それぞれの道

涙のフランス行きを1週間後に控えて、Lacocoでは未有が次期チーフとして店を支える為に奮闘していた。

1階のKiritoでも、笑輝は仕事に没頭し、腕を上げていった。


「笑輝君、腕が上がってるのはスゴイけど・・・なんかちょっと怖いよね・・・」


りことわかばは笑輝の顔を見る。

笑輝は自分では気づいていなかったが、あまり笑わなくなっていた。


「ありがとうございました。またご利用くださいませ。」


それに対して、今井はフランス行きを1週間後に控えて嬉しそうだった。


「今井さんは嬉しそうね。そりゃそうよね。

今井さん、ここに来て10年経つもん。ようやく自分が店長としてやれるって、相当嬉しいわよ。」


その頃、涙にそっくりな中年女性、涙の母が2階に上がって行った。


ガチャ


「いらっしゃいませ。こんにちは。」


受付の女性が対応する。

店の奥の休憩室で、オーナーと涙と未有は今後の引き継ぎや、ミーティングをしていた。

部屋の外では大声で、何かを騒いでる声がする。


「オーナー、大変です。涙さんのお母様っていう方がみえて、騒いでます!」


受付の女性が慌ててドアを開けた。


――お母さんが!?


3人は急いで部屋をでると、そこには母親が、エステティシャンともめていた。


「みんな、ありがとう。お客様の所に戻って。」


紗友美は他のエステティシャン達を施術室に戻らせた。


「私はこちらでオーナーを務めております。

浅野と申します。

お話でしたら、奥でお伺いいたします。」


母親は、涙を見るとニヤリと笑った。


「ここで充分です。うちの娘がお世話になっていると聞いたものですから、ご挨拶に伺っただけです。」

「お母さん・・・」


前に出ようとする涙を、紗友美は止めた。


「未有ちゃん、奥でさっき教えた事、確認してきて。」

「は、はい。わかりました。」


未有が休憩室に入るかどうかで、母親は叫んだ。


「娘の涙が、この度は、愛人騒動を起こし、本当に申し訳ありませんでした!」


「愛人・・・?」


未有は驚いて振り返る。


「私も最近知ったんですが、何人もの男達と愛人契約をして高額の料金を払わせて、売春をしてたみたいで!そのうちの1人の元妻から今、慰謝料を請求されてるんですよ!

その事で、こちらにご迷惑をおかけしてないかと思いまして!」


母親は店中に聞こえるような大声で言った。


涙は悔しさと恥ずかしさで手を握りしめ、顔は紅潮した。

紗友美は表情を変えずに答えた。


「お客様、どなたかと勘違いしてませんか?うちの涙は永年、エステティシャンとして真面目に働いてくれて、こちらとしても、大変信頼している子です。

お客様の言われるような事は一切ありません。」


柔らかく丁寧に答えると、母親は鼻で笑った。


「何をわかったような事言ってるんだか。この涙って女は・・・」

「恥をしりなさい恥を!!」


紗友美は、母親の言葉を遮った。


「おたくは本当に涙の母親ですか?本当の母親が、こんな公の場で、なんの為に娘を侮辱するんですか!我が子を侮辱するのは、自分の恥を周りにさらしてるのと一緒ですよ!」


紗友美は静かに、けれど力強い口調で続けた。


「あなたが、どれだけの年月、涙と一緒にいて、彼女の何を知っているのかわかりませんが、私はこの9年、涙をずっと近くで自分の娘のように見守っていましたが、こんなに真面目で優しくて可愛らしいは、滅多にいません。

私は自分に子供がいないものですから、勝手に涙を娘として重ねて見ていました。

娘のように可愛い涙を、これ以上侮辱する事は許しません!」

「・・・・」


母親は何も言えずに、涙を見た。

その瞳は、何かを訴えかけるような、何かにすがるような、なんとも言えない悲しい瞳だった。


「お引き取りください。」


涙は母親の情けない姿を直視できなかった。


「バカな人ね!こんな人達が働くサロンなんて、潰れるわよ!」


そう吐き捨てると、勢いよく出ていった。


サロンは静かさを取り戻したが、涙はいたたまれない気持ちだった。


「クレーマーもいい加減にしてほしいわよね!」


施術を終えたお客様の1人が、他の人に聞こえるように、わざと大きな声で言った。


「こんなにいい人達ばっかのサロンになんて事言うのかしら!涙さん、綺麗すぎるって大変よね!」


温かいお客様達に救われ、オーナーも涙も笑顔を取り戻した。


「涙ちゃん、ちょっと・・・」


涙と紗友美は外に出る。


「あんな事言ってしまったけど、涙さん、お母様に何か言いたい事があったら、言ってきていいわよ。何年も会ってなかったんでしょ?」


涙は少し迷ったが、紗友美に促され、母親を追いかけ走った。


母親は1人、うなだれながら歩いた。


「何よ。あたしの子なのに、偉そうに。

あたしが頑張って育てたのに、どれだけ頑張って働いて育てたか・・・!」

「お母さん!」


母親は、その声に驚いて立ち止まる。


「待って、お母さん!」


振り返ると、涙が息を切らしながら走ってきた。


「何よ。まだ何か偉そうに言いたいの?

あんたはいいわね、優しい彼氏、優しい上司に囲まれて。人の夫を取ったのはホントなのに。」


母親は寂しそうに横を向く。


「お母さん。産んでくれて、ありがとう。」

「え・・・?」

「産んでから、殺さないで育ててくれたのは、お母さんなりの愛情だと思ってるから・・・。」

「・・・・」


涙はそれだけ言うと、また走ってサロンに戻った。

母親は、黙って涙の後ろ姿を見送った。


そして1週間後、涙のフランスに旅立つ日がきた。








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