第5話 遠くて近い
ハン・リンファは焦っていた。元々、落ち着きのないドジっ子ではあったが、今日はそれに拍車がかかっていた。
けれどそれはリンファだけでなく、フェロークロー級戦艦・セントローレルの乗組員のほとんどがそうだった。
セントローレルは第七宙域連合艦隊に所属する高速機動型宇宙戦艦で、普段は第六コロニー『ニューヘンリッジ』での防衛にあたっていた。
艦隊戦を得意とするナッシュ・バロー大佐を艦長に、精鋭揃いのクラーク小隊も常駐してと、連合艦隊の一角を担っていた。
そんなセントローレルも、レイバスク会議での警護のためにヘンリッジを出港し、第二コロニー『ヨークバイン』で補給を受けていた。
1997年7月28日05時32分。レイバスク会議まで十二時間を切っていた。
ヨークバインで補給を受けていたコスモヘイローなど他の艦船は、すでにレイバスクに向かい出港していた。
けれどセントローレルだけは、明朝に見つかった左舷トラブルのため、ドックに取り残されていた。
「もう、大変ですよ……。これじゃ、会議に遅刻です……」
セントローレルでオペレーターを務めるリンファは、椅子に腰掛け缶コーヒーを飲みながら、メカニックのボリス・エリュアールに愚痴をこぼす。
疲労と寝不足のためだろう、リンファの可愛らしい顔には普段のような快活さや覇気はなく、目の下には、一目で分かるほどの隈ができていた。
「お前さんが悩むことじゃない。形だけの会議なんてのは、遅れたところで問題ないさ」
ボリスは汗とオイルに塗れたツナギ姿で椅子に腰かけ、栄養ドリンクをグイと飲み干しガハハと笑った。
「そんなこと言って、またシンディーさんに怒られますよ」
「見る目がないね、お嬢ちゃん。ありゃ、大人のスキンシップみたいなもんだ」
「はぁ……、そーですか……」
リンファは、すねたように缶を弄ぶ。そんな二人の脇を、乗組員たちが忙しなく通り過ぎてゆく。
「にしても、なんでこのタイミングで起こるかね。この前の定期検査じゃ、なんの問題もなかったのによ」
「原因は分ったんですか?」
「さあな。俺はベイダーの専門だからよ、艦はちと専門外だ。気になるんなら、コンラートにでも聞くんだな」
すると通路の方からツナギ姿の青年が一人やってきて、「ボリスさん、チェスターさんが探してましたよ」と言った。
「お、そろそろ働けってか?」
「さあ? 直接聞いてみてください」
青年はそう言うと、リンファの顔を一瞥し、「それでは」とその場を足早に後にした。
「相変わらずな奴め」
「新人さんですか?」
「そうだよ。腕はいいんだが、どうにも人付き合いが苦手でね。ま、そこがいいところでもあるんだが……」
ボリスは手にした空き缶を握り潰し、ごみ箱に捨てた。そして気だるげに肩を揉みながら、「またな」と休憩室から出ていった。
こういう時って、私には、特にできることもないんだよね……
元来、リンファは自由を愛する性格で、規律の厳しい軍には向いていない。
高校を卒業して早二年。リンファは自身の将来について悩んでいた。
『オペレーター募集!』
二年前、高校の求人掲示板にそんなチラシが貼られていた。
ちょっとカッコいいかも……
当時、高校三年生。受験勉強も就職活動もしていなかったリンファは、ミーハーな思いから求人に募集した。
そして持ち前の愛嬌と地頭のよさからトントン拍子に試験をパスし、オペレーター候補生として採用された。
けれど、理想と現実は違うもの。その自由のない生活に、リンファの中で日に日に後悔が大きくなっていった。
それに拍車をかけたのは、戦艦・セントローレルへの配属だった。
元は実家近くにある基地での採用で、異動はないという話だった。
けれどリンファは、自身が思っているよりも周囲の評価は高かった。
『リンファくん。実は、君にいい話が来ていてね……』
得意げに話す上司の言葉を聞き、リンファは青ざめた。
実家を出る。
家族好きなリンファにとって、それは耐え難いことだった。
ましてや戦艦ともなれば、より命の危険は高くなる。
けれどリンファは、その申し出を断ることができなかった。
周囲の期待を裏切りたくはない。
よく言えば協調性がある。悪く言えば優柔不断、八方美人。そんなリンファの性格が災いしてしまった。
リンファは反対する両親を説得し、無理ならすぐに辞職すると自身に言い聞かせ、実家を出た。
そして現在……
リンファのズボンのポケットで、携帯電話が小刻みに震え出す。
取り出して画面を見れば、そこには、親友の名前が表示されていた。
曲がったことが大嫌いで、どんな相手だろうと物怖じしない。
現在、彼女は高校時代から働いているピザ屋で、今もアルバイトとして働いていると言っていた。
そんな彼女の姿が頭をよぎり、通話ボタンを押そうとしたリンファの手が止まってしまう。
話したいのに、嬉しいはずなのに……
リンファは今にも泣き出しそうな子供のように顔を歪め、静かに携帯電話をポケットにしまった。
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