第三話:京の手奈土家、唄羽の東京行きに揺れる語[2040/4/6(金)]

 唄羽の東京行き前夜。

 京都市街地は御所裏ごしょうらに建つ手奈土てなづち本家では、ちょっとした騒動そうどうが起きていた。


「なんで唄羽を東京になんかやらなアカンの⁉︎」


茶色の髪をポニーテールにした着物姿の中年女性――手奈土本家当主・手奈土美卯みうがヒステリックな叫びを上げる。


「何でって……。唄羽ちゃんは次期当主なんだから、16になったら火村屋敷ほむらやしきに『当主修行』に出なきゃならないのよ。常識でしょ?」


黒髪ショートヘアのパンツスーツ姿の女性――美卯の次姉じしれんが美卯を鼻で笑う。


「ま、美卯が知らないのも無理ないわ。『当主修行』はおろか、モノノケ調伏の任まで私に押し付けて、ご自分は京都の本邸で左うちわでございましたもの。ねぇ?」


蓮は美卯をせせら笑う。

 美卯は幼い頃から病弱で戦いに耐えうる体ではない。東京に行かずに本邸にいたのも、蓮にモノノケとの戦いを委任いにんしたのも病弱が原因だ。

 もちろん蓮はそれを知っている。知った上で嘲笑ちょうしょうしているのだ。


「そら、私が唄羽くらいの時は東京なんか行ってる場合やあらへんかったし……。あん時の事は、蓮ねえさんも良う知ってはるやろ⁉︎」


 先先代――美卯たちの両親が亡くなったのは美卯が15歳の時だった。急逝きゅうせいした両親の遺言で当主に指名された美卯は、右も左もわからぬまま当主業務の引き継ぎに追われていた。


「とにかく、モノノケ調伏なんて分家にでも任せればええやないの!唄羽が怪我でもしたらどう責任とってくれんの⁉︎」


唄羽は当主である美卯の娘であり、次期当主として目されている。美卯が唄羽に対して過保護気味なのは、手奈土家に出入りする人間には周知の事実だった。


「蓮ねえさんとこの帆斗はんとくんに任せたらあかんの?あの子、仕事で東京におるんやし、ついでに……」

「『ついでに』って何⁉︎モノノケ調伏は言霊師ことだましにしか出来ないのよ!学校の運営だの資産運用だの、そういう雑用こそ分家に任せておきなさいよ!」


手奈土家は代々病院や学校経営で生計を立てており、現当主の美卯もいくつかの学校法人の理事長を務めている。


「蓮ねえさん、いい加減にしてや!」

「いい加減にして欲しいのはこっちの方よ!どうして私の言うことを聞いてくれないの⁉︎」

「そうやって親兄弟をないがしろにするから、何もかもが上手くいかないんでしょう。アンタの旦那が早死にしたのだって、音羽おとはちゃんがいなくなったのだって……」

「音羽は関係ないやろ⁉︎お姉ちゃん、いっつもそうやってうちに意地悪ばっかり言うて……」

「意地悪って何⁉︎私はアンタの事を思って……」


蓮と美卯の口論はどんどんヒートアップしていく。


「お母様……」


その怒声はすさまじく、自室で荷造りをしている唄羽まで届いていた。


「うちだけなんやろか、『東京に行ける』って浮かれとったのは……」


机の引き出しから開き癖のついたヨレヨレのパンフレットを取り出す。

 『私立もりの高校 入学案内』と書かれたパンフレットの表紙には、臙脂色えんじいろのセーラー服を着た男女の写真が大きくレイアウトされている。セーラージャケットとチェックのスカートは、唄羽にとっては中学の重苦しい紺色のブレザー制服よりもずっと魅力的に見えた。


「……嫌や!唄羽は京都ここで育てるんや!」

「またそうやってワガママ言って!美卯アンタもう子供じゃないのよ⁉︎」


駄々っ子のごとく泣き喚く実母の悲鳴をBGMに、唄羽はパンフレットを丸めてゴミ箱に捨てた。


 車は市街地を抜け、山道に入る。

「ん……」

カーブが連続する地帯に差し掛かり、唄羽は微睡まどろみから現実に引き戻された。

「おや、お目覚めですかいお嬢ちゃん。まもなく火村ほむらのお屋敷に着きますからね」

狐面の運転手がバックミラー越しに語りかける。

「唄羽お嬢ちゃんの制服は火村屋敷こっちでお預かりしてます。一度袖を通してみたらどうです?」

「制服……」

臙脂色のセーラー服、オシャレな都会風の制服。たとえ家人かじんが何と言おうとも、唄羽がこの制服を好きなのは揺るがないのだ。

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