第11話 なんで私が魔王の生贄に?

 階段から落ちて三日目の晩。


 私はまだ、ベッドからは抜け出せていなかった。けれど、身体の痛みは多少残っているものの、熱はすっかり下がり起き上がっていられる時間も増え、思考も働くようになっていた。


「ルーシー、明日は一日、ゆっくり休んで」


 私はもう大丈夫。支えがなくても歩けるようになったから、食堂にも自分で行ける。そう伝えてみる。


 学園の敷地内にあるこの寮では、料理人が作った食事を、食堂で食べても部屋に持ち帰ってもいいことになっていた。


「ですが……」

 ルーシーは怯えているかのように、身体を竦めている。


 これは……もしかして、私が元気になった途端、また悪態をつくと思っているのかな?


 それとも、人は病気になると気が弱くなるっていうから、今の私がしおらしいのはそのせいだと思っているとか?


 自業自得だけど、ここまで怯えられるとヘコむな。


「ルーシーは、私のメイドになってどれくらい経つのかしら?」

「え、はい、半年になります」


 脈略のない質問に、ルーシーは戸惑いながらも答える。


「そう、半年も──」


 寮生活を始めるにあたり、私につけられた専属メイド。今までの中では、ルーシーが一番続いている。


 過去のメイドたちは、私の辛辣しんらつさに耐えられず、三ヶ月も持てばいいほうだった。


「よく私の専属メイドになんて、なろうと思ったわね。あなたも、私の噂は聞いていたでしょうに」


 性悪で、メイドをイジメては辞めさせる我が儘令嬢。使用人たちの間で、自分がそう囁かれていることは知っていた。


 それがなんだというの。好きに言えばいい。


 当時の私は、そう思っていたのよね。


「──」


 ルーシーは何も言わず、視線を彷徨さまよわせている。さすがに『噂どおりでした』、なんて言えるわけないか。


「実はね、段々と引っ込みがつかなくなっていたの」


 嘘をつくのは忍びないけど、これからは仲良くやっていきたいから許してね。


 私はゆっくりとベッドから身を起こし、伏し目がちにルーシーに語りかける。


「皆が私にびくびくするのよ。それが余計に、私をイライラさせるの」


 これは本当のことだった。

 とはいえ、その原因を作っているのは自分なんだけど。


「ルーシーが淹れてくれる紅茶、美味しくて好きよ。これからも、よろしくね」


 ルーシーがここに来た初日、私は彼女に酷いことをしていた。「こんな不味い紅茶、飲めないわ!」と怒鳴り、熱い紅茶が入ったままのカップを投げつけたのだ。


「レティシア様──」

 ルーシーが言葉を詰まらせる。


 彼女も初日の出来事を思い出しているのかもしれない。


「だから安心して。休んだからといって、あとからなまけたなんて言わないから」


 笑顔で言うと、ルーシーもふっと肩の力が抜けたようだった。


「では、お言葉に甘えさせていただきます」


 今夜はゆっくり考えたいことがあった私は、そのままルーシーを下がらせた。


「あれから三日か……」


 ベッドに身を倒し、自身の心に向き合ってみる。


 転生したのだと自覚して三日。私はレティシアでありながら、性格や思考は優衣のままだった。そのことにほっとするものの、十七年間この世界で生きてきたレティシアのことを思うと、複雑な気持ちでもあった。


 同じ魂でも、優衣にとってレティシアは、自分であって自分ではない。レティシアにとっても、優衣は自分であって自分ではない。


 でも、根っこの部分は同じ──


「私があなたの人生を生きることを、許してね」


 悪役のままで生きるより、断然いいと思うの。だって、悪役令嬢でいたら、破滅してしまうのよ? それに、冷たい感情のままで人生を歩み続けるなんて、悲しい気がして──


 だから、いいわよね? 私、誓うから。夢と希望に満ちた、素晴らしい人生を歩むことを。


「レティシア……うんん、この世界で生きてきた過去の私へ──あなたが見てきた景色や歩んできた道のりは、ここにちゃんとあるからね」


 だからあなたは消えたりしないと、私は胸に手を置く。


 二人の記憶と感情が、うまく融合した感覚はある。なのに少しだけ、拭えない違和感が残っていた。


「胸の一部に、ぽっかり穴が空いてる気がするのよね……」


 もしかして、七歳以前のレティシアの記憶が思い出せないからかな。


 懸命に記憶をさかのぼるものの、どうしても思い出せなかった。断片的ですらも。

 何かが引っかかる。大事なことを、忘れているのではないかと。


「考えすぎかな」


 小さいころの記憶を思い出せないことは、ままあること。ましてや大きくなればなるほど思い出せなくなるものだろう。優衣の記憶でも、思い出せるのは、精々五歳以降だ。


 過去を気に病んでも仕方ないか、それよりも──


 私はレティシアとして、今後をどう挽回していくかを考える。


「もう、性悪なんて言わせないわ。悪役だって、返上するんだから。でもここって、乙女ゲームの世界なのよね……」


 ということは、ストーリーがあるわけで。 


「ちょっと待って、レティシアって、最終的にどうなるんだっけ⁉」


 実際にプレイした中で目にしたのは、両親から勘当されて路頭に迷い破滅。それから、両親から見放され、隣国のスケベ男爵に嫁がされ破滅。あとは屋敷から出してもらえない、などの軽い罰を受ける程度だった。


「これくらいの破滅なら、なんとかなるんじゃない?」


 だって、勘当されたとしても、私は路頭に迷うことはないと思う。パン職人に弟子入りして、生きていけるから。スケベ男爵に関しては、嫁入り前夜にでも逃亡すればいい。逃亡したあとは、やっぱりパン職人を目指すだけだし。 


 それに、もうディアナに意地悪するつもりはない。他の誰にも。だから、破滅なんてしないはずだ。


 なんて、楽天的なことを考えていた私だったけれど。


「あれ、今、すごーく嫌な記憶が蘇ったような……」

 

 私は思い出してしまった。ネット上に流れていた、レティシアアンチの人たちの会話を。


『もっと破滅すればいいのに、レティシア』

『それな』

『私、凄い情報持ってる』

『何? 知りたい!』

『レティシア、魔王の生け贄。WWW』

 といものだ。


「魔王の生け贄って……どういうこと? まさか、ドクロステージーーー⁉」


 私は勢いよくベッドから起き上がる。


 すでにプレイした人がいたんだ。いいな、私も攻略してみたかったのに。


 なんて悠長ゆうちょうなことは言っていられない。

 何せ私は、リアル『フラッター・ラブアフェア』の世界に転生してしまったのだから。


 困る困る困る!


 生け贄になんてされたら、パン職人になれないじゃない! 私の夢はどうなるのよ。それになんで私が魔王の生贄にされるわけ? 理不尽極まりないわ! 


 ……って、やっぱり悪役令嬢だからよね。


 あ……でも、ドクロステージが開放されなければいいのでは?


 だったら大丈夫なはず。何せここは、リアル乙女ゲームの世界。攻略対象全キャラコンプリートなんて、あり得ないだろう。


 な〜んだ、余計な心配だったかも。攻略対象残り三人全員と、ヒロインが恋人同士になるわけないものね。ディアナが浮気性なら別だけど、いい子だから、それはない! 


 はぁ~、よかった。ドクロステージだなんて、自分が暮らす世界には不要。平和が一番よね。めでたしめでたしだわ。


 なんて思っていたのも束の間。


「うん? そういえば私、夢だと思って好き放題したような……」


 しかも、悪役感たっぷりに。


 マズイマズイマズイマズイーーー!


 二組のカップリングをしてしまってるじゃない、私! まさか、カウントされたりしてないよね──


 相手はディアナではない。だからメーターは五十パーセントのままのはず。


 そう思うものの、胸が妙に騒ぐ。もし、五人攻略したことになっているとしたら──

 

 開放条件がカップル成立率だと仮定すれば、あり得なくはない。

 

 ということは……

 

 クリストフがディアナと恋人同士になってしまうと、ドクロステージへ進んでしまうのでは?


 イヤーーー! 


 魔王の生贄にされるなんて、絶対にイヤ! 私はパンの焼ける香ばしい匂いに包まれて暮らしていきたいのよ!

 どうする? どうすれば、ドクロステージ開放を回避できるの。


 私は両手で頭を抱える。


 自分の推測が当たっていると決まったわけではないけど、不安要素は消しておくに超したことはない。


 そうなると打つ手は……早々に、ライナスかルークあたりをディアナとくっつけちゃう?


 一番の安全策は、クリストフに恋人を作らせないことだ。だけど……クリストフの幸せを奪うことなんてできない。


「どうしたらいいのよ──」


 クリストフ次第で、私は魔王の生け贄にされてしまう。


「でもでも、それは悪役令嬢だからよね」


 悪役令嬢でなくなれば、回避できるに違いない。希望を持とう!

 まあ私的には、もう悪役令嬢じゃないんだけど。


 とはいえ、現状周りの人たちにとって私は、悪役以外の何ものでもない。さんざん悪行の限りを尽くし、自分でそうすり込んでしまったのだから。


「地道に払拭していくしかないか」


 でも、急に善人になったら怪しまれるかも。裏がありそうだって。


 以前の高慢なレティシアも出しつつ、じわじわと善行をしていくのはどうだろう。現にルーシーの私に対する感情は、変化しつつあると思う。


「焦らず、少しずつ私の変化を受け入れてもらおう。そのほうが自然よね」


 それに、今まで嫌な思いをさせてしまった人たちのことを思えば、「改心したから、もう今日から私のことを悪く思わないでね」なんて、虫のいい話しだ。


「汚名返上の道は、一日にして成らず、だわ」


 とにかく、受け入れてもらえるまで頑張るしかない。


 夢を叶えるためにも──

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