第18話 あれ……胸が

「イアン、この辺りに、パン屋さんはある?」


 連れだって外に出ると、太陽がもうすぐ頂上に辿り着く辺りにあった。


「あっちにあるけど……」


 イアンは浮かない顔をしている。どうしたのかと問うと、店主が横柄で怖いのだという。


 それでもこの世界のパン屋に興味のある私は、イアンは店に入らなくてもいいからと案内を頼む。


「ここだよ」


 体感で十分くらい歩いただろうか。煙突から煙の上がる、土色の建物を指差される。


「ちょっとここで待っててね」


 店内に入ると、「いらっしゃい」と気だるげな声をかけられる。視線を向けると、カウンターの向こうに、無精ひげを生やした四十代半ばくらいの恰幅かっぷくのいい男が椅子に座っていた。


「こんにちは。これで買えるだけ欲しいのですけど」


 硬貨で五百ルフェを差し出すと、「ふたつだな」と顎をしゃくられる。その先には、木箱に乱雑に並べられた、丸いパンがあった。


 これが一個二百五十ルフェ……


「随分と高いんですね」

 躊躇いがちに聞いてみる。


「ふん、小麦粉の値が、このところ釣り上がってやがるからな。おかげで商売あがったりだ」

 不機嫌そうに店主がぼやく。


 うわー、よくそんなことが言えるわね。


 お客に対して態度は悪いし、売れるようにという工夫も見られない。商売する気があるのかと、こっちが聞きたいくらいだ。


 それに──


 木箱に並ぶパンは、寮で出されるものと形は同じだが、焼きすぎなのか色が濃い。


 うー、見るからに硬そうね。


 それでも勉強にと、私は買うことにした。


「じゃあ、ふたつください」


 そう言うと、紙袋を渡され、自分で入れろと言われる。


 もう! なんなのよ、このおじさん。本当は商売する気ないんじゃないの。


 私の身なりを見ての態度なのか、それとも態度が悪くてもある程度は売れるのか。


 競う相手がいないと、横柄になってしまうってこと? だからパンが進化しないのね、きっと。


 ふ、ふ、ふ……いずれ閑古鳥かんこどりが鳴くことになるわよ、おじさん。私がパン屋を開くんだから。


「毎度ありー」

 お金をカウンターに置くと、申し訳程度の礼が返ってくる。


 まったく、商売がなってないわね。


 それを思えば、エセルは素晴らしい。お客を第一に、丁寧に対応してくれた。


 お兄様とよりを戻してくれるといいな。

 

 それには、二人が再び出会うきっかけが必要だろう。


「お待たせ、イアン」


 外に出ると、イアンは建物の壁に寄りかかり、待っていてくれた。それが窓の近くだったことから、私を心配して店内の様子を窺い見ていたのかもしれない。


「はい、どうぞ。遠慮しなくていいわよ、道案内のお駄賃だから」


 そう言ってパンを差し出すと、イアンはありがとうと笑顔で受け取る。


「──やっぱり硬いわね」

 一口齧り咀嚼しただけで、顎がだってしまいそうだ。

 

 表面はパリッと、中はしっとり。これが石窯パンの持ち味のはずなんだけど、これはちょっとな……


 おまけに味のほうはといえば、甘みもえんみも感じられなかった。


 確かに石窯を使いこなすのは難しい。それはなんといっても温度調節。それに加え、発酵させてない生地を焼くのだから、こうなってしまうのも仕方ないのかもしれないけれど。


 確か四百度から五百度近くまで上がるのよね、石窯の内部って。


 前世、いつもは百八十度を目安にパンを焼いていたことを思えば、かなりの高温だ。

 

 う~ん、石窯の良さを活かすには、それに適したパンを選んで焼くとして──


 しっとりとしたやわらかなパンを焼くには、どうしたらいいのかしら。


 私は硬いパンを頬張っているイアンを見つめる。

 彼らにとっては、このパンが普通なのだ。これしか知らないのだから、無理もない。


 この国の人たちに広めていきたい。やわらかなパンを。そしてパンの素晴らしさを!


 気持ちを新たにしたところで、「次は貧民街に案内して」とイアンにお願いする。


「ちょっと遠いけど……いいの?」

「え……遠いの? どうしようかな、遅くなると、ルーシーが心配するわよね」

 

 ちょっと、がどの程度なのかわからないとなると、今日のところは諦めたほうがよさそうだ。


 もう帰ろうか、そう思ったときだった。


「カラ~ンコロ〜ン……」

 正午を告げる鐘の音が響いてくる。


「ねえ、時計台に行ってみたいんだけどいい?」


 遠目にとんがり帽子のような屋根は見たことがあったけど、近くで見たことはなかったから、興味が湧いた。


「うん、いいよ」

「やった〜!」


 はしゃぐ私に、イアンはケタケタと楽しげに笑う。


 よかった、笑顔が見られて。


 私はイアンと手を繋ぎ、パン屋から王都の中心部に向かって歩く。


「一つ聞いてもいい」

「いいよ。何?」

「どうして木彫り用のナイフが欲しかったの」


 聞いた途端、イアンの顔が曇ってしまう。


 触れないほうがよかったよね……でも、聞いておきたかったの。ごめんね。


 私で力になれることがあれば。そう思ったから。


「木でいろんなものが作れたら、売ってお金になると思ったんだ」

「イアン……」


 子どもながらに、家計を助けたいと思ったようだ。


 なんて偉いの。泣けてくるじゃない。


 私が感動で打ち震えているときだった。怒声が聞こえてきたのは。


「おいっ、まだ終わらねえのか‼ この愚図が。もういい、帰れ!」


 その声は、時計台のほうからしているようで。

 

 視線を入口に向けると、時計台の中から男がよろけるように出てきたかと思うと、そのまま地面に転がる。


「父ちゃん!」


 その光景を目にしたイアンが、声を上げ駆けていく。


 え、お父さん!


「大丈夫ですか」

 私も急いで駆け寄る。


 まだ四十代になったばかりであろうその人は、心労からか濃いブラウンの髪の至る所から白髪が覗いているのが見えた。


「なんだ、知り合いか。ほらよ、とっとと連れて帰ってくれ」


 イアンのお父さを突き飛ばしたらしき男が、杖を放り投げてくる。合わせて数枚の硬貨も。


「ちょっとあなた。なんて酷いことをするの。謝りなさい」

「はん。ろくに仕事もできないのに使ってやったんだ。礼は言われても、謝る筋合いはねえ」


 鼻を鳴らし吐き捨てるように言うと、男は踵を返して時計台に入っていった。


「すまない、イアン。これっぽっちじゃ、ナイフは買えないな」

「父ちゃん、父ちゃん……」


 イアンは泣きながら、お父さんにしがみついている。


「立てますか? 帰りましょう」


 私は杖を手渡す。道行く人たちの視線を感じたからだ。


 誰も、手を貸してくれないなんて──


「すまないな、お嬢さん」


 イアンのお父さんは、杖を支えに立ち上がる。けれど足に力が入らなかったのか、身体が傾ぐ。


「あっ!」

「おっと──手を貸しましょう」


 私も咄嗟に手を伸ばしたけど、それより先に支えてくれた人がいた。白い軍服を着た、身なりのいい紳士──


 ぎゃーーーー! ク、クリストフ‼


 なんで、なんで、なんでこんなところにいるの⁉ 


 全身から汗が噴き出してきそうだ。

 お礼を言わなければならないというのに、私は顔を上げることができない。


 だ、大丈夫よね、気づかれるわけがないよね。帽子被ってるし。


 普段の気位の高い私を知っているクリストフだ。さらに彼はまだ、前世の記憶が蘇ったことで、私が悪役令嬢ではなくなったことを知らない。


 うん、イケる。


「ありがとうございます。親切なお方」


 伏し目がちな私の白々しいほどの棒読みに、「どういたしまして」と、これまた感情の籠もらない返事が返ってくる。


「お送りしましょう」

「い、いえ、滅相もございません」


 見るからに高貴な身分のクリストフに、イアンのお父さんは恐縮しまくっている。


「では、部下に送らせましょう」 


 そう言って、クリストフは後方に手を上げて合図を送った。するとすぐに護衛兵が駆け寄ってくる。


 何やら話したあと、クリストフは時計台の方へと消えていった。


「では、参りましょう」

 クリストフからの指示を受けた護衛兵が、イアンのお父さんに肩を貸す。


「ありがとうございます」

 杖をつきながら、ゆっくりと歩き出す。


 私はその後ろを、歩調を合わせてついていく。イアンはというと、心配げにお父さんの腰の辺りに手を触れさせながら歩いていた。


 よかった、送ってもらえて。


 前を歩くイアンのお父さんを見ていると、自力では帰って来られなかったのではないかと思えるほど、疲労の色が濃い。


 これも、クリストフのお陰だわ。彼があんなに優しいなんて、知らなかった──


 咄嗟に伸ばされた手。


 いつも私を冷たい目で見てくる第一王子。冷めた心の持ち主かと思っていたけど、国民思いだったようだ。


 冷たいのは、私にだけなのかも……


 そう思うものの、熱を出していたとき、お見舞いに来てくれたことを思い出す。


 あれ……胸が──


 ぽっかり穴が空いたままの心の空洞に、温かい雫が一滴、落ちてきたような感覚に戸惑う。

 そしてそれは、波紋のように全身に広がっていった。




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