第2話 憧れ

 先輩に教わった通りに進んで、牢屋の中へと足を踏み入れる。


 牢屋の中は、まさに不気味な雰囲気。鉄格子が掛けられた牢屋と牢屋との間の壁に、ぼんやりと光るロウソクが立てかけられている。


 空気もひんやりとしていて、確かに命の匂いを感じない。......こんなところに、本当に人が閉じ込められているとは僕には到底思えなかった。


 これも突き当たりまで進む。もうこの部屋で最後だけれど......。その時、ロウソクに映った大きな影が、鉄格子越しに口を開いた。


「其方(そなた)、見ない顔だな......」


 驚くよりも先に、その高い声色に意識を奪われる。化け物って、女の人?


「はい、つい一週間前に配属されたレイヴと申します。今日は、お食事を持ってまいりました」


「ああ......目の前の鉄格子の隙間から差し入れるとよい。其方の細い腕であれば通るだろう」


 僕は言われた通りに、料理の乗ったトレイを差し込もうとする。でも......


「ですが、腕は入りますが食器が入りません」


「その手の中のトレイをもう一度よく観察してみろ、スプーンやフォークが置かれているか?」


「......あっ!」


 確かに、パンやスープの乗ったトレイの上にはカトラリーの類が一つも置かれてはいなかった。


「かつてここに来た召使共は、皆床にぶちまけて帰っていきおったわ。其方も、そうすればよい」


「それでは、余りにも......」


「惨めか?」


「いえ、そんなことは......申し訳、ありません」


「ただ......」


 僕は俯きながらも、続ける。


「ただ、あなたが可哀想で......。こんなの、人が人にする仕打ちじゃありません」


 正座した膝の上で、両方の拳を握る。僕は、怒りが湧き上がるのを感じていた。


「何故怒る? 元来、国が国を潰して捕虜を捕るいうのは、こういうことなのだ。何ら、おかしなことではない」


「でもっ、流石に酷すぎます。見たところ、掃除だって何年もされてない!」


「よいか? 我(われ)に敬語を使う者も、こうして会話する者も、其方以外にはおらんのだ。それに其方は人が人がとのたまうが、我が人で無いとは微塵(みじん)とも思わないのか」


「あなたこそ、もう自分を卑下して言うのは辞めてください。人間が家畜のように扱われるなんて、本来ならこの国、トレントでは許されないことなんですよ」


「其方は、余程この国を好んでいるのだな。だが、一つ大きな勘違いをしている。我は、本当に人ではないのだ。何せ、不死身の身体を持つ、化け物なのだから......」


 パキパキと骨の砕けるような音がして、僕の目の前で影の形が変わっていく。大きな翼の形をした模様が、ロウソクの明かりに浮かび上がった。


「ひっ......」


 あっけに取られて、声が出ない。太ももが痺れていて、自分のことながらも、すくみ上がっているのがよく分かる。


「これは、我の力のほんの一部だ。このように身体の形を変えても、すぐに治っていく。どうだ、恐ろしいか? 安心しろ、とって食うようなことはせん 我が食べるのは......」


 口に出すのも憚られるような、肉の軋(きし)むような音が鳴って、今度は咀嚼(そしゃく)音が続いた。


「何を......」


「腕だ。其方達が滅多に食事を持ってこないせいで、自分の身体を喰らうはめになった」


 僕の恐怖が、何か別の感情に置き変わっていく。悲しい。それが、嘘偽りになく感じたことだった。


「自分の腕をちぎるのは、さぞ、痛いでしょう」


「ああ、だが空腹感には抗えん。地上に帰ったら笑い話にするとよい。食べずとも生きられる不死の肉体も、ついぞ空腹感を捨てることは出来なんだ。とな」


「そうじゃありません。心が、とっても痛いでしょう」


 恐怖をすっかり忘れてしまった喉が冴える。影がちらちらと揺れ、予期せぬ言葉に彼女が驚いているのが分かった。


「其方、意味の分からんことを言うなっ。我のことが怖いだろう? 気持ちが悪いだろう? 好きに罵(ののし)って蔑(さげす)むとよい。同情は要らん!」


「何も、よくありませんよ......」


 僕の頬にすうっと涙の粒が流れだす。僕は、田舎に置いてきたお母さんのことを思い出していた。


 お母さんはいつもいつも、今の彼女のように自虐的に話した。それは、虐げられた者が身につけた悲しい自己防衛の方法だと、僕は知っている。


「少し、ここで待っていて下さい。すぐにスプーンやフォークを持ってきます」


「食器が通らないなら、僕が食べさせてあげますから」


 涙を見られると、また彼女が怒ってしまうかもしれない。僕は涙の跡を隠すためにも、立ち上がった。


「はは、其方は非常に共感力が高いのだな。我は、自分のことであるというのに泣けはせぬ。きっと、感情を司る部分が麻痺してしまっているのだ」


「それに、其方は面白いことを言う。名前を聞いておこうか? 先程は興味が沸かなくてな、ちゃんと、覚えていなかった」


 僕は嬉しくなって、すぐに振り返って答えた。


「僕はレイヴ。古い言葉で、意味は『憧れ』お母さんが名付けてくれました。王都に来てから、まだ誰にもこの話をしたことはありません」


「レイヴよ、その真摯さをかって、我の方も名乗っておこう。名を、ミザリー。この城に囚われてざっと百年、未だに誰にも名乗ったことはなかった」


「だが、忘れずにいて良かったと、今はそう思える」


 心なしか、ミザリーさんの声色が弾んでいる。なめらかで、優しい声だった。



 


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