幸せの選択

「おはよう。涙ちゃん。気分はどう?」


午前11時。

涙の母親が病室に現れた。


――はぁ。しつこいわね。


涙はため息をつく。


「慰謝料の件、考えてくれた?できれば実の娘相手に弁護士挟んでのやりとりなんてしたくないの。」


涙はそっぽを向く。


「なんであんたにお金なんて払わないといけないのよ。」


母親は驚いたように目を丸くする。

涙とそっくりな大きな丸い瞳だ。


「あなたがあたしの夫と不倫したせいで、あたしは離婚したのよ。会社社長の妻として、不自由無い生活してたのに、あなたのせいで夫は逮捕、会社は倒産。それなのに、あなたは責任を取らないの?」

「あたしの責任?契約を結んだのは、あんたの夫よ?あたしはビジネスであんたの夫の相手をしてただけ、それを勝手にあの男が逆上して、あたしを監禁して暴力を振るった。

逮捕されたのも、倒産したのも、全部あの男が自分で撒いた種じゃない。自業自得よ。あたしは被害者だわ。あたしにお金を請求するなんて、お門違いよ。」

「呆れるわね・・・よくそんな事言えたもんだわ。」

「悲しいけど、あんたの娘だからね。まともに育てられなかったし、産まれた時から、あんたの男にだらしが無い意地汚い血が、あたしには流れてるの。」


パンッ!!


涙は頬を叩かれる。


「やっぱり、あんたを産んだ時、すぐに殺しちゃえば良かった。」

「そうね、殺さなかったのは、あんたのミスね。一生あたしを殺さなかった事を後悔したらいいわよ。」


母親は、悔しそうに涙を睨む。


病室の外には笑輝が立っていた。

薄々勘づいてはいたが、涙が愛人をしていた事を知り、笑輝はなんともいえない感情だった。


――涙とは世界が違う・・・わかってはいたのに、改めて知ってしまうと、こんな気持ちになるもんなのか・・・


笑輝は、病室に入ろうか迷い、なんどもドアに手を伸ばしてはためらう。


――ドアを開けて、普通の顔して会えるのか?もっと色んな話を聞かされて、俺は本当に受け止める事ができるのか?


笑輝は悩んだ末、病室の前を去った。


「このまま、あたしが引き下がるとは思ってないわよね。」

「上等よ。あたしは、怖いものなんてない。あんたと違って、1人で生きてく覚悟はできてるから。男に媚びてすがって生きてく事は、もうしない。あんたのお陰で、1人になる事はとっくに慣れてるから。」


母親は涙を睨むと部屋から出て行った。


笑輝は海が見える公園のベンチで1人項垂うなだれていた。

涙の事を本気で好きで、何があっても側にいたいと思っていたのに・・・涙の真実を知ってショックを受ける自分の弱さに情けなさを感じていた。

それと、笑愛から言われた言葉。


――俺と一緒になったら、やっぱり涙は惨めになるかな・・・


初めての経験に、どうしていいかわからなかった。


「みっ君。」


通りかかった粧子が声をかけた。


「何やってんの、こんなとこで。」


粧子は、笑輝の隣りに座った。


「あたしは今買い物行った帰りなんだけどね。涙さんのお見舞い行ってきた?」


笑輝は愛想笑いをする。


「あ、そうそう。涙さんから聞いた?うちのお店、フランスに姉妹店出るじゃない。

うちからは今井さんが行くけど、Lacocoからも涙さんが候補に挙がってるみたいよ。」

「そうなの?」

「うん。もう本人には話してるって聞いたけど・・・みっ君、聞いてないんだ。」


笑輝は何も言わなかった。


「そっかぁ。まだ返事は聞いてないみたいだけど・・・。」

「そうなんだ・・・行きたいよな。やっぱり。」

「そりゃそうよ!!自分を高めるチャンスだもん!!」

「・・・・」

「あ、ごめん。」

「いや、聞いた俺がバカだった。」

「・・・・まぁさ、あたしらは別れたけど、みっ君と涙さんは、よく考えて・・・2人にとって何が一番大切か。べつに別れなくても遠距離恋愛ってのもあるし。」

「結婚はできないのかなぁ・・・」


笑輝は呟く。


「う〜ん・・・よく話し合った方がいいよね。涙さんはどうしたいのか。結婚して幸せになりたいのか・・・仕事で幸せになりたいのか・・・。」


笑輝は海を見つめた。


数週間がたち、涙は退院する事になった。


「お世話になりました。ありがとうございました。」

「お大事にね。」


涙は笑愛と看護師に挨拶をした。


「涙さん、ちょっと・・・」


去ろうとした涙を笑愛は呼び止める。

看護師は席を外した。


「笑輝、迎えに来てないけど・・・」

「はい・・・1人で帰れるので・・・」

「余計な事聞いちゃうけど・・・マンションに戻るの?笑輝のとこに戻るの?」


涙は弟を心配する笑愛の気持ちを察した。

そして笑顔で答えた。


「自分のマンションです。」


笑愛は少し複雑な顔をしながらも、少し安心したようだった。


「そう・・・」


涙は会釈をすると、病院を後にした。

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