第19話 悪役令嬢レティシアとして

「あの……先ほどのお方は、お偉い方ですよね。時計台で何を?」


 しばらくは無言で歩いていたものの、どうしても気になった私は護衛兵に尋ねてしまう。


「三月後、隣国から来賓がいらっしゃるのですが……」


 我が国の時計台が見たいという要望があったとのことで、その際の護衛をするにあたり、クリストフが視察に来ていたのだという。


 そういえば、この国の時計の技術はかなり高いと聞く。懐中時計はその最たるもので、隣国からも注目されているとか。


「それに合わせて、時計台の手入れを始めたというわけなのですよ」

「そういうことだったんですね」


 どうやらイアンのお父さんは、その修繕に自分を使ってほしいと願い出たようだ。


 階段の上り下りだけでも、大変だったでしょうに……


 この不自由な足で、どれほど頑張ったのか。なのに、あの仕打ち。


 酷い、許せない。人としてどうなの? 私も人のことは言えないけどさ。


「──では私はこれで」

 胸の内で憤っているうちに、いつの間にかルーシーの家に着いていたようだ。


「そうだ、ちょっと待っていてください」


 すぐに帰ろうとする護衛兵を引き留め、私は急いでクッキーを取りにいく。

 時間的にも、焼き上がって粗熱あらねつが取れた頃合いだろう。


 案の定、台所にいくと、ルーシーがクッキーをお皿に移し替えていて、甘い匂いが漂っていた。


「ルーシー、それを十枚ほどお持たせに包んでくれない。急いでね!」

「はい、すぐに」


 急いでいた私は、ろくに説明もせずにクッキーを指差し頼む。そして準備が整うと、それを手に玄関へ取って返す。


「これ、よかったら食べてください。子どもたちと一緒に、ついたくさん作ってしまって」

「え、いいんですか⁉ 嬉しいな、実は甘い物に目がないもので」


 二十代に見える若い護衛兵は、美味しそうな匂いだと言いながらほくほく顔だ。「遠慮なくいただきます」と紙で包んだクッキーを懐に入れ、駆け足で去っていった。


「あの……レティシア様、どうなさっ──!」


 ドアから顔を覗かせたルーシーは、父親の姿を目にし、慌てて玄関から飛び出してくる。


「お父さん……随分痩せて──」

 ルーシーは声を詰まらせ、涙目だ。


「歩ける? ゆっくりでいいからね」

 

 ルーシーは身体を支えてあげながら、家に入ろうと促す。そして椅子まで連れていき座らせると、お茶を勧める。一息ついたのを確認してから、ルーシーはどこに行っていたのかと問うた。


「まぁ…そのな、時計台の修繕に行ってたんだよ」

 続けていさかいがあったことも、隠すことなく語った。


「どうしてそんなことに──」

 ルーシーはやるせないといった悲痛な面持ちになる。


「仕方ないんだ。あいつは、父さんの元弟子でな。見込みがあると思って厳しく教えていたんだが、それがあいつには伝わっていなかった。父さんのひとりよがりだったってことさ」


 そう言って苦笑を浮かべたけれど、私には至極悲しげに見えた。


 あの元弟子だったという人は、これまでの仕返しとばかりに悪態をついたのだろう。そのことに、私は憤りを感じずにはいられなかった。


 人の思いは、正しく相手に伝わるとは限らない……か。辛くてもどかしいでしょうね。


 加えて身体が思うように動かず、これまで培ってきた技術が表現できないのだから。


 なんとか足を治す方法って、ないのかな。


「そんなことよりイアン、誕生日おめでとう。父さん、何もしてやれなくてごめんな。このご馳走は、ルーシーが?」


 テーブルの上には、焼き魚や青菜のソテー、キッシュに豆の入ったスープ。そしてクッキーなどが並んでいる。


「美味しそうじゃないか。冷めないうちにいただこう」


 しんみりとした空気を払拭しようと明るい声で言う。それから躊躇いがちに問われる。「ところで、あなたはどなたですか」と。


 そうだった! まだ自己紹介をしていなかったわ。


「お父さん! この方は、私のお仕えしているレティシア様よ」


 ルーシーが慌てて言うと、「あ、あの公爵令嬢様……」と驚愕の表情を浮かべる。さすがに今日の出で立ちでは、公爵令嬢に結びつかないのも無理はない。


 というよりも、この驚きようはもしかして──


 え、ルーシーのお父さんにまで私の悪評が?


「違うの、お父さん。あれは……いつわりのレティシア様で、その……」


 うん、苦しいフォローをありがとう。


「ルーシーの献身的な姿に心を打たれ、改心したんです。彼女には、本当に感謝しているんですよ」


 令嬢らしく品よく微笑むと、信じてくれたのか安心したようにお父さんも微笑む。


「娘がお世話になっております。ドルフ・ロバーツです」

「レティシア・カーライルです。素敵なご家族ですね、ドルフさん」


 自己紹介も済み、そこからは和やかに、私たちは誕生日パーティーを楽しんだ。


 そして──


「レティシア様、そろそろ帰る時間です」


 楽しい時間はあっという間だった。

 陽は傾き、窓の外は赤く染まっている。


「お姉ちゃん、もう帰っちゃうの?」

 エイミーとイアンが、縋るような目でルーシーを見ている。


「せっかくだから、ルーシーは一泊すればいいわ」


 久々に家族に会ったのだ。幼い弟妹に悲しそうな顔をされれば、ルーシーも後ろ髪を引かれる思いだろう。


「ですが……」

「いいのよ。そのかわり、お願いしたいことがあるの」

「お願いしたいこと……ですか?」

「ええ。でもそれは、今度話すわ。じゃあ、明日の夕方には戻ってね」


 私はひらひらと手を振り、自分の画策を胸に帰路についた。


 ∞∞∞


 ルーシーの家に押しかけてから数日、私は聖女であるディアナに接触しようと試みては失敗していた。


 騎士ナイトたちのガードが堅くて近づけないじゃない!


 私が近寄ろうものなら、壁となって立ちはだかり、鬼の形相で睨んでくるのだ。とはいっても、ルバインとノーランは、この頃は取り巻きから外れている。もうディアナに恋心を抱いていないからだろう。それはヴィクトルも同じで、コンラッドとの間に流れる空気は、甘ったるい生クリームといった感じだ。


 問題なのは、ライナスとルーク。そしてマーカスの三人だ。


 彼らは常にディアナに張りついているのだ。その心配もわからないではない。自分で言うのもなんだけど、以前の私は危険人物極まりなかったし。


 もう何もしないから、三人ともディアナから少しは離れてよ! って言いたいところだけど、彼らにとっては今がチャンスだろうし……


 ルバインとヴィクトルという、恋敵が消えたのだから。

 特にこの頃のライナスは、怖いくらい気合いが入っているのが傍目にもわかるほどだ。


 ライナスはブラウンの短髪で、体育会系男子といった印象を受ける青年だ。曲がったことが嫌いな彼は、陰湿なイジメをする私を心底軽蔑している。


 というのが、乙女ゲームでのライナスのキャラだったのだけど……


 現実もそれに変わりはなく、私を敵視している。とはいえ、ライナスは単純なところもあって、ゲームでは二度も攻略してしまったのだが。


 一方、ルーク・ミュレールのほうは、グレーのやや長い髪で、左の目元にホクロのある涼やかな顔立ちの青年だ。私的には、プレイボーイという印象が強い。


 そしてマーカスは、新緑のような色の髪を、顎のラインで切り揃えた清楚な青年だ。やや垂れ目で、その見た目どおり普段はおっとりしていて、どちらかというと内気なキャラだ。今のところ、私に対して威嚇してくるようなことはない。先にライナスが動いてしまうからだけど。ただ彼は特殊な能力を持っていて、怒ると大地を揺るがす危険があるのだ。


 普段怒らない人を怒らせると怖い……なんていうけど、正にそう。

 マーカスの特殊な能力とは、植物を操るというもので。


 枯れ木に花を咲かせる程度なら、ほのぼのとしていいのだけど、木を巨大化させたりできるとなると話しは別だ。


 だって、巨大化した木が大群で追いかけて来たら怖すぎない?


 そんなことを考えながら、私がディアナ一行の去って行く後ろ姿を見ていると、メーベルとビアンカがどこからともなく現れ近寄って来る。


「レティシア様、この頃はディアナに、身の程を思い知らせる機会がありませんわね」

「守られてばかりで、いい気なものですこと」


 二人が不満顔で囁いてくる。


「そうなのよ。ライナスとルーク、どうにかならないかしら」


 ひとまずマーカスは脇に置いておく。


「でしたら、私が足止めするというのはいかがですか?」

 メーベルが嬉々として提案してくる。


 何がなんでも、私にディアナをおとしめてほしいのね……


 この二人のスタンスは変わらない。


「どうしようかしら……」


 ディアナは聖女ということで、私の住む寮ではなく王城の一室を与えられている。だから訪ねて行くことはできず、私がディアナと話しをする機会は学園しかない。


 いっそのこと、正面から正々堂々、悪役令嬢レティシアとして声をかける?


 うまくいけば、ライナスとディアナをくっつけられるかもしれない。ルークには悪いけど。


 この二人をくっつける方法は知っている。自分の力に自信の持てないディアナを、ライナスが勇気づけるのだ。決め台詞は、「ディアナならできる。人を思いやれる美しい心。それが、君の聖なる力だ。だから大丈夫、自分を信じろ」だ。


 ライナスとディアナがくっつけば、クリストフルートはなくなるから、破滅ルート回避は成功したようなもの。


 私はどうしても、ドクロステージ開放だけは阻止したい。魔王の生贄になんてなりたくないし、パン職人としての道を諦めたくない!


「あなたたちは、何もしなくていいわ。私は公爵令嬢よ、こそこそなんてしない。明日、誰が立ちはだかろうと、あの女に言いたいことを言ってやるわ」


「「まあ! さすがレティシア様」」


 二人は手を組み、尊敬の眼差しを向けてくる。


 これでメーベルとビアンカも満足するだろう。この二人とは、私が悪役でいるほうが関係がうまくいくようだから。

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