第3話
店を出て少し歩いた河原にあるベンチに腰をかける。水が流れる音と、時折鳥の鳴く声が混じって長閑だ。陽が少し傾いているのもあってぽかぽかと暖かい。
そんな中、リーベは先ほど買ったレープクーヘンを袋から取り出す。それを両手で持ち直し、親指に力を入れると歪な形で割れた。
一瞬顔をしかめたリーベは左手に持っている大きなかけらを、隣に座る悪魔へ近づけた。目は合わさないまま。
「え、なに。くれるの?」
先ほどのことがあってかずっとむすっとしている。
「別に嫌ならいいよ。君のお金で買ったものだ。わざわざ僕に寄越す必要もないだろう。」
両手をツノの生えた頭の後ろに持っていき、ベンチの背もたれに体重をかけた。
視線を感じて横目に見ると、リーベはジト目でヴィセを見つめている。構って欲しそうだが、何も言い出せず「そっちから声をかけて。」と言わんばかりに。
「……なんだい。」
やれやれとヴィセは声をかけた。少し考えて、やっとリーベが答えた。右と左を入れ替えて、
「悪いことしようとしたから、小さいほう。」
差し出されたレープクーヘンは三分の一の小さいものだった。
「別にいらないって。」
主人の目がうるうるしている。今にも溢れそうな雫が表面張力で震えている。
泣かせるようなことはしてないはずだ。別に奪ったわけでもない。何も思い当たることがないヴィセは涙の理由がわからなかった。
「もらってくれないの……?」
なるほど、受け取りを拒否したことが悲しかったのか。なんで? やっぱり人間の考えることはわからない。ヴィセは片割れを受け取ると口に放り込んだ。
「なんか、不思議な感じ。あんまり食べないな。」
口に広がる香辛料の香りを愉しみながら咀嚼していると、
「……あくまはごはん食べないの?」
「へ?」
「私と出会ってから、なにも食べてない、と思って。」
「うーん、基本は人間の魂が主食だからね。僕は食べたりはしないけど。」
ヴィセはコートの内ポケットから魂の結晶が詰められた小瓶を取り出す。落ちかけた夕日に宝石の光が反射して輝いている。漏れた光が二人の洋服に模様を作った。リーベは思わず「きれい。」と呟くと、恍惚とした様子で小瓶を眺めた。
「そうだろう? その辺の悪魔は人間の魂を食べて生きてるけど、僕はこうやって集めてるんだ。こんなに綺麗なのに食べてしまうなんて、勿体無いじゃないか。」
自慢げに語るヴィセがこの話を人間にするのは初めてだった。契約者のほとんどが自分の私利私欲のために、悪魔を道具としてしか考えていなかった。主人であろうとなかろうと、純粋に興味を持たれるのは嬉しい。
上機嫌な悪魔は今にも鼻歌を歌いそうなくらいニコニコしている。
「じゃあ、なに食べるの?」
ふと、リーベが尋ねる。もう先ほどのことは気にしていないようだった。
「普通に、人間と同じようなもの。」
いつも店先にあるものを奪って食べている、なんてリーベが知ったらどんな顔をするかは想像に容易い。ヴィセはあえて詳しく話さなかった。
「じゃあ好きな食べ物は?」
「そうだね、気持ちのこもった料理、とか?」
いくら高級な食材を使っていても気持ちがこもっていなければ不味く感じる。逆に、安くても思いや気持ちがあればヴィセにとって至高の逸品となり得る。
「これは?」
「美味しいんだけど、なんかちょっと渋いというか、えぐ味があるというか。」
レープクーヘンからリーベに焦点が合う。
あ、と彼女が怒って渡すのを渋っていたのを思い出して、
「そうか、そういう気持ちも食材に注がれるんだ。」
悪魔が人から何かをもらうなんて滅多にない。特に食べ物をくれたのもリーベが初めてだった。契約して魂を刈る対象、ただそれだけの認識だったヴィセの心にほんの少しだけ、人間に対する興味が出た。
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