幸せとは

涙の目の前には3階建ての立派な家が建っていた。


「入って入って。」


今日は定休日。

笑輝は門を開け、涙を案内する。

涙は初めて笑輝の家に招待された。


――総合病院の院長宅だから立派だろうとは思ってたけど、ほんとに凄い家なんだ・・・


「ただいまー。」


大きな両開きの玄関ドアを開け、笑輝は久しぶりに実家に戻った。


「みっちゃん、おかえりなさい。」


奥から50代半ばくらいのふくよかな女性が笑顔でイソイソと小走りで迎えてくれた。


――みっちゃん?


「順子さん、ただいま。元気だった?」

「みっちゃん、全く顔ださないから、奥様が寂しがってましたよ。私も寂しかったですよ~。」


『順子さん』は、涙を見る。


「電話でも伝えたけど、今、お付き合いしてる及川涙さん。」


順子さんはまるで女優さんを見るかのように、目を輝かせた。


「まぁぁ。なんて、お綺麗なお嬢さんで。ささ、どうぞ、お上がりくださいませ。奥様と、笑愛さんがお待ちですよ。」

「順子さんは、俺が小さい頃から働いてくれてる家政婦さんなんだよ。」


笑輝は少年のような笑顔で、涙に紹介してくれる。


「あ、はじめまして。お邪魔します。」


順子さんはニコニコしながらリビングに案内した。


脱衣場のドアが開き、髪を束ねながら、部屋着の笑愛が現れた。

夜勤開けで、シャワーを浴びたところだった。


「あ・・。」


お互いに一瞬驚いた。


「は、はじめまして。及川です。」

「はじめまして。笑輝の姉の笑愛です。」


笑愛もまた、笑顔で迎えてくれた。


「こんな格好で、ごめんなさいね。さっき仕事から帰ったとこで。」

「いえ。こちらこそ、急にお邪魔して、すみません。

あと・・・増田先生の件、ご迷惑おかけしてすみませんでした。」

「あ、あなただったの?」


笑愛は驚いた。


「こちらこそ、うちの医師がすみませんでした。笑輝から聞いてると思いますが、増田先生は2週間ほど自宅待機、その後、正式に処分を決めるつもりです。本当に、申し訳ありませんでした。」


笑愛は頭を下げる。


「ただ・・・増田先生は、誰かに依頼されてたみたいなので・・・その誰かを突き止めないと、またこんな事が起こるかもしれないと・・・余計な事言ってすみません。

もし、何か不安な事があれば、笑輝を頼って下さいね。どこまで頼りになるか、わからないけど・・・」

「いえいえ。ありがとうございます。」


リビングから笑輝が声をかける。


「涙ー、こっち、こっちー。」

「呼び止めちゃってごめんなさいね。行きましょう。」

「はい。」


リビングには、順子さんが作ってくれた軽食と、母が焼いたアップルパイと紅茶が用意されていた。


「まぁ、涙さん、いらっしゃい。笑輝の母です。笑輝から話を聞いてましたけど、こんなに素敵な方なんて。

どうぞ、座ってください。」


涙はソファに座わり、手土産の洋菓子を渡した。

笑輝の家族は、みんな暖かく涙を迎えてくれ、会話も弾んだ。


「近々ね、うちの病院で患者さんと、そのご家族に向けたイベントをやるのよ。

その中でね、ヘアドネーションてご存知?

抗がん剤の副作用や、様々な理由で、髪が抜けてしまった方達用のウイッグを作る用の髪の毛を寄付する事ができるの。

その事を皆さんに知ってもらう為に、当日、一般の方から寄付して頂ける方がみえたら、お願いしようとおもって。うちの病院、院内に床屋が入ってるんだけど、笑輝の美容室に協力して頂く予定なの。」


笑愛が話すと、涙は表情を輝かせる。


「ヘアドネーション、初めて聞きました。そういう形で協力できるんですね。」

「世の中には、様々な病気と戦う人がいて、今、あたし達がこうして何も無く過ごせるのは、本当に幸せな事で、病気や、障害者になってしまうのって、特別な事じゃないのよね。

いつ、誰がなっても、おかしくないから、あたし達は、病気や、障害の事を世の中に知ってもらって、理解をしてもらう事、それと、残念ながら、病気や怪我を治す事ができずに、お亡くなりになる方もみえる。そういう方にも、最期の時まで、笑って、幸せだったって思ってもらいたくて、時々、こういうイベントを企画してるの。」


――なんて素敵・・・そんな考え方の人がいるなんて・・・


涙は、今までの自分の人生を振り返った。


――あたしは、幸せじゃない家庭から逃げたい為に、それを幸せだと思い込もうとしていたのかもしれない。

本当の幸せって、この人達みたいに、人の事を思いやって、それを恩に着せるわけでもなく、奢る事もなく、純粋に楽しめて、笑顔で会話ができる事なのかもしれない・・・


何時間か過ぎ、部屋には西日が差し込むようになっていた。


「今日は、ほんとに楽しかったわ~。涙さん、また来てね。」


母は嬉しそうに言う。


「はい。あたしも楽しかったです。ぜひ、またお邪魔させてください。」


「笑輝が何か悪い事したら、いつでも言って、懲らしめてやるから。」

「姉さん、何言ってんだよ。何も悪い事なんかしないよ。」


みんな笑顔で涙を見送ってくれた。


本当に幸せな家庭だった。

涙と笑輝は並んで歩く。


「本当に楽しかった。素敵な家庭よね。笑輝は、あんな幸せな家庭でそだったのね。なんか納得しちゃった。」

「そう?普通の家庭だと思うけど。

みんな、よく喋るから。」


涙は遠くを見つめる。


「あたしも、普通の家庭だと思ってた・・・

でも、普通じゃなかったって、ようやくわかった。」

「涙・・・?」


――本当は、普通じゃない事はわかってたけど、気付きたくなかっただけかもしれない・・・


涙はうつむいた。


「どうした?」

「やっぱり、ちゃんと話した方がいいかもしれないね。あたしの事。」


涙は笑輝を見つめた。



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