気に入らないのかさっぱりだ。こんなに
お兄様は私の知られざる一面に、ただただ感心していた。というよりも、感極まっている。そういう私も、お兄様の知られざる一面に驚いているが。
お兄様って、TPOに合わせて呼称を「私」と「俺」に使い分けていたのね。
「よし、もう一度挑戦するわ」
四度目──今日のところは最後の挑戦になる。というのも、酵母菌ちゃんが底をついてしまうから。なんて、実のところは、私の体力が持ちそうになかった。
だから今度こそ、納得のいくパンに焼き上げないと!
私は気持ちを新たに作業に取りかかる。
まずは小麦粉の入った器に、砂糖と塩を入れて混ぜたあと、酵母菌ちゃんと水を加えて丁寧に馴染ませて──
木べらだと、やっぱりやりにくいのよね。
あるものを使うしかないのだけど、その内にパン用の道具を作ってもらおう。
次はバターね。
室温に戻しておいたものを加え、ひとかたまりになるよう粉をかき寄せては押し込んでいく。
分量が多いときは、バターを火にかけて溶かしたものを加えることもあるけれど。
う~ん、もう少し水分量が欲しいかも。
手で触った感触でそう判断した私は、少しだけ水を足した。
うん、これよ! いい感じだわ。
次は器から生地を取り出し板に乗せ、べたつきが取れるまで転がすように全体を馴染ませる。
さあ、ここからだわ。いくわよ!
生地がなめらかでしっとりした感触になるまで、捏ね続けなければならない。とはいっても、力任せではダメなのだ。なめらかな生地の表面をやぶることになってしまうから。
う……腕に──力が入らなくなってきたわ。
たったの二キロを四度捏ねただけで、この有様だなんてショックだ。前世では、一度に四キロを捏ねることもあったというのに。
やはりこの細腕では、グルテンができるまでの叩きのばしはキツい。もっと筋トレしなければ。
あと……もう少し──
なんとしても、これを仕上げたい。
額に汗を浮かべ、私は最後の力を振り絞る。
「はぁー、できた」
徐々にではあるけど、感覚を取り戻せているという実感が湧いてくる。肉体は違うのに、不思議だ。魂に刻まれた記憶は、消えないということだろうか。
「レティシア様、お茶を用意してあります」
生地を発酵させている間は、休憩しておかないとね。
生地を押し切り丸めたあと、石窯に齧り付いていなければならない。焼き色に目を光らせ、温度調節は勘に頼るしか今は手立てがないからだ。
一旦台所を離れ、リビングのテーブルにいくと、そこには私が焼きまくったパンが三つの大皿に山盛りになっていた。
「いくらなんでも、食べきれないわよね。これは特に……」
最初に焼いたものは、少し焦げていて表面も硬い。
「あのおじさんのパンより美味しいよ!」
イアンはそう言ってくれるが、私的には失敗作だ。
でも──
「無駄にしてはいけないわよね」
自分で食べよう。そう思い手を伸ばすと、「友だちに食べさせてあげてもいい?」とイアンが言う。
え、これを? 美味しいとは言えないけど……喜んでくれる人がいるなら。
「いいわよ。私のほうこそ、食べてもらえるなんて嬉しいわ。次はもっと美味しいパンをご馳走するからって伝えてくれる?」
「はい、レティシア様! じゃあ、行ってきます」
「待って、イアン。籠に移してあげるから」
皿のまま持って出ようとするイアンを引き留め、ルーシーが支度をしてやっている。
「レティシア、大丈夫か? 随時と疲れて見えるが」
お兄様が顔を覗き込んでくる。
「正直、もうくたくたです。だけどもうひと頑張りできますわ」
「レティシア……まさかあのお前が、こんな頑張り屋に──。今日は驚かされてばかりだ。どれも嬉しい驚きだがな」
お兄様は泣き笑いのような表情で、私を見つめている。なんだかそれがいたたまれなくなってきて、エセルの名前を出すことにした。
「そ、そうだ、お兄様。一番美味しく焼けたパン、エセルにも食べてほしいのだけど、届けてもらえますか? 私だと……ほら、やっぱりまだ、わだかまりがあると思うので」
合わせてルバインへのパンも言付けたいと伝える。
「ああ、任せてくれ。なあレティシア、可能なら、お父様とお母様の分もいいだろうか」
きっと喜ぶはずだからと。
私って、随分と心配かけていたのよね。
「もちろんよ。パン屋を開いたら、お父様とお母様を招待するわ」
「そうだな、私も駆けつけよう」
悪役令嬢時代には感じたことのない、和やかな一時だった。
そして四度目の挑戦で焼き上がったパンは一番美味しく、歓声の上がる賑やかな一時に変わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます