涙の過去

涙は笑輝を見つめる。


「それは、ほんとに涙が話したい事?」


笑輝は涙の心の中を探るように聞く。

内心、涙は不安だった。

心臓がドキドキする。


――笑輝が幻滅したらどうしよう。

家庭が違いすぎるって言われたら・・・


たまらなく不安だったが、この先も付き合うのだったら、話しておきたかった。

もし別れる事になっても・・・それは笑輝の為だ。仕方ない・・・。


「うん。知っててもらいたい。」

「・・・わかった。」


2人は近くの公園のベンチに移動した。


「あたしのひいおばあちゃんはね・・・

戦争中に・・・」


涙は、ゆっくり息を吸う。


「ロシア人(旧ソ連兵)にはずかしめをうけたの。」


吐き気がするほどの緊張が涙の体の中を走る。苦しいほどの鼓動を、深呼吸をしながら沈める。

辱め・・・女としてはこの事はなるべく話したくない。

だが、涙の出生は、ここから始まっているのだ。


「ひいおばあちゃんは、その時に妊娠したの。当時は中絶なんて、できるわけなくて、ひいおばあちゃんは、お腹の子と死のうとしたけど、死にきれなかった。

そして、あたしのおばあちゃんが生まれたの。

おばあちゃんを生んだひいおばあちゃんは、頑張って子供を育てようとしたんだけど、精神を病んで自殺してしまった・・・」


笑輝は、涙の話を黙って聞いた。


「ソ連兵に辱めを受けてできた子供。

孤児になったおばあちゃんは、周りからそう言われ、まともな引き取り手もなく、体を売るしかなった。容姿が綺麗だったおばあちゃんは、かなり高く売れたみたい。」


気が狂いそうなくらいの苦しい祖母の過去。

涙は、なみだをこらえながら、ゆっくり話す。


「毎晩、毎晩、何人もの男の相手をさせられ、おばあちゃんもまた、母を身ごもった。おばあちゃんは、売春宿を出て、相手の男と一緒に暮らしたんだけど、男には妻がいたみたいで、嫉妬した妻に刺されて亡くなったの・・・」


さすがに笑輝も少し驚き、口元に手を当てる。

涙は続けた。


「おばあちゃんの子供、母は養護施設にあずけられた。母はずっと施設で暗く過ごしたみたい。施設の人達のおかげで、なんとか学校には通う事ができたものの、小学校で激しいイジメに合い、中学校は不良仲間とつるんで、警察沙汰に何度もなった。

そしてやっぱり、母も容姿が綺麗だったから、色んな男がついて、遊んで、18の時に、あたしを生んだの。」


涙の声が少し震える。


「無理しなくていいよ・・・」


笑輝は優しく言う。

涙は頷いた。


「あたしの家にはね、よくいろんな男の人が出入りしてたの。

母は水商売をしててね、そのお客さんとか、付き合って、別れてを繰り返してたの・・・

母子家庭だったんだけど、かなり贅沢な生活だったと思う。

母が稼いだお金もあるけど・・・男の人が貢いだのも、かなりあったと思う。

母はあたしより男優先だった。あたしは、家では、いつも1人で、楽しく笑いながら食事をした記憶なんて無いの。その生活が普通だと思ってたの。そして・・・男の人から愛される、それが幸せだと思った

・・・」


息が苦しい。

涙は気持ちを落ち着かせるように頑張るが、頭では頑張るものの、心が追いつかない。

しっかり声も出ない。

手が震える。


「自分が愛してないひとに抱かれ、自分の為に大金を使う・・・それが愛だと思ってたの。あたしも母のようにしないと、誰からも愛されないんじゃないか、ほんとは、誰かに愛されたくて仕方なかったと思うんだけど、あたしはずっと、男に愛されてると錯覚してた・・・あたしは・・・あたしは・・・あたし・・・」


――愛人ばいしゅんをしてたの・・・


告げないといけないのに、言葉が出ない。

涙は、こらえきれなくなり、なみだが溢れた。


――言えない。言いたくない。言ったら笑輝を失ってしまう。それはイヤ。


「もういいよ。わかったから。」


笑輝は涙をなだめる。


「あたし、あたしね・・・」

「言わなくていい!」


両手で顔を覆って泣く涙の肩を、そっと優しく抱いて言う。


「俺は涙を、何があっても守るし、全てを受け入れるから、言いたくない事は言わなくていい。」


笑輝は、全てを察したかのように言う。


「涙の過去なんか、どうだっていい。俺の知らない涙なんて、どうだっていい。知る必要も無いし、興味も無い。

俺の知ってる涙がすべてだ。それだけだから。」


涙は顔を上げる事なく、泣き続ける。


「涙が今までの事を後悔してるんなら、たくさん泣いて、全部、なみだと一緒に流しちゃえばいい。嫌な思い出も流して無かった事にしちゃえばいい。

大事なのは、これから先だし、後悔の無い人や、知られたく無い事が、全く無い人なんて、いない。

俺の知ってる涙は、明るく笑って、すぐ泣いて、怒って、後輩思いで、仕事に一生懸命で、美意識が高くてプライドが高くて、だけど素直な涙だ。それが涙の全てだよ。」


涙は声を抑えながら泣き続ける。

それ以上、笑輝は何も言わずに、ただ涙の肩を抱いていた。

過去の自分と決別しようとしてる・・・

笑輝には、そう見えたから。









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