第2話 転生したってこと!
「っ──⁉」
身動ぐと、身体中にズキンと痛みが走った。中でも頭が一番痛い。
「……ア様! 気がつかれてよかった──」
「ん……?」
耳慣れない声にゆっくりと目を開けると、白い天井がぼやけて見えた。何度か瞬きを繰り返すと、次第に鮮明に見えてくる。
あれ? 家の天井って、こんな色だったかな。それにこのベッド、いつもより寝心地がいい気もする。
自分がベッドに寝ているのはわかる。でも、寝過ごすといつも私を起こしに来てくれるのは、お母さんだ。なのに、傍らから聞こえてきた声は誰のもの?
声のした方に視線を向けると、私を見下ろす同じ顔が二つあった。漆黒の髪を二つに分けて、高い位置で束ねたツインテールだ。
私はまだぼんやりする頭で考える。
この顔、見たことあるんだけどな……あ、このキャラって、私がはまってる乙女ゲームの!
目の色でしか見分けられないほどそっくりな双子で、悪役令嬢レティシアの取り巻きだ。黄土色の目をしているのが姉のメーベルで、宝石のペリドットのような緑の目が妹のビアンカ。
でもどうして……夢でも見ているのかしら?
寝る前に、ゲームをしていたからだろうかと考える。
「レティシア様……? どこか痛むのですか?」
状況が掴めず無言でいると、心配げな声で問われる。
うん……? 私、今レティシアって呼ばれなかった?
「何がどうなって……」
私は戸惑いの声を漏らす。
「レティシア様、申し訳ありません。私が階段を上がるレティシア様に声をかけたばかりに」
メーベルが顔を手で覆い、泣き出す。その傍らで、妹のビアンカは姉の肩を抱き、「姉の罪は私の罪」と言って涙ぐんでいる。
「っ──!」
大丈夫だからと起き上がろうとすると、頭に大きな石がガツンと落ちてきたような痛みが走った。と同時にフラッシュバックしたものは、あまりにも鮮明で。
何……この記憶。
私は結衣のはずなのに、結衣ではない記憶があった。
それは、ルバインに婚約破棄され、苛立ちからさっさと舞踏会場を出て寮に帰ってきたという記憶。階段途中でメーベルに呼び止められたのも覚えている。
そして、振り向いたときヒールの踵が折れてバランスを崩し転落した。
いやいや、きっと夢よ。ゲームの続きの夢を見ているんだわ。
でも……階段から落ちた瞬間、瞼の裏に映った事故のワンシーンのような映像って──
『ヤバイ、あと三分しかない!』
新学期早々、遅刻なんてしたくない。
『もー、なんでホームが向こう側なのよ』
改札口からすぐの、一番ホームだったらよかったのに。
『一段飛ばしでいっちゃえ!』
ちんたら階段を上がっていたら間に合わないと、私は大股で駆け上がる。
そして最後のひと踏みというときだった。私が足を踏み外したのは。
そうよ……私はあちこち身体をぶつけながら一気に下まで転げ落ちて、頭を強打したんだったわ。
もしかして……私はあのとき、死んでしまった?
と、いうことは。
「やっぱり、許しては貰えませんよね……レティシア様」
「レティシア様、お姉様をお許しください」
レティシア、レティシアって、もう嫌な予感しかしない。
「鏡……鏡を持ってきて!」
声を張り上げる私に、二人はびくりと肩を震わせた。
「ど、どうぞ。お顔に傷などありませんので、安心してください」
びくびくしながら手鏡を渡される。もしかしたら、『どうしてくれるのよ!』と怒鳴られると思っているのかもしれない。
そんなことを気にしているわけじゃなくて!
私はベッドに寝たまま、恐る恐る鏡に自分の顔を映す。
こ、これは──
自分の顔を凝視する。
紺藍の髪、苺色の目、桜色の小さな唇、白い肌……頭に包帯を巻いているけど、なんて美人なの! なんて言ってる場合か!
間違いなくレティシアだ。悪役令嬢レティシアだーーー‼ 転生なの? 乙女ゲームの世界に転生したってこと⁉
私は自身の手を目前に翳す。手の甲、手のひら、何度もひっくり返し眺める。
傷一つない、綺麗な手だった。節の目立たない、すらりとした手。火傷の跡もなければ、肉厚な手でもない。パンなど作ったこともない華奢な手が、そこにはあった。
夢じゃ……ないのね。
これまで生きてきたレティシアの記憶が、私の中にちゃんとあった。これは他人の記憶が流れ込んできたという感覚ではない。となれば、私が突然レティシアの身体に入り込んだ憑依、というわけではないということ。
どうしよう。私が前世で積み上げてきたパン作りの技術って……まさか失われてたりする? って、気にするとこ、そこ⁉
そう自分に突っ込みたいところだけど、私にとっては重要なことだった。
「どうかなさいましたか、レティシア様」
呆然とする私に、メイドのルーシーが遠慮がちに問いかけてくる。
レティシア様──か。私……もう、優衣じゃないんだ。
だからって、なんで? なんで転生先が、乙女ゲーム『フラッター・ラブアフェア』の世界なのよ! しかも、悪役令嬢レティシアって──
どうせなら、男でもいいからパン職人に転生させてくれればよかったのに。
神様の意地悪──
「なんでもないわ。今は……夜なの?」
ベッド脇の台に置いてあるランプの中で、炎が静かに揺れている。
「真夜中を迎える時分かと」
「そう……頭も痛むし疲れたわ。もう下がってちょうだい。灯りはそのままにしておいて」
私は早々に、退室を促す。自分を心配して、遅い時間にも関わらず付き添ってくれていた人に対して素っ気ない態度ではあったけど、今の私には人を気遣う余裕がなかった。自分の現状を受け止めるだけで、精一杯だったから。
ルーシーはそんな私の態度には慣れているのか、メーベルとビアンカを促し部屋から出ていく。
「ちょっと頭を整理しないと」
大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせる。
異世界転生──本当にあるなんて、びっくりだわ。
それよりも、十七歳で生涯を終えるなんてついてない。しかも新学期初日に、階段から落ちるとか不運にもほどがある。
充実した日々を送っていたのにな。
優しい両親に、年の離れた弟。そして凄腕のパン職人になって、たくさんの人を笑顔にするという夢だってあった。
「うん? よく考えたら、悪役令嬢とはいえ、また生まれて来られたんだから、夢を諦める必要ってなくない?」
そうよ! 落ち込んでる場合じゃないわ。悪役令嬢に転生? それがなんだっていうのよ。世界は変わろうとも、パンは作れるじゃない!
知識はちゃんと頭に残っている。だからきっと、夢は叶えられる。
と前向きなのは、私の長所ではあるんだけど、そう楽観視はできなかった。
ど、どうしよう。そういえば私って、悪行三昧してたんだった!
悪役令嬢とはいえ、その数々はゲーム内の出来事なんて比じゃないくらいの悪行だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます