第22話 発祥の地
「もう声を出してもいいですよ、ドルフさん」
私としたことが、クリストフの置き台詞に動揺するあまり、もう喋っていいと言うのを忘れていた。律儀に約束を守ってくれているドルフさんも凄いけど。
「レティシア様……ありがとうございます。この感動を、どう言葉にすれば伝えられるのでしょう──。この足が動くようになるなんて……本当に……夢のようです」
ドルフさんは目を潤ませながら、何度も足踏みしている。その傍らには、ドルフさんの肩にすがり涙を流すルーシーの姿もあった。
「治したのは私ではないわ」
「いいえ、機会を作ってくださったのは、レティシア様です。憎まれ役になってまで──」
顔を上げたルーシーは、悲痛な顔をしていた。私への罪悪感に苛まれているのかもしれない。
本当は声を上げて喜びたいでしょうに……私に気を遣って、気持ちを抑えているのね。
「何を言っているの、ルーシー。私はもともと、年季の入った悪役なの。だからこういうやり方のほうが性に合うのよ」
ルーシーの気が楽になれば。
そう思い、腰に手を当て、斜め上を見てポーズを取ったときだった。
「まったく。素直じゃないにもほどがあるな」
「殿下のおっしゃるとおりです」
うん? この声は……
「な、なんで二人とも、まだここにいるのよ」
すっかりルバインとノーランの存在を忘れていた。
だって部屋の片隅で、ひっそりと佇んでいるんだもの。絶対にわざと気配を消していたとしか思えないんですけど!
「ちょっとレティシアに、聞いてほしいことがあってな」
「え、聞いてほしいこと?」
これからドルフさんと、私のパン屋建設についての話しをしようと思っていたのだけど。
あ、でも……ちょうどいいのでは? 発火石の件もあるし。恩を売っておけば、否応なしに私に協力するしかなくなるものね。
「いいわよ。でも、ドルフさんも同席するけどいいかしら。彼にはちょっと、頼みたいことがあってわざわざ来てもらっているから」
「ああ、構わないぞ」
「じゃあルーシーは、お茶の用意だけお願い」
話しが済むまで、ルーシーにはイアンたちのそばにいてもらうことにした。
「はい、かしこまりました」
私の気持ちを汲んでか、返事をするルーシーの顔には笑みが浮かんでいて、私はほっとする。
「では、私は失礼します」
ルーシーは手早くソファーの前にあるローテーブルにお茶の支度を整えると、速やかに退出していった。
「殿下、こちらへ」
促すと、ルバインとノーランが連れ立って私の向かい側に座る。ドルフさんには私の隣に座ってもらった。
「それで聞いてほしいこととは?」
「実は……ちょっと行き詰まっていてな」
ルバインは肩を落とし、伏し目がちだ。その憂いた横顔を、ノーランは眉尻を下げ見つめている。
「それは貧民街のことですよね?」
「ああ、食料の配給までは順調だったんだが、働き口のほうが見つからない」
学に乏しい者は、大抵が身体を使った重労働か、自分で栽培した野菜などを売って暮らしを立てている。新たな商いを始めるにしても、
「私は貧民街に行ったことがないんですけど、周囲の環境はどうなっているんですか?」
イアンは遠いと言っていたから、王都の外れにあるのかもしれない。
「あの辺りは
寂れた場所では、商売をしたところで集客は難しいかもしれない。引きつける何かがあれば別だが。
「あ……私のパン屋!」
名案とばかりに、私は弾んだ声を上げる。
「は? 私のパン屋って、なんだそれは」
ルバインが私を
「いいことを思いついたのよ。ドルフさん、貧民街にパン屋を出したいの。温かみのある、ドルフさんのお家みたいなパン屋を建てていただける?」
隣で話しを聞いていたドルフさんは、まさか自分に矛先が向くとは思っていなかったようで、「パ、パン屋!」と声が裏返っている。
「実は、これが本題だったの。ドルフさんみたいな凄腕の大工さんに建ててほしくて。受けていただけるかしら」
「もちろんですとも。レティシア様に受けたご恩を、こんなに早くお返しできるなんて嬉しい限りです」
ドルフさんはなんの迷いも見せず、満面の笑みで承諾してくれた。
「人手の人選は、任せてもらっていいですか?」
自分の足が治ったと知れば、散っていった仲間の中に、戻って来てくれる者もいるかもしれないという。
「ええ、お任せするわ。ありがとう、引き受けてくれて。詳しいことは、別の機会に打ち合わせしましょう」
ドルフさんと二人、盛り上がっていると──
「おいレティシア。置いて行くな、話しが見えないんだが」
おっと、ごめんごめん。
「簡単に言うと、働き口がないなら、作ればいいってこと。その第一歩が、私のパン屋というわけなの。わかった?」
「わかったも何も、そのパンは誰が作るんだ? まさかお前が作るんじゃあないよな……」
探るような眼差しに、私はあえて悪巧みをするような怪しい笑みを作る。
「何を言っているのです? 私が作るに決まっているでしょう」
「本気で言っているのか? レティシアがパンを……信じられない。黒焦げの、不味いパンなんて売れるわけないと思うぞ」
ルバインが首を横に振りながら、聞き捨てならない言葉を吐いた。
な、なんですってーーー! 仮にも私は、前世でパン職人を目指していたのよ。バカにしないでちょうだい。
「でしたら十日後、私が作ったパンを食べてみるというのはどうですか」
判断はそれからすればいいと提案する。
なぜ十日後なのかというと、単純に練習したいから。なんだかんだ言っても、不安はある。この世界で、前世と同じクオリティーのパンは作れないだろうから。それに自家製酵母を作らなくてはならない。
「殿下、やめておいたほうが……腹をこわしかねませんよ」
「ちょっと、失礼ねノーラン。ドルフさん、私の作ったクッキー、美味しかったわよね!」
隣に座るドルフさんに詰め寄ると、「はい、幸せな味でした」と言ってくれる。
「ほら、聞いたでしょう? 私の腕は確かなの。だから安心して食べてね、ルバイン殿下」
「ぐ、拷問でないことを祈ろう。だが、面白い案ではあるな。開いたパン屋で、貧民街の住人に働いてもらうということなんだろう?」
「それもありますけど、どちらかというと、パン作りに必要な材料を、貧民街の人たちに作ってもらいたいんです。牛を放牧して、牛乳からチーズやバターを作ったり」
トマトを栽培して、ケチャップを作るのもいい。ニワトリを飼って卵を得て、マヨネーズも作れるのでは?
「そうだわ、貧民街を、食文化の発祥の地にしましょうよ!」
この世界にはまだないパンを、私がたくさん焼いて、パンの祭典を開催するとかどうかな? 観光客が押し寄せて来ると思うんだけど。あ~、夢が広がるわ。
「面白そうだな。だが、雇い主は誰なんだ」
働いてもらうということは、当然給金も発生するわけで。
雇い主は私。そう言いたいところだけど、パン屋が軌道に乗るまでは大口は慎む。
「まずは足がかりとして、王族が投資すればいいのよ」
家畜などは王族の持ち物。それを貸し出すという形を取ればいいのではないかと提案する。
きっと国の発展に繋がるはずだし、かかった費用も回収できると思う。
「なるほど、投資か。貴族連中から募るのもありだな」
「そうね、いいかも。極力出費は抑えるようにするつもりよ」
チーズやバター作りに必要な道具などは、買い揃えなければならない。
が、しかし──
人件費的なことは、経費を抑えられるはず。
例えば、貧民街の後方に広がる雑木林。人を雇い、木を切り倒していくとなると手間もかかれば時間もかかる。
ふ、ふ、ふ……マーカス──あなたにはなんの貸しもないけど、協力してもらうわよ。
そして水属性のヴィクトルには、コンラッドと力を合わせて井戸を。それからそれから……
「レティシア、お前……よからぬことを考えているだろう」
私を見るルバインの頬が引きつっている。
もしかして私、ニタニタといやらしい顔をしていたのかな? それは失礼しました。
「よからぬことだなんてとんでもない。明るい未来を思い描いていたんです」
とはいえ、まずは第一関門である、ルバインを唸らせるパンを作らなくては。
私は俄然張り切るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます