第2話
「で、なんで僕がこんなことを。」
教室には六歳〜七歳ほどの子どもが律儀に並べられた席についている。
「ここの問題わかる人?」
ベージュのフォーマルなセットアップに身を包んだ女性が教壇に立つ。
餌を欲しがるカモメのように一斉に返事をする。教室のやや後ろ、斜め左の席でリーベは手を挙げられず、周りをキョロキョロと見回していた。
不意に後ろを見ると随分と場違いな、フードを被った真っ黒の悪魔と目があった。教師は前だろうと、不思議そうな顔で見つめている悪魔に、リーベは小さな手を顔の近くへ持っていった。握った手を開く動作は挨拶をしているように感じた。
ヴィセはわけもわからず軽く手をあげ返すと、満足したように主人は前を向いた。一呼吸おいて挙げられたリーベの手は、真っ直ぐで強い意志があった。
「じゃあ……リーベ、答えて!」
いつもなかなか発言をしないのか、手を挙げたリーベを見た教師は、感心したように目を輝かせて指名した。周りのクラスメイトたちの視線もリーベに集まると同時に、声を出す者もいなくなった。しんと静まり返った教室の中で一言、
「じ、じゅうなな。」
淡々とした喋り方はいつものことだが、緊張していたのか、どもる様子は初めて見た。ヴィセは、リーベから感じられた少しの人間味に安堵した。
「正解よ!」
張り切った教師の拍手は、花火のようにリーベを褒め称えた。少し照れくさそうに下を向きながら座り直したリーベは、またちらりと後ろを見た。その顔に不安気はなく、どこか嬉しそうだった。
「初めて発表できたの。」
「へー、そう。」
授業が終わり、二人は大通りを並んで歩いていた。
「びせが応援してくれたから。」
「僕は何もしていないよ。」
「後ろで見ててくれた。」
ちらちらと後ろを気にしていたのはそういうことだったのか。悪魔は納得するも否定の言葉を並べた。
「それを応援とは言わないだろう。」
「それだけで力が湧いたの。」
「ふーん。人間の感情はよくわからない。」
「びせもいつかわかるといいね。」
わかる必要なんてないよ、と心の中で返事する。わかったところで、知ったところで情が移って殺せなくなったりでもしたら悪魔として生きていけない。
ヴィセにとって人間はあくまで魂を刈る対象であり、慣れ合ったりする仲ではないことを理解していた。
「……ところで復讐は? 悪い悪魔は??」
ふと、本来の目的を忘れそうになっていたヴィセが問いかける。学校なんて行っている場合ではない。
「契約達成のためならなんでもするんでしょ。」
確かに言った、言ったけど。ヴィセはいっぱい食わされたと頭を抱えた。こんなはずではなかった。
「……三つまで。」
「へ?」
「言い忘れていたけど、悪魔が叶えることができる約束は三つまでだ。」
転んでもただでは起きない。悪魔なりのプライドと欲深さで咄嗟に提案する。
「そんなの前言ってなかった。」
「ああ、だから今からでいい。今から三つだけ、約束を守ろう。」
「わかったー。」
危機感のない主人の返事に、本当にわかっているのか不安になるが、承諾したのなら問題はない。ヴィセはしめしめと口角を上げた。
「びせ。」
不意に立ち止まるリーベは、手を広げてヴィセを見上げる。
「なんだい。」
「疲れた。」
「……僕におぶれと?」
感情をあまり表には出さないが、それにしても好き放題するリーベと接して、やっぱり子供だとヴィセは再認識する。
「これはおねがい。いやなら別にいい。」
もう少し可愛げがあれば「しょうがないな。」と聞いてやらんこともないがこの捻くれようだ。
ヴィセが頭に浮かべた笑顔のリーベはため息と共にかき消された。
仕方なくしゃがみ、背中に体重がかかると不服そうな顔をしてヴィセは立ち上がった。
「で、次はどこへ向かうんだいお嬢様。」
「あっち。」
指をさした方向にあるショーウィンドウには、カラフルなお菓子が詰められた瓶が並んでいる。赤、黄色、緑と見るからに甘そうな砂糖菓子は店外に漏れる匂いだけで胸がいっぱいになるほどだ。
店の前でリーベを降ろし、中に入るとより一層香りが強くなった。真ん中に赤い宝石の乗った小さな絞り出しクッキーや、チョコレートでコーティングされた切り株のようなバームクーヘン、雪山のような粉糖が覆うシュトーレンなどが、所狭しと並ぶ。オレンジ色の電球は店内を暖かい雰囲気に仕上げている。ヴィセが一通り見回すと、お
「好きなの?」
「うん、ヘンゼルとグレーテルのお家。」
「ああなるほど、童話に出てくるのか。」
商品名だけじゃ想像できなかったレープクーヘンに親近感が湧いた。物欲しげに商品と睨めっこをするリーベはその場を動こうとしない。
「……欲しいの?」
耐えかねた悪魔は声をかける。
「うん。でも、二つ買えない。」
リーベは手に持っているポーチにを二、三度振ると小銭が寂しい音を奏でた。
「じゃあ盗っちゃえば?」
「だめ!」
リーベは軽蔑するように、手を伸ばす悪魔を睨みつけた。非常識。倫理観の欠如。しかし、悪魔に人の常識など伝わるはずもなく。
「大丈夫だよ、バレなきゃいいし。君はまだ幼いから許されるよ。」
身を屈ませて主人の耳元で囁くも、感情が揺れる様子が感じられない。背中に手を当て「ほら。」と一押ししてみても、悪魔を見る目は変わらない。
「お店の人がかなしむから、だめ。」
初めて出会ったときもそうだった。リーベは正義感が強い上に、自分の意思を曲げない。一度こうと決めたら意地でも引かず、脅そうが誘おうが意に反する甘言には乗らない。悪魔にとって契約対象としてはあまり望ましくない。
「じゃあ二つは諦めるんだね。」
主人の意思に背いてまで非行に走ることはしない。ヴィセは盗ろうとした手を引っ込めて、コートのポケットに突っ込んだ。対してリーベは個包装された大きなレープクーヘンを一つ手に取ると、そのままレジカウンターへ向かった。
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