第5話 なんで私が魔王の生け贄に
階段から落ちて三日目の晩。
私はまだ、ベッドからは抜け出せていなかった。けれど、身体の痛みは多少残っているものの、熱はすっかり下がり起き上がっていられる時間も増え、思考も働くようになっていた。
「ルーシー、明日は一日、ゆっくり休んで」
私はもう大丈夫。支えがなくても歩けるようになったから、食堂にも自分で行ける。そう伝えてみる。
学園の敷地内にあるこの寮では、料理人が作った食事を、食堂で食べても部屋に持ち帰ってもいいことになっていた。
「ですが……」
ルーシーは怯えているかのように、身体を竦めている。
これは……もしかして、私が元気になった途端、また悪態をつくと思っているのかな? それとも、人は病気になると気が弱くなるっていうから、今の私がしおらしいのはそのせいだと思っているとか?
自業自得だけど、ここまで怯えられるとヘコむ。
「ルーシーは、私のメイドになってどれくらい経つのかしら?」
「え、はい、半年になります」
脈略のない質問に、ルーシーは戸惑いながらも答える。
「そう、半年も──」
寮生活を始めるにあたり、私につけられた専属メイド。今までの中では、ルーシーが一番続いている。
過去のメイドたちは、私の辛辣さに耐えられず、三ヶ月も持てばいいほうだった。
「よく私の専属メイドになんて、なろうと思ったわね。あなたも、私の噂は聞いていたでしょうに」
性悪で、メイドをイジメては辞めさせる我が儘令嬢。使用人たちの間で、自分がそう囁かれていることは知っていた。
それがなんだというの。好きに言えばいい。
当時の私は、そう思っていたのよね。
「──」
ルーシーは何も言わず、視線を彷徨わせている。
さすがに『噂どおりでした』、なんて言えるわけないか。
「実はね、段々と引っ込みがつかなくなっていたの」
嘘をつくのは忍びないけど、これからは仲良くやっていきたいから許してね。
私はゆっくりとベッドから身を起こし、伏し目がちにルーシーに語りかける。
「皆が私にびくびくするのよ。それが余計に、私をイライラさせるの」
これは本当のことだった。
とはいえ、その原因を作っているのは私自身なんだけど。
「ルーシーが淹れてくれる紅茶、美味しくて好きよ。これからも、よろしくね」
ルーシーがここに来た初日、私は彼女に酷いことをしていた。「こんな不味い紅茶、飲めないわ!」と怒鳴り、熱い紅茶が入ったままのカップを投げつけたのだ。
「レティシア様──」
ルーシーが言葉を詰まらせる。
彼女も初日の出来事を思い出しているのかもしれない。
「だから安心して。休んだからといって、あとから怠けたなんて言わないから」
笑顔で言うと、ルーシーもふっと肩の力が抜けたようだった。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
今夜はゆっくり考えたいことがあった私は、そのままルーシーを下がらせた。
「あれから三日か……」
ベッドに身を倒し、自分の心に向き合ってみる。
転生したと自覚して三日。私はレティシアでありながら、性格や思考は優衣のままだった。そのことにほっとするものの、十七年間この世界で生きてきたレティシアのことを思うと、複雑な気持ちでもあった。
同じ魂でも、優衣にとってレティシアは、自分であって自分ではない。レティシアにとっても、優衣は自分であって自分ではない。
でも、根っこの部分は同じ──
「私があなたの人生を生きること、許してね」
悪役のままで生きるより、断然いいと思うの。だって、悪役令嬢でいたら、破滅してしまうのよ? それに、冷たい感情のままで人生を歩み続けるなんて、悲しい気がして──
だから、いいわよね? 私、誓うから。夢と希望に満ちた、素晴らしい人生を歩むことを。
「レティシア……うんん、この世界で生きてきた過去の私へ──あなたが見てきた景色や歩んできた道のりは、ここにちゃんとあるからね」
だからあなたは消えたりしないと、私は胸に手を置く。
二人の記憶と感情が、うまく融合した感覚はある。なのに少しだけ、拭えない違和感が残っていた。
「胸の一部に、ぽっかり穴が空いてる気がするのよね……」
もしかして、七歳以前の記憶がないからかな。
懸命に記憶を遡るものの、どうしても思い出せなかった。断片的ですらも。
何かが引っかかる。大事なことを、忘れているのではないかと。
「考えすぎかな」
小さいころを思い出せないことは、ままある。ましてや大きくなればなるほど思い出せなくなるものだろう。それは優衣でも同じで、思い出せるのは精々五歳以降だ。
過去を気に病んでも仕方ないか、それよりも──
私はレティシアとして、今後をどう挽回していくかを考える。
「もう、性悪なんて言わせないわ。悪役だって、返上するんだから。でもここって、乙女ゲームの世界なのよね……」
ということは、ストーリーがあるわけで。
「ちょっと待って、レティシアって、最終的にどうなるんだっけ⁉」
実際にプレイした中で目にしたのは、両親から勘当されて路頭に迷い破滅。それから、両親から見放され、隣国のスケベ男爵に嫁がされ破滅。あとは屋敷から出してもらえない、などの軽い罰を受ける程度だった。
「これくらいの破滅なら、なんとかなるんじゃない?」
だって、勘当されたとしても、私は路頭に迷うことはないと思う。パン職人に弟子入りして、生きていけるから。スケベ男爵に関しては、嫁入り前夜にでも逃亡すればいい。逃亡したあとは、やっぱりパン職人を目指すだけだし。
それに、もうディアナに意地悪するつもりはない。他の誰にも。だから、破滅なんてしないはずだ。
なんて、楽天的なことを考えていた私だったけれど。
「あれ、今、すごーく嫌な記憶が蘇ったような……」
私は思い出してしまった。ネット上に流れていた、レティシアアンチの人たちの会話を。
『もっと破滅すればいいのに、レティシア』
『それな』
『私、凄い情報持ってる』
『何? 知りたい!』
『レティシア、魔王の生け贄。WWW』
といものだ。
「魔王の生け贄って……どういうこと? まさか、ドクロステージーーー⁉」
私は勢いよくベッドから起き上がる。
すでにプレイした人がいたんだ。いいな、私も攻略してみたかったのに。
なんて悠長なことは言っていられない。
何せ私は、リアル『フラッター・ラブアフェア』の世界に転生してしまったのだから。
困る困る困る!
生け贄になんてされたら、パン職人になれないじゃない! 私の夢はどうなるのよ。それになんで私が魔王の生贄にされるわけ? 理不尽極まりないんですけど!
……って、やっぱり悪役令嬢だからよね。あ……でも、ドクロステージが開放されなければいいのでは?
だったら大丈夫なはず。何せここは、リアル乙女ゲームの世界。攻略対象全キャラコンプリートなんて、あり得ないだろう。
な〜んだ、余計な心配だったかも。攻略対象残り三人全員と、ヒロインが恋人同士になるわけないよね。ディアナが浮気性なら別だけど、いい子だから、それはない!
とは思うものの……破滅回避の確固たる安全対策をしておきたい。
ふ、ふ、ふ……そうだわ、ルバインとヴィクトルを誰かとくっつければいいのよ! そうすれば、ディアナと恋人同士になることはないし。冴えてるわ、私。でも、誰とカップリングしようかしら。あ、前世で常々考えていたあれ、試してみちゃう?
私の勘がイケると告げている。
うん、そうでないと困るのよ。魔王の生贄にされるというバッドエンドだけは、回避させてほしい。私はパンの焼ける香ばしい匂いに包まれて暮らしてい!
それにはもう一つ、欠かせない要素がある。
攻略対象からの好感度を得なければ!
現状、私の好感度はゼロ。いや、ゼロどころかマイナスだ。私は周りの人たちにとって、悪役以外の何ものでもないのだから。
「でも、急に善人になったら怪しまれるかも。裏がありそうだって」
自分で言っておきながら、悲しくなる。自業自得だから仕方ないけど。
だったら、以前の高慢な私も出しつつ、じわじわと善行をしていくのはどうだろう。現にルーシーの私に対する感情は、変化しつつあると思う。
「焦らず、少しずつ私の変化を受け入れてもらおう。そのほうが自然よね」
それに、今まで嫌な思いをさせてしまった人たちのことを思えば、「改心したから、もう今日から私のことを悪く思わないでね」なんて、虫のいい話しだ。
「でも私には、秘策があるのよね~」
私は彼らが言ってほしい言葉を知っている。
ヒロインには申し訳ないけど、ちょっと
その分、美味しいパンで恩返しさせてもらうから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます