第26話 私は化け物か!

「わっ‼ 違う、これは──」

「え──」


 二人は顔を見合わせ、同時に声を上げた。


「ジェイク……様」


 エセルは目を見開き、声を震わせお兄様の名前を口にする。


「いや、その……久しぶりだね、エセル」

 

 お兄様の目が泳いでいる。

 これは久しぶりなどではなさそうだ。きっと、しょっちゅうエセルを覗き見ていたに違いない。


「あら、お二人は知り合いだったのね。でも変ね〜。どうして先ほどは、愛おしそうに窓から見つめていたのかしら。あ、片思いなの? それとも振られたのかしら」


 私の暴露に、二人の顔がみるみるうちに赤くなっていく。


「き、君は何を言っている。私は、私は……別に──」


 お兄様はもごもごと言葉を濁らせ、終いには黙り込んでしまう。エセルもそんなお兄様を横目で窺うものの、何も口にしない。


 まったく、二人とも奥手なんだから。


「ねえ、もしあなたが付きまとわれて迷惑しているなら、私がこの男にビシッと言ってあげるわよ」

「い、いえ──迷惑とか、そのようなことは……」


 すぐに否定するものの、エセルは肩をすぼめ、もじもじしている。


「な〜んだ、両思いなの? それとも、この男が煮え切らないとか? 情けないわね、しっかり捕まえなさいよ」


「簡単に言ってくれる。そうできたら、どんなにいいか──」


 お兄様の目が、切なげにエセルに向けられる。


「そうできない理由が、何かあるというの? それはあなたの愛でも、どうしようもないこと?」


「まあな──切ることのできない縁もある。そのせいで、エセルに辛い思いをさせ続けるわけにはいかない」


 やっぱり私の存在がネックなのよね。


 でもどうしてだろう。涙を呑んでエセルを諦めたのに、お兄様は私を邪険にしない。


 それほどお兄様にとって、血縁は特別だということ? 


 その気持ちを汲んで、エセルは自ら身を引いたのかもしれない。


「その障害がなくなれば、二人はお付き合いしたいといことかしら?」


 私はあえて、軽い調子で投げかける。そのほうが、本音が零れる気がして。


「そうだな。なくなれば、結婚を申し込みたいくらいだ。だが無理だ。私には、あの子を見捨てることなどできない」


 あの子とは、私のこと──


 な、なんていい人なの。お兄様、優しすぎます。


 私が同じ立場だったら、間違いなく性悪な妹なんて見捨てている。


「結婚したいって言ってるけど、あなたはどうなの」


 エセルの気持ちはどうなのか。お兄様の一方的な未練だったら困る。


「それは……私だって──」

 お兄様を見つめるエセルの目が、潤み始める。


 決まりね、気が早いけど結婚おめでとう!


 私はおもむろにポーチからハンカチを取り出し、顔に散らしたそばかすを拭き取る。


「ジェイクお兄様、その袋、カウンターにでも置いたらいかが? 手が塞がっていては、エセルを抱きしめられないでしょう」


 そう言って帽子を脱ぐと、紺藍の髪がぱさりと落ち背中で揺れる。


「レ、レレ……レティシア⁉ なぜそんな格好で──」

「も、申し訳ございません」


 驚愕の顔のお兄様と、なぜか謝るエセル。


 私は化け物か! と突っ込みたい。


「エセル、あのときは酷いことをたくさんして、ごめんなさい。お兄様、大切な人を傷つけてしまってごめんなさい。もう邪魔はしないから、二人で幸せになって」


 謝罪を述べると、お兄様が自分の頬を抓り始める。


 ちょっと! 夢じゃないから。気持ちはわかるけど……


 ここはちょい悪レティシアを出さないと、信じてもらえないのかもしれない。

 ならば──


「その代わりに、お願いしたいことがあるの」

「お願いしたいこと……」


 お兄様が身構える。私が殊勝しゅしょうなことを言うからには、相応の条件があるはず。そう目が訴えている。


「私、パン屋を開きたいの。だからお兄様、協力してくださいね。エセルには、材料の調達をしてもらうわよ」


 私は淡々と述べる。はっきりいって偉そうで、半ば強制的な物言いだ。人にものを頼む態度とはかけ離れていて、悪役令嬢レティシアっぽいと思う。


「すまないが、言っている意味がわからない。正気か、レティシア。なぜパン屋なんだ? 経営がしたいなら、もっと他に──」

 

「いいえ。私は経営をしたいのではなく、作り手。私はパンを作りたいんです!」


 心底理解できない、そう言いたげなお兄様の言葉を遮り、私は思いを伝える。


 できれば事務的なことは、誰かにお願いしたい。となると、エセルかルーシーかな? しっかりしているし。


「は……? ますます理解できない。レティシアは料理などしたことがないだろう。揶揄っているのか」

「揶揄ってなどいません。信じられないのも当然ですけど……そうだ、お兄様にも食べてもらえばいいんだわ」


 ルーシーに、お兄様も家にお邪魔してもいいかと尋ねると、どうぞと頷いてくれた。


「エセル、おいくら?」

「は、はい。一万六千ニ百五十ルフェです」

「ルーシー、これで」


 ルーシーから木箱を受け取り、会計を任せる。


「お兄様、お時間は大丈夫ですよね」

 ここにいるということは、仕事が休みなのだろう。


「ああ、夕刻までなら」

 聞けば、王城の夜会に招かれているとか。

  

 お兄様は跡継ぎとして、お父様から学んでいる最中だから、夜会もその一貫かもしれない。


 それならば、今日のパンの出来次第で、ルバインに届けてもらうのはどうだろう。本当は焼きたてを食べてほしいところだけど、冷めても美味しいほうがインパクトがある気もする。


「では、時間の許す限り、お付き合いくださいね、お兄様!」


 にこりと微笑むと、お兄様がぽかんと口を開ける。


 またこの反応。クリストフといい、お兄様といい、私が笑うと虚を突かれるらしい。


「お兄様、そんなマヌケなお顔をしていると、エセルに呆れられますよ」


 途端にお兄様が表情を引き締める。

 その様子が可笑しかったのか、エセルがクスクスと笑った。


 それは穏やかで、幸せそうな笑みだった。

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