第21話 悪役イベント

 白いテーブルクロスの上には、仔羊のハーブソテーやオニオンスープ。それから温野菜などが並んでいた。もちろん見慣れた丸いパンも。


「うわ~、凄いよ! こんなご馳走、見たことない」

「エイミーも!」


 テーブルに着いた二人は、待ちきれないとばかりに足をぶらぶらさせ忙しない。

 

「二人とも、静かに」

「いいのよ、ルーシー。子どもは元気でなくては」


 弱り顔のルーシーに、気にすることはないと笑顔を向ける。


「ですが、ここまでしていただくのはなんとも……」

 居心地が悪いのか、ドルフさんも所在なさげだ。


 確かに視線はうるさいかもね。


 私たちは今、寮の食堂に来ていた。五人でテーブルを囲むとなると、部屋のテーブルではちょっと窮屈だったからだ。

 とはいえ、当然昼時ともなると、他の寮生もいるわけで。


「私が一緒にいるのだから、誰も何も言ってはこないわ。だから堂々と食事を楽しみましょう。それにドルフさんには頼み事をするのだから、これも報酬のひとつと思ってちょうだい。さあ、いただきましょう」


 それにこの後は、ちょっとした悪役イベントが待っている。


「イアン、エイミー、たくさん食べてね」

「「は~い! いただきます」」

 笑顔の弾ける弟妹に、私の口元も綻ぶ。


「美味しい! 父ちゃん、これ、すっごく美味しいよ。父ちゃんも食べてみてよ」


 仔羊のハーブソテーを頬張るイアンは、満面の笑みを浮かべている。


「ああ、そうだな。父ちゃんもいただくよ」


 最初こそ萎縮いしゅくしていたドルフさんだったけど、子どもたちの笑顔に釣られ、次第にリラックスしてきたようだ。


「あの、レティシア様。本当に、どう感謝すればいいのか──家族のこんな笑顔、何年も見ていなくて……」

 

 私の隣に座っているルーシーは、感極まり目を潤ませている。


「もー、ルーシーったら。何をしんみりとしているの。さあ、あなたも遠慮なんかしないで食べて」


 私がこれまでルーシーにしてきたことを思えば、こんなことくらいでは罪滅ぼしにもなっていない。

  

 これは贖罪しょくざいでもあるの。だからそんなに感謝されると、いたたまれないわ。お願い、私がお邪魔虫だけど、一家団欒いっかだんらんだと思って楽しんでね。


 口には出さないけれど、胸中はお詫びの気持ちでいっぱいだ。


「はい、いただきます」

 

 目尻に溜まった涙を、ルーシーは人差し指で拭い朗らかな笑みを浮かべるのだった。


 ∞∞∞


 そしてほどよくテーブルから料理が消えたころ。


「「ごちそうさまでした!」」

 イアンとエイミーは満足げな顔だ。


「ルーシー、もう少ししたら、来客があるの。その間、子どもたちはあなたの部屋にいてもらえないかしら」

「でしたら我々は引き上げます」


 ドルフさんが腰を上げようとする。


「待って、ドルフさんにはまだ話しの続きがあるの。だから私の部屋に移りましょう」

 そう言うと、ドルフさんは頷き杖を手にする。


「先に部屋に戻っているわね。ルーシーは弟妹たちと一緒にいてもいいわよ」

「いいえ、頃合いを見てお部屋に伺います」


 ルーシーたちと別れ、私はドルフさんと連れだって自室に戻った。


「どうぞ、座ってください」

 椅子を勧め、私は丸テーブルを挟んだその向かい側に腰を下ろす。


 少し前振りはしておいたほうがいいわよね。


 ここへ来る面々に、ドルフさんは狼狽えるだろう。

 とそこで、私はあることに気づく。


 ドルフさんとクリストフって、面識があるんだった! どうしよう、覚えてるわよね、あれから一週間くらいしか経ってないんだから。でもでも、いちいち覚えてないんじゃない? だって王子様よ? 一庶民なんて皆、同じ顔に見えるかもだし……


 私がやきもきしていると、「あの、お話しというのは?」とドルフさんに問いかけられる。


「ドルフさん! これから起こることに驚くとは思うけど、私がいいと言うまで一言も喋らないで!」


 前のめりになり、勢い込んで一気に話す。そんな私の無茶振りに、ドルフさんは目を見開きぎょっとするものの、理由も聞かず了承してくれた。


 そして数十分後、どこで鉢合わせしたのか、顔面蒼白のルーシーがディアナたちを案内してくる。


 あ、もしかして、殴り込みだと思ってる?


 この面子では、そう勘違いされても仕方ないけれど。


「来てやったぞ。それで、どこに重傷人がいるんだ?」


 私の部屋を見渡したライナスが、やはり嘘だったのかと言わんばかりに問うてくる。ディアナも困り顔だ。そして招いた覚えのないルバインとノーランは、腕を組み澄まし顔で壁際に立っている。クリストフだけは、ノーリアクションだ。


わめかないでいただける。まったくですこと。目の前にいるでしょう、どこに目がついているのかしら」

 

 私は椅子から立ち上がり、腕を組み悪役っぽくあざけるように言ってみる。

 

「茶番に付き合っている暇はない。帰ろう、ディアナ」


 ドルフさんをちらりと見たものの、ライナスはディアナの手を取りドアに向かって歩き出す。


 短気すぎよ、ライナス。帰らないで! 煽ったのは私だけど、なんて言って引き留めたらいいのーー!


「ライナス、早計だ」

 内心で焦っていると、静観していたクリストフが口を開いた。


「早計とは……どういうことでしょう、クリストフ殿下」

 戸惑いながらも、ライナスはディアナの手を離し、戻ってくる。


 よ、よかった~。でもクリストフのこの反応って、ドルフさんのこと、覚えているんじゃあ……


 クリストフのことは気になるけど、今はそれどころではない。


「侯爵家の嫡男ともあろうお方が、なんということでしょう。洞察力を磨いてはいかが? 目に見える傷だけが、怪我ではなくってよ」


 私がそう言うと、ドルフさんの傍らに杖があるのを見たディアナが、「足がお悪いのですか?」とそばに歩み寄る。


 さすがディアナ! やっぱりいい子ね。


「その人、右足を骨折してから、まともに歩けないんですって。あなたの力を試すために、見つけてきてあげたのよ。さあ、治してみなさい」


 横柄に言うと、ライナスが「偉そうに」と顔をしかめる。


「あの、足を伸ばしてしただけますか」


 椅子に座ったままのドルフさんに、足を上げるよう空いている椅子をディアナが移動させる。ドルフさんは手で持ち上げながら、椅子に足を乗せた。


「失礼します」

 ディアナは手のひらをかざし、足の付け根からつま先まで移動させていく。


 怪我をしたのはもう何年も前。骨の形が歪になっているとしたら、いくら聖女でも──

 

 いけない、信じるのよ。お願い、ディアナ。ドルフさんの足を治して!


 私は心の中で、ひたすら願う。ディアナも額に汗を浮かべていて、懸命なのが伝わってくる。


「あの、足を動かしてみてもらえますか」


 ディアナは一端手を引き、ドルフさんの様子を観察する。しかしドルフさんは首を左右に振った。


「もう一度──」

 ディアナは気持ちを切り替えようと、何度も深呼吸している。


「ライナス、黙って見てないで、ディアナの力になるようなこと、何か言いなさいよ!」


 私は固唾を呑んで見守るライナスに忍び寄り、脇腹に肘打ちして囁く。ライナスは呻いたものの、はっとし目が覚めたようにディアナに歩み寄り肩に手を置く。


「訓練を思い出せ、ディアナならできる。君の聖なる力の源は、相手を思いやれる美しい心だろう? だから大丈夫。自信を持ってやってみろ」


 ライナスの励ましに、ディアナは力強く頷く。


 いいわよ、ライナス! 私が思っていた台詞セリフとはちょっと違ったけど、ディアナがやる気になったみたいだから問題ないわ。


聖なる癒しホーリー・ヒーリング──」

 もう一度、ディアナがドルフさんの足に手を翳す。


「っ──‼」

 眩い光だった。ディアナの手のひらから放たれた、金粉が舞うような光。


「立ってみてください」

 今度は力強い言葉だった。これは、ディアナの自信の現れだろう。


「──」

 ドルフさんが無言で頷く。そして──


 皆が見守る中、ドルフさんがゆっくりと椅子から足を下ろした。それも手を使わずに。そして立ち上がると、杖を使わずに一歩一歩、床を踏みしめるように歩く。


 治ったんだわ! よかった、本当によかった──


 ありがとう! ディアナ。


「治癒できたようだな。レティシア、今後一切ディアナに関わるな。いいな」


 クリストフの感情の読めない声音。でも今はそれがありがたい。


「つまらない結末ですこと。いいわ、ディアナに割く時間は無駄。もう関わらないわ」


 もう用はない。帰れとばかりに、私はツンとそっぽを向く。


「なんだ、その態度は。つくづくな女だ」

 ライナスが射貫かんばかりに私を睨む。


 もーう! 空気読んで早く帰りなさいよ、ライナス。ルーシーが感動のあまり、身を震わせているじゃない。あれはお父さんに抱きつきたいのを、必死に我慢しているのよ!


「帰るぞ、ライナス」


 私が胸の内で興奮していると、憤慨するライナスの背中を、クリストフがドアへと押しやる。


 エクセレントだわ! なんていい働きをしてくれるのかしら。


 ひとりほくそ笑む私だったんだけど……不意に、ドアの前でクリストフが振り返った。


「レティシア、これは貸しだ」

「え──」

 ドアがパタンと閉まる。


 やっぱり、ラルフさんのことを覚えていたのだ。だから足が悪いと知ったうえで、部屋から出て行こうとしたライナスを引き留めてくれた。


 それはありがたかったけど、貸しってどういう意味? そもそも、自分が勝手に立会人になったくせに、外交の手段として人身御供にでもするつもりなの⁉


 怖い怖い──クリストフだけは、何を考えているのかわからない。できることなら、彼とはあまり関わりたくないのだが。


 私は密かに戦々恐々とするのだった。

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