第12話 パンの開拓者になってみせる

 怪我もよくなり、昨日は一週間ぶりに学園へ赴いた。教室に入ると、私を目にしたメーベルとビアンカは、安堵の表情を浮かべて迎えてくれた。特にメーベルは、自分のせいだと思っているから、なおさらだった。


 意外だったのは、ノーランだ。ぶっきらぼうに、「元気でいてもらわないと困る。ルバイン殿下の凄さを見せつけられなくなるからな」なんて言うんだもの。


 この分だと、早い段階で悪役令嬢というレッテルを、いいのもへと替えられそうだ。


「疲れは残っていませんか。身体が辛いようでしたら、今日はお休みしても──」

「大丈夫よ、心配性ねルーシーは」


 朝食の準備をしながらも、ルーシーが久々の授業で疲れたのではないかと気遣ってくれる。


 この頃は、ルーシーの方から積極的に声をかけてくれるようになっていた。

 以前に比べて表情も豊かになっていて、私との間に流れていた威圧による主従関係が、互いを思いやるいい主従関係に修復できていることを実感している。


「どうぞ、お召し上がりください」


 円卓には、青菜のソテーとスクランブルエッグ、そして……


「いただくわ──はぁ……またそのパンなのね」 


 贅沢ぜいたくを言ってはいけないけど、バスケットに入れられたパンを目にし、ついため息が出てしまった。


 寮で出される料理は美味しい。オムレツなどの卵料理や野菜スープ、ハーブを使った鶏肉料理なども申し分ない。


 だけど……パンがね、パンだけが残念なのよ! 


 硬くてモサモサしているシンプルなこぶし大の丸いパン。メフィラーナ国では定番のパンで、前世で例えるなら、位置づけは食卓ロールパンといったところだ。


「このパンを食べることのできない民が、大勢いるのですよ──もっ、申し訳ありません」


 私の何気ない呟きに、ルーシーの本音が零れる。


「そうよね、不用意なことを言ってしまったわ」


 生活に困っている人のためにも、私がパンを焼いてあげられたらな。


 いろんなパンを作って、食べた人たちを笑顔にできたら嬉しい。


「ねえルーシー、他にはどんなパンがあるの?」


 まさか一種類しかない、なんてことはないわよね~って、あれ? 実家であるカーライル公爵邸で食べていたパンも、ここのものとそう大差ないものだったような…… 


「どんな……と言われましても──」 


 ルーシーが口ごもる。

 私からの質問に虚を突かれている、ともいえるが。


 変なことを聞いてごめんなさい。一種類しかないのよね。考えてみれば、私の記憶を辿っても、このパン以外食べたことなかったわ。


「私の知っている限りですと、原料の小麦粉は、隣国からの輸入に頼っていますから、パンだけでなく、小麦粉を使った食べもの自体がこの国では贅沢品なのです」


 ゆえに、決まった使い道以外で消費しないという。


 失敗して、無駄にするわけにはいかないということなのね。


「そんなに高いの?」

 

 ルーシーによると、隣国のラーミス国が、専売特許と言わんばかりに、かなりの高値で取り引きを押し進めていくという。


「あくどいわね。だったら、自国で小麦を作ればいいんじゃないの?」

「それが……この国の気候が、小麦の栽培に適していないのです」


 過去に何度か栽培を試みたそうだが、うまくいかなかったらしい。


 あ……そういえば、国政の授業で習った気がする。あのときは夢だと思っていたから、聞き流していたけど。


 もしかして、日本と同じってこと? 


 確か小麦の自給率は低かったはずだ。私の記憶が正しければ、十三パーセントくらいだったと思う。高温多湿の気候は、小麦のもっとも苦手とする生育環境だとか。


「なるほどね。ラーミス国は小麦の名産地であることをいいことに、この国の足元を見てふっかけてくるってことなのね。でも、名産地というからには、さぞやラーミス国はパンの種類が豊富なのでしょうね!」


 食べてみたい、どんなパンがあるのかしら。パン職人を目指す者としての血が騒ぐわ!


「それはわかりませんが、この国のパンはラーミス国から伝わったものだと聞いています」


 そういえば、授業で先生が言ってたっけ。小麦粉の流通が始まって、まだ十年にも満たないって。


 そのきっかけとなったのは、ラーミス国が小麦粉を売り込むために、用途を惜しまず伝えてきたことからだそうだ。


 一度知ってしまえば、知らなかった頃には戻れない。多少高くても買い求めるだろうという、人の心理をついた作戦といったところか。


 パンの技術が低いのは、パンの歴史自体が浅いからだったのね。でもこれからは違う。前世の知識のある私がいるのだから! 


 ふ、ふ、ふ……私がこの世界の、パンの開拓者になってみせる!


 となれば、この世界の台所とはどの程度のものなのか。これは重要な問題だ。当然ながら、前世で使っていたような高性能のオーブンが存在するはずはない。温度調節もできなければ、タイマーだってないだろう。


 ガスコンロだってないわよね。どうやって料理してるのかな、この国の人たち。まき……とか? だったら、どうやって弱火とか中火とか、絶妙な火加減してるの?


 自分の記憶の中に、そういった知識がないことに私は愕然とする。


 そうか……私は公爵令嬢だものね。


 すべては使用人がすることで、自分がする必要はない。だから知らなくても問題なかった。


 でもこれからは違う。知識を得て、自分のパン屋を開くのだから。


「ねえ、ルーシー。私、パンを作ってみたいのだけど、寮の台所って使わせてもらえるのかしら」

「レ、レティシア様がパンをですか⁉」


 何を言い出すの、この令嬢は! なんてルーシーは言わないけど、目を見開いて口をぱくぱくさせていれば、心の叫びくらい想像はつく。


「そうよ。ずっと言い出せなかっただけで、やってみたいことがたくさんあるの」


 声を弾ませる私に、ルーシーは言いにくそうに口を開く。


「そうなのですね。ですが……寮の台所は、料理人の領域ですので無理かと」


 それもそうよね……私みたいな小娘に、神聖な職場を荒らされたくないと思うのは当然か。


「だったら、ルーシーの家は?」

「え! 私の家ですか⁉ とんでもありません、レティシア様をお招きできるような家ではありませんから──」


 ルーシーは、まさに驚愕といっていい顔をしている。


「それは、私が公爵令嬢だから?」

 平民の格好でお邪魔させてもらうつもりだと伝えてみる。


「その……幼い弟妹もいて、騒がしいかと」

「幼いって、いくつなの?」

「弟がもうすぐ九歳で、妹は先月七歳になりました」


 九歳といえば、前世の私の弟と一緒ね、親近感が湧くわ。


「もうすぐっていうことは、弟さん、誕生日が近いの?」

「はい、三日後です」


 三日後は土曜日で、学園も休みだ。


 お祝いしなきゃ! 


 とはいえ、お祝いをしたいからお邪魔させてと言ったところで、ルーシーは恐縮して断るだろう。


 だったら、当日に強行するっていうのはどうかな。うん、そうしよう! わ~、土曜日が楽しみになってきた。私、クッキー焼いちゃおうかしら。


 本当はケーキと言いたいところだけど、スポンジを上手に焼く自信がない。


「そう、もうすぐなのね。ところで、仕事はどうするの。その日はお休みにする?」

「いいえ、私が帰ったところで、何もしてやれませんので」


 一日休めば、その分給金が減るということ? 


 ルーシーの家は、よほどお金が必要のようだ。


「わかったわ。でも、休みたくなったら言ってね」


 そう言ってみたけど、ルーシーは苦笑を浮かべただけだった。

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