第14話 ルーシー・ロバーツ

 ルーシー・ロバーツが、レティシアの専属メイドとして雇われたのは半年前。前任のメイドが辞めてしまい、急遽後任を募集しているという話しを耳にし、思い切って面接に行くと即採用──


 当時ルーシーは、この仕事に就くべきかどうか正直迷った。レティシアのメイドに対する当たりのキツさは、使用人界隈では有名な話しらしく、カーライル邸の使用人がよく考えるよう進言してくれたからだ。きっと、まだ年若いルーシーを心配してのことだったのだろう。


 自分もすぐに辞めることになったら。


 そんな不安もあった。しかし、給金の魅力には抗えなかった。一般的なメイドの給金の五割増しだったのだ。それが公爵家だからなのか、レティシアの専属メイドだからなのか──


 家族のためにお金が必要だったルーシーは、自分に言い聞かせた。大丈夫、頑張れる。家族のためなら、なんだって耐えられると。


 しかし──


 ルーシーは早々に、レティシアからの洗礼を受けることになった。それは着任して一時間後のこと。


「こんな不味い紅茶、飲めないわ!」


 役立たずの無能はいらない。そうののしられ、カップを投げつけられたのだ。その後もレティシアは、ことあるごとにルーシーを罵倒ばとうした。


 ルーシー自身、なんとか認められようと、マナーの本やメイドの心得などを読み必死に勉強した。


 しかしレティシアにとって、そんなことはどうでもよかったのだ。ただいたぶる相手がいればそれで。


 ルーシーの心には、幾筋いくすじもの亀裂が生まれた。そして笑顔を失った。


 辛い、どうしてこんな目に遭うのだろう。辞めてしまいたい、父親や弟妹のいる家に帰りたい。このままでは、完全に心が壊れてしまう。


 だがルーシーには、それはできなかった。父親は足の骨を折って以来、定職に就けておらず、その日暮らしで家系は火の車だったからだ。母親はそんな父親を助けようと働きづめで、無理が祟ったのか一年前に亡くなってしまった。幼い弟妹を残して。


 自分が支えなければ。


 その思いだけでこれまで勤めてきた。しかしこの頃、精神的に限界を感じていた。あと一筋、心に亀裂が走ったら辞めよう。


 そう思っていた矢先、奇跡が起こった。レティシアのとげとげしさがなくなったのだ。


 それは、レティシアが階段から落ちた日から始まった。


(あのとき、部屋に様子を見に戻って本当によかった)


 実のところ、自分の中で葛藤があった。怪我人を一人にしてもいいの? という良心と、日頃から人を苦しめてきた天罰に違いない。だから、放っておけばいい。下がっていいと言われたではないか。という邪心とのせめぎ合い。


 まさったのは、弱っている人間を見捨てるのは、卑怯だという思い。父親と重なったのかもしれないけれど。


 それにあとになって、メイド失格だと罵られたら──そんな怖さもあった。けれどレティシアは、発熱から気弱になっているのか、妙にしおらしく優しかった。それは翌日になっても変わらなかったが、素直に喜んでいいものかとルーシーを戸惑わせた。元気になったら、またいたぶられるのではないかという疑心があったからだ。


 ところが──


「引っ込みがつかなくなっていたの」


 そう呟いたレティシアはどこか苦しげで、心に何かを抱えているのかもしれないと感じた。


 自分に吐露してくれたなんて──


 嬉しくて、心が震えた。これまで頑張ってきてよかったと。

 あのときの感動は、今もルーシーの心に残っている。


 そして十日経った今では、以前が嘘のように穏やかに接してくれている。加えて自分に、親しみを持って声をかけてくれるのだ。お陰で弟妹のことまで話せてしまった。塞ぎ込んでいる父親のことは、話せなかったけれど。


(家に来たいなんて言い出すんだもの。びっくりしちゃったわ)


 それに、パンを作ってみたいなどと、あのレシティアの口から出るとは、誰が想像できただろうか。


 自分がレティシアを変えた──


 そんな大それたことは、ルーシーも思っていない。ただ切っ掛けを求めていたレティシアにとって、たまたま自分の取った行動がまっただけ。


 それでもルーシーは嬉しかった。これからは機械的にメイドの仕事をするのではなく、心を持って仕えることができるのだから。

 

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