第3話 二人の感情と記憶

 なんて酷いことをしてきたのよ、私は──


 ヒロインである聖女のディアナを陰湿にイジメるのはもちろん、カーライル家の使用人を貶めては辞めさせること数十人。果ては王子様にまで悪態をつく始末。


 信じたくないよ、あんな冷酷な私──


 自分で言うのもなんだけど、優衣は明るく元気な女の子だった。友人には、「自由奔放だよね、優衣は」とも言われていたけど。


 それがどうして生まれ変わると、超絶性格の悪い令嬢になってるの?


「そっか……転生したからって、同じ性格の人間として生まれるわけじゃないってことなんだ」


 たとえ魂は同じだとしても──


 育った環境も違えば姿も違うのだから、同じ人格に形成されるとは限らない。


 なんだか変な感じ。優衣とレティシア、二人の感情と記憶が、頭と心の中で混在しているみたいで。


 そうはいっても、性格のほうは限りなく優衣のものになっていた。それでも公爵令嬢としての言葉遣いや作法は、自然にできると思える。レティシアが培ってきたものが、この身体に染みついているからだ。


「ゲームをしていたときは、何をどうすればここまで性悪になれるのか不思議に思っていたけど……やっぱり不思議」


 記憶を辿っても、何も思い当たるような出来事はなかった。両親に特別に甘やかされてもいないし、逆に折檻なども受けていない。


「あれ……でも──」


 私の評判が悪いことは、当然両親も知っているはずで。なのに、咎められたことが……ない? 見放されていたのだろうか。何を言っても無駄だと。


「う~ん、それは違う気がするんだけどな」


 だって私は、両親に冷たくされたことなんてなかったもの。


「じゃあなんで、性格があんなにも歪んで──」


 いつだって、会話を持ちかけてくるのは両親のほうだった。コミュニケーションを図ろうとしてくれていたのに、冷めた返事をしていたのは私。


 わからない。私って、何を思って過ごしていたの。 


 以前の自分の心を感じようとしたときだった。


「な、何? この冷たくて……重く暗い感情は──」


 身の内から凍えてしまいそうなほど、冷めた感情。

 温かみのない心は、何かが抜け落ちているような綻びを感じる。


 言い表すとするなら、闇──闇が心を覆っている気がした。


 もしかして、以前の私は愛情を感じ取る心自体を持っていなかったの……? 


 記憶を辿れば辿るほど、それは明確になった。どれだけ周囲の人たちに親切にされても、両親に愛情を注がれても、正の感情が動いていなかったからだ。

 そのことに気づけたのは、優衣として生きてきた経験や体験から得た感情の記憶が蘇ったからだろう。

 その反面、妬みや憎しみといった負の感情には、過剰なほど反応していた。


 なんなの、私──


「あ……」 


 不意に、レティシアと優衣の持つ感情とが、一つに融合しようと渦巻いているような気がした。というよりも、せめぎ合っている?


 ダメ──!

(ダメ──!)


 レティシアの持つ暗く冷たい感情に、主導権を握られてはいけない。瞬時にそう思った。それはレティシア自身の願いでもあるような気がして。


 何? 身体が凄く熱い。頭も……金槌かなづちで叩かれてるみたいにガンガンするわ。


 呼吸も苦しく、はぁ、はぁと熱い息が漏れる。

 このまま一人で一晩を過ごさないといけないと思うと、心細く不安になってくる。それに、レティシアの闇の感情が侵食してきて、優衣の良心が闇色に染まってしまったらと思うと怖い。


 もし染まってしまったら、私は冷酷なことを躊躇することなく繰り返すだろう。


 嫌だ、そんなことしたくない。


 そう慄いたときだった。


「あの、レティシア様……やはりお一人にするのは心配で」


 もう休んでいるはずのルーシーが、戻って来てくれた。

 私の苦しそうな様子に気づくと、ルーシーは急いで寮駐在のお医者さまを呼びにいく。


 ルーシー……あんなに辛く当たっていたのに、心配してくれるの?


 私は毎日のように、ルーシーに罵声を浴びせていた。しかし彼女は仕事と割り切って、苦痛だろうと耐えていた。辞めたくてもそうできない理由が、ルーシーにはあった。実家が貧しくて、まだ十六歳だというのに、家族のために稼がなければならなかったのだ。


 茶色の髪に、赤茶色の目。美人ではないけど、笑えば愛嬌のある顔立ちだと思う。思う……というのは、ルーシーが笑うところを見たことがないから。


 今までごめんね、ルーシー。


 いつの間にか無表情になってしまったルーシー。そうさせてしまったのは私だ。感情を消さないと、悪役令嬢のメイドなど務まらなかったのだろう。

 ルーシーに笑顔を取り戻させてあげなければ。そのためにも、私は闇に負けるわけにはいかない。悪役令嬢に戻るわけにはいかないのだ。


 でも、どうやって打ち勝てばいいの……呑み込もうとしてくる黒い何かに。


 策を考えなければならないのに、熱で意識が朦朧として思考が働かない。

 だから私は、ひとつだけを念じ続ける。『皆を笑顔にしてあげたい』、と。

 そうしていないと、意識を失いそうで怖くもあった。


 眠りたくない。もし目覚めたとき、優衣が消えていたらと思うと。


 しかし──


 ルーシーがお医者さまを連れて戻るころには、完全に私の意識はブラックアウトしてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る