第16話 エセルの商会
明くる朝、朝食を終えた後。
「どう? ルーシー。平民に見えるかしら!」
私の声は弾んでいた。
おまけにくるりと一周回り、スカートをなびかせる。
ルバインに借りた服は、生成りのシャツとエンジ色のスカートで、はっきりいって地味なものだった。
最高にいいわ!
「あの、申し上げにくいのですが……」
ルーシーが言い淀む。
「何? はっきり言って」
「お顔と髪がその、目立つかと──」
え、どういうこと?
私は鏡を覗き込む。と、そこに映っていたのは美女だった。
そ、そうだったーーー!
優衣は普通の顔だっただけに……つい忘れてしまいがちで。
ま、眩しい! この美しさは半端ないわ。
これはちょっと気をつける必要がありそうだ。優衣の素を全開に表に出すと、レティシアの外見とのギャップがありすぎる。
うん、人前では、なるべく淑やかさを心がけよう。
「──では、顔に
「とんでもございません。そのようなこと」
ひとつ咳払いしたあと澄まし顔で提案してみると、ルーシーに即却下されてしまう。
「困ったわね。だったら、そばかすなんてどう?」
それならいいかもしれないと、ルーシーが化粧道具を持ってきてくれた。その中から、眉用の筆を使い鼻の背から目の下に向かって、茶色の点を散らしていく。
「随分と印象が変わるのね」
髪も一つに纏めると、レティシア感がさらに薄れる。
「これなら公爵令嬢に見えないわよね?」
「はい、それはまあ……ですが、そのような格好をなさって、何をするおつもりですか?」
ルーシーはなんとも言えない弱り顔だ。
「町へ買い物に行きたいの」
「でしたら、わざわざ変装などなさらなくても……」
「いいえ、平民として買い物したいの。公爵令嬢だと、入りにくい店もあると思うのよ」
そう、特にエセルの商会は──
パンの材料を一度に揃えるには、あそこしかない。それに最近のエセルの様子も気になる。もし結婚なんてしていたら、お兄様に罪滅ぼしできなくなる。
多分だけど、お兄様は今もエセルが好きなんだと思う。あれから恋人がいたことはないし、両親が婚約者にと勧める令嬢も断っているというから。
「もちろんルーシーにもついてきてもらうわよ。荷物を持ってほしいから。だからあなたも着替えてきて」
さすがにメイド服は困る。私が変装した意味がなくなってしまう。
「承知しました。着替えて参ります。馬車の手配もして参りますので、少々お待ちください」
私は緊張を感じつつ、ルーシーが戻るのを待った。
∞∞∞
エセルの商会の近くで馬車を降りた私は、夕刻またこの場所に迎えを頼み一端馬車を返した。
久しぶりだわ、ここに来るのは。
王都の中央通りに面した煉瓦造りの二階建て屋。ここには一度だけ来たことがある。カビの生えた食材を売りつけられたと、難癖をつけるために。
私って、やらかすにもほどがある。
「ルーシー、ちゃんと変装できているかしら?」
特徴のある髪は、帽子に入れ込んで見えないようにしている。私の紺藍の髪は、この国の民では珍しいものだった。はっきりいって、自分以外には見たことがない。
「はい、レティシア様だとはわからないと思いますよ」
「では、入るわよ」
ルーシーの言葉に勇気をもらい、私は店内に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
優しげな声に、すぐにエセルだとわかる。けれどどことなく、はつらつさは感じられなかった。
もしかして、まだお兄様のことを引きずって──
「どのようなものをお探しですか」
他の店員さんは出払っているようで、エセルが歩み寄って来た。途端に私は、身体を硬くする。
「あ、あの、パン酵母ってあるかしら」
「パン酵母……ですか? 申し訳ありません、
すまなさそうに、エセルが口にする。
「いえ、いいんです」
やっぱりないのね。そういえば、酵母でパンを発酵させたのって、確かエジプトが始まりだったっけ(前世での歴史)。酵母の存在を確認したのは、顕微鏡を発明したオランダ人らしいけど。
学校の勉強は好きではなかったけど、パンに
「じゃあ、お菓子作りの材料はあるかしら?」
腕を試しておきたかったけど、今日のところは、パンを作ることを断念する。酵母がないとなると、やわらかくて美味しいパンは作れそうにないからだ。予定通り、クッキーを作ろうと思う。
「はい、こちらに」
エセルが店の左側へと案内してくれる。
「こちらは量り売りになります。キロ単位で小麦粉が千五百ルフェ、砂糖、バターは五百ルフェです。卵は一個五十ルフェになります」
この国の通貨は、王家のルフェーブルから取って、ルフェ。硬貨は十、五十、百、五百の四種類で、日本の円に似ている。
「わかったわ、決めたら呼ぶわね」
そう言うと、エセルは頷き離れていった。
「ねえルーシー、これは妥当な値段なの?」
自分にはわからないからと聞いてみる。
優衣の金銭感覚は庶民だけど、レティシアは違う。そもそも値段を気にしたことがないから、物の相場を知らなかった。
「妥当と言えば妥当ですが、これらはもともと贅沢品ですから」
職種にもよるが、平民の一月の給金が三万ルフェくらいだというからそれも頷ける。中でも飛び抜けて小麦粉が高値だ。以前ルーシーが言っていたとおり、ラーミス国の言い値で取引しているようだ。
「ねえルーシー。金貨はルフェにするとどのくらいになるの?」
財布にはルフェ以外に、金貨と銀貨が数枚入っている。これは学園に入学する際、お父様が持たせてくれたものだ。あまり使う機会はなかったけれど。
というのも、友人とショッピング自体したことがないからだ。そもそも服や小物など、必要なものはいつの間にか準備されていたし、自分から「あれが欲しい、これが欲しい」とねだったこともなかった。
私って、性悪だったけど物欲はなかったのよね。
「十万ルフェです」
な、なんですってー!
平民の三ヶ月分相当だなんて……貴族、恐るべし──
「そ、そうなの。だったら、銀貨は?」
「一万ルフェです」
一万……エセルがお釣りに困らない程度に買い物しよう。
「決めたわ。ルーシー、彼女を呼んで来てくれる」
「はい、かしこまりました」
ルーシーは店内を見回し、棚の整理をしていたエセルを見つけると、声をかけに行く。
エセルはすぐに作業の手を止め、メモを手にこちらにやって来た。
「お伺いいたします」
パンには強力粉がいいんだけど、多分小麦粉は一種類しかないわよね。
「では、小麦粉を五キロに卵を十個。あとは、バターと砂糖を一キロ。それから……」
私は棚に並べてある、透明の瓶に入った色とりどりの小さなものに目を留める。
「これはキャンディよね、可愛いい。十個買うわ。それと、これはチョコレート?」
紙に包まれた板状のものに、カカオと書いてあった。
「はい、そうです。先日、買い付けてきたばかりのものです」
「そうなの。もしかして、あなたが買付を?」
聞けば時々だが、珍しい物はないかと、他国に赴くという」
本当に働き者だわ。こんな人を奥さんに迎えたら幸せよね。つくづくごめんなさい、お兄様。
「では、これもいただくわ。二個お願いね」
ルーシーの弟妹へのお土産にしよう!
「あの、私一人では持ちきれないかもしれません」
私が次から次へと注文するからか、ルーシーが焦ったように耳打ちしてくる。
「え、荷物なら私も持つから大丈夫よ。小麦粉は任せて」
「いいえ、小麦粉は私が。五キロとなるとかなり重いのですよ」
ルーシーに諭すように言われてしまう。何せレティシアは細腕だ。ルーシーが心配するのも無理はない。
優衣だったら、十キロでも軽々と持てるんだけどな。
「今日はこれくらいにしておくわ。代金はおいくら?」
「九千九百ルフェになります。品物をお包みしますので、少々お待ちください」
エセルは秤を使い、計量を始める。
「ルーシー、これで会計をしてきて」
銀貨を手渡すと、それを手にルーシーがカウンターに向かう。
私は二人がやり取りしている間に、不自然なく彼女の家に行く方法を考える。まだルーシーの家に行くのが目的だと、知られるわけにはいかないからだ。
数分後、小麦粉の入った袋を抱え、ルーシーが歩み寄って来る。その後ろからは、砂糖や卵などが入った袋を手に、エセルが続く。
「お待たせしました。レ──」
「ルーシー! 私、まだいろいろと見て回りたいの。だからこの荷物、あなたの家に置かせてもらっていいかしら?」
あ、危なかった~。
ルーシーの言葉に被せるように、私は声を張り上げた。エセルの前で、レティシアの名前を出されるのは困る。また嫌がらせに来たと思われかねない。
「え……それは構いませんけど」
「では決まりね。さあ、行きましょう」
ルーシーをせき立てるように、私は商会を出た。
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