第10話 予期せぬ訪問者

 翌日、夕刻になってもまだ熱は下がることなく、私はベッドから起き上がれずにいた。


「レティシア様、お加減はいかがですか」

「水を──」


 そう答えると、ルーシーが吸い飲みを口元に当ててくれる。


「何か召し上がれそうですか?」

「いらないわ」


 昨晩から何も食べていないけど、食欲が湧かない。それにまだ、頭にもやがかかっているようで、思考は鈍ったままだ。


「スープでも、喉を通りませんか?」

「気遣いありがとう、ルーシー。でも本当に、何もいらないわ。それより、あなたも疲れているでしょう? いいのよ、休んでも」


 昨晩からずっと看病してくれているルーシーは、目の下にうっすらクマがあり、疲労の色が窺える。


「いいえ、熱が下がるまでは」

「もう大丈夫よ。お医者さまも、そう言っていたでしょう」


 お医者さまの話しでは、頭を強く打ち付けたせいだろうとのことで、安静にしていればその内に熱は下がるはずだと説明があった。


 私的には、熱の原因はレティシアの持つ心の闇に打ち勝ったものの、前世の自分と今世の自分、両方の記憶があることで、魂が混乱しているのではないかと思っている。


 どうやって打ち勝ったのかって?

 それは……私にもよくわからなくて。ただ、朝になり目が覚めたとき、優衣ゆいが前面にいたから勝てたのかなって思っただけで。


「そうはおっしゃいますが、まだお一人では起き上がれないのですよ」

「それは、身体に力が入らないだけよ」 


 幸いなことに、骨に異常はなかった。とはいっても、打ち身による痛みが肩や足腰など、身体の至る所にはあるけれど。


「だったら、仮眠だけでもとって。ルーシーに倒れられたら、それこそ私が困るのよ」

「レティシア様……」


 急に気遣いを見せ出した私に、ルーシーは夢でも見ているのでは? という呆けた顔をしている。


「あのね、ルーシー。私──」


 これまでの非道を謝ろうとしたときだった。ドアがノックされ、「クリストフだ。レティシアに面会できるだろうか」と声がかけられる。


「レティシア様、いかがなさいますか」


 なぜクリストフが? とは思うものの、これから関係を修復していきたい私は、部屋に通すことにした。


「レティシア……」

 ベッドに近づいてきたクリストフは、無表情で私を見下ろしていて感情が読み取れない。


 私のこと、嫌っているのにどうして来たのかしら。


 昔から、クリストフの私を見る目には、責めるような冷たさを感じることが多くあった。あの悪役ぶりでは、無理もないことだけれど。


「このような姿で、申し訳ありません」

 王子を前に、パジャマ姿だ。


「いや、気にする必要はない」


 そう言ってクリストフは、おもむろに白い手袋を外し、熱で火照った私の頬にそっと手の甲を当てた。


 な、何⁉ ちょっと、どきどきしちゃうじゃないの!

   

 でも……ひんやりして、気持ちいい手──


 そう思った途端、なぜか胸が締めつけられる。おまけに熱が上がったのか、顔の火照りが増す。その様子にクリストフは何を思ったのか、「口を開けろ」と言う。戸惑い迷っていると鋭く睨まれてしまい、私は恐る恐る口を開けた。


「これでも口に入れておけ」

 クリストフは指先から、球状の物体を出現させた。それを私の口に含ませる。


「ん──ちゅめたい……」

 それは氷だった。


 そっか、クリストフって、氷属性だものね。


 次いでクリストフは、水の入った容器にも氷を出現させる。

 それを見たルーシーは、私の額に乗っているタオルを取り、冷たい水に浸した。


 あぁ……生き返る。


 額に乗せられた冷たいタオル。


「クリストフ殿下、ありがとうございます」

「っ──! どうした、レティシア。熱でもあるのか……いや、熱はあるんだが」


 微笑みを向け、お礼を言っただけなのに、クリストフははっとしたように目を見開いた。


 私が素直だと、そんなに驚くの? 


 改めて自分がどう思われているのかを思い知る。


「私はこれで失礼する」


 私が自嘲のため息を漏らすと、クリストフはすぐに真顔に戻る。そしてもう用は済んだとばかりに部屋を出ていってしまった。


 まさか、私に氷を?


 それだけの理由で、わざわざ寮に来てくれたなんて。


 でもどうして…… 


 悪役令嬢とはいえ、病人には優しくなれる。そういうことだろうか。


「お優しいですね、クリストフ殿下」

「そうね──」


 乙女ゲームでは難攻不落なクリストフだったけど、これからは少しずつ、打ち解けていけるといいな──


 そんなことを考えながら、私は知らずうつらうつらと、また眠りに落ちていった。

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