第13話 ここにも私の被害者が

 パン酵母――


 それはチマーゼという酵素の働きにより、糖分を分解して炭酸ガスを生み出し、パンを膨らませてくれるというもので。


 これだけは、どうしても欠かせないのよ!


「でも……やっぱり、あるとは思えないのよね」


 あったらあんな硬いパンにはならない気もする。

 ましてや、ドライイーストなんてあるはずもないだろう。となると、自分で作るしかない。


 自家製で酵母を作ることはできる。できるんだけど……


 それらを作るには、消毒した瓶に、水、果物か穀物を入れて砂糖を加え、発酵させなければならない。だいたい一週間くらいで出来上がるのだけど、冷蔵保存で一月くらいしかもたない。


 パン屋を開くとなると、毎日のように酵母が必要になる。そうなると、酵母を作るのも大変だけど、保管場所にも困る。この世界に冷蔵庫があるとは思えないから。


 できればドライ酵母がいいんだけど、作り出すいい方法はないものか。


 あ! ヴィクトルって、水の中から不純物を取り除く的な魔法が使えたりするのかな。真水に戻すような水魔法。


 名付けて、水浄化魔法ウォーター・プリケーション! なんてどう?


 それができれば、発酵水の中から酵母菌を分別できるのでは? それを乾燥させれば、自家製ドライ酵母のできあがり。


 いいアイデアじゃない! 試す価値ありよね。 


 やったことがないのなら、これから練習してもらおう。ヴィクトルのことだ、成功するまで挑戦し続けるに違いない。


 私は着々と、脳内でパン作りに必要なことを膨らませていく。


 あとは香辛料や、チーズ、ケチャップなども手に入れば、惣菜パンも作れる。


 それと――


 小豆あずき、小豆が欲しい! 私の原点は、あんパンだから。


 あ、そういえばエセルの家業って、食料品を扱う商会だったような……


 それも、貴族のお抱え料理人御用達の商会でもあった。

 というのも、海の向こうから渡って来る、異国のものも取り扱っているからだ。もちろん品質もいいから評判もいい。ぜひ利用したいところだけれど、それには問題があった。


 今さらどの面下げて、頼み事すればいいのよ。


 過去の悪行を思えば、いくらお金を積んだところで、私の頼みは受けてくれないかもしれない。


 何をしたのかって? それはね……私がジェイクお兄様とエセルの恋路を邪魔して、破局させてしまったのよーーー!


 間違いなく嫌われているだろうし、恨まれて当然だと思っている。


 あぁ……ここにも私の被害者が。本当にごめんなさい。


 だから当然、お兄様に間に入ってもらうことはできなくて。


 普通に考えたら、こんな妹、憎まずにはいられないわよね……


 だけどお兄様は、私に辛く当たってくることもなく、その後の態度も変わらなかった。寛大にもほどがある。


 お兄様は現在二十一歳。クリストフと同い年で、学友でもある。

 身内の贔屓目ではないけど、お兄様は金髪碧眼の、正義感溢れる好青年だ。


 引き裂いておきながらなんだけど、今思えばお似合いの二人だった。それなのに、当時の私は何が気に入らなかったのか。


 お兄様を取られたような気がしたとか?


 ううん、違う気がする。じゃあ、ただエセルが気に入らなかったのかな。


 エセルはお兄様の一つ年下で、王都で一番大きな商会の娘だ。気立てのいい働き者で、丸顔の童顔だけど大きな目は愛らしく、赤みを帯びた茶色の長い髪を、三つ編みにして前に垂らしている。


 優しい人だったのに、なんでだろう。意地悪してごめんね、エセル。


 え、いったいどんなことをしたのかって?


 それは三年前、お兄様がカーライル邸にエセルを招いたことから始まった。


 私は当時十四歳で、エセルの紅茶に塩を入れたり、背中にカエルを放り込んだこともあった。商会の評判を落とすような噂を流したことも。


 嫌がらせは、小さなものから大きなものと様々繰り返し、いつの日かエセルはカーライル邸に寄りつかなくなった。お兄様も私のしたことに薄々気づいていたようだったけど、苦い表情をするだけでエセルのことに関して何も言ってこなかった。


 私に何をされたか、エセルはお兄様に言わなかったのかもしれない。どれだけいい子なの。いつか必ず罪滅ぼしするからね。


 はぁー、私には、償わなければならない人が多すぎる――


 でも、頑張らないと。


 これは当たり前のこと。自分がしてきたことの尻拭いは、自分でしなければ。そうでないと、謝罪だって受け入れてもらえないし、好感なんて持ってもらえないのだから。


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