復讐するは彼にあっても。周りもそれを聞いている
終わった終わった、と言わんばかりにその場を後にする男性教員の後は、誰も言葉を発しない。
風が吹く音や虫の泣き声、寄せては返す波の音が流れるばかりで、変な静けさがあった。
それも仕方のないこと。当の本人である俺達が、事実を飲み込むのに時間がかかっていたからだ。観
衆はアイツらなに呆けてるんだと、首を傾げている。一呼吸置いた後、俺はやっと実感が湧いてきていた。
そっか。俺達、勝ったんだ。そっか、そっか。
目をやると、アヤヤも丁度何かに気が付いていたところだった。
「勝、った? 私、ナルタカさんと、勝てたん、ですか? 嘘」
「勝、った。俺、アヤヤと組んで。球技大会で、優勝したんだ」
信じられないと言った表情のアヤヤと、目が合った。
二人してジーっと顔を見合わせた後、一緒になって顔に歓喜が満ちていき。俺達は弾かれたように、互いに向かって走り出していた。
「ナルタカさんッ!」
「アヤヤッ!」
波打ち際にて合流した俺達は、人目もはばからずに抱き合った。
ぴょんぴょん跳ねながら、抱き合っていた。
「やった、やったッ! 勝った、勝ったんだアヤヤッ! スゲー、マジで勝てるなんてッ! やっぱアヤヤは最高だッ!」
「ナルタカさん、ナルタカさんッ! 私、できましたッ! 絶対無理だって思ってたのに、やってみたらできたんですッ! あなたのお陰です、やってやれたんです。本当に、本当にありがとうございますッ!」
「「やったァァァッ!」」
一度身体を離した俺達は、両手で勢いよくハイタッチをする。その後でもう一度抱き合った。
嬉しくて嬉しくて、仕方がなかった。
俺達の耳に、拍手が聞こえてくる。二人して慌てて顔を向けてみれば、そこには微笑ましいものを見る目で手を叩いている生徒達の姿があった。
「おめでとう先輩。負けちゃったよ」
その中にはツツミちゃんの姿もあった。彼女は俺達の元に近づいてくると、叩く手を止める。
「本気だった。負ける気なんてさらさらなかったのに、勝てなかったんだ。素直に負けを認めるよ。おめでとう先輩、アヤヤさん」
「ツツミちゃん」
俺はアヤヤから離れ、彼女の前へと立った。彼女は少し、目を伏せてみせる。
「ありがとな。俺、ツツミちゃんがいなかったら、ここまでできなかったと思う。本当に、感謝してる」
「ううん。ボクは大したことなんてしてない、立ち直ったのは先輩がカッコ良いからだよ。これで、先輩は。ボクの、ところには、もう」
ツツミちゃんはクルリと俺に背を向けた。
「ツツミちゃん?」
「ごめん、先輩。今は、顔を見られたくない。ボク、ちゃんと、お祝い、できないかも、しれないから」
声と肩が震えている。俺はあの日の夜のことを思い出し、反射的に彼女に手を伸ばそうとして、引っ込めた。
そうするべきじゃないと、思ったから。
「……本当にありがとう、ツツミちゃん。俺もツツミちゃんのこと、大切に思ってるから」
「ズルいよ、先輩。そんなこと、言わないで。期待、しちゃうじゃないか」
「いや。それでも、言わないと駄目だと思ったから。でもごめん。俺は、やっぱり」
「うん、うん。分かった。もう、十分に、分かったから」
彼女の足元に汗じゃない水滴が落ちていく。俺はそれに、気が付いていないフリをした。
「じゃあね、先輩。幸せに、なってね。ボクはずっと、ずっと待ってるからっ!」
ツツミちゃんは走って行った。小さなその後ろ姿を、俺は目に焼き付ける。
彼女には本当に、感謝してもし切れない。俺が二人いたら彼女のことも幸せにできた筈って、くだらないことを考えるくらいには。
「アヤヤ、先輩」
俺がツツミちゃんとやり取りをしている間に、キョウタの奴がアヤヤの元に向かっていた。振り向いてみれば、彼の顔はこれ以上ないくらいに強張っている。
「自分が、負けるなんて。アヤヤ先輩が、運動苦手なの、知ってたのに」
「はい、私の勝ちです。多分、私一人だったら負けちゃってましたよ。キョウタ君、昔から運動得意でしたからね」
「じ、自分。勝って、思いっきり、見せつけたかったことが、あったのに。あ、あんなパーマ先輩ごときにまで負けて。こ、こんな筈じゃ」
「良いですよ、言ってくれて。別に負けたから言わないでください、なんてことは言いませんから」
動揺が収まらないといった様子のキョウタに、アヤヤが優しく語り掛けている。それを見ているのかいないのか、彼はただただ困惑している様子だった。
「あ、アヤヤ先輩! 自分、アヤヤ先輩のことが好きッス! 愛してまッス! 自分と、お付き合いしてくださいッス!」
だが次の瞬間、キョウタは一気にまくし立てるように、愛の告白をやってのけた。周囲から「オオー」という感嘆の声が上がり、ひそひそとざわつき始める。
静かな喧噪の中、俺は一気に身体の芯から冷えていく心地があった。
抜かった。優勝をもぎ取ったことで奴の計画が破綻したと、勝手に思い込んでた。考えてみれば、こいつの計画のキモは大勢の前で再びアヤヤに告白することじゃないか。
そこで罪悪感を持っているアヤヤにオッケーさせた後で盛大にネタバラシをしつつ、彼女の過去を全部ぶちまけて振る。優勝は、あくまで盛り上げる為の一要素でしかなかったんだ。
焦りで俺の身体中が震えてきやがった。
ど、どどどどうしようッ!? アヤヤはキョウタを好きにならなきゃならないって言ってたし、巷では付き合ってんじゃないかとまで噂されていた筈。状況設定まで、バッチリじゃないか。
終わった。このままじゃアヤヤが、みんなの前で。
「ごめんなさい、キョウタ君」
「へ?」
俺は間抜けな声を上げていた。アヤヤが言葉と共に、頭を下げていたからだ。
「私はキョウタ君とお付き合いすることはできません。本当にごめんなさい」
「……は?」
呆気に取られていたのは、俺だけじゃなかった。ワンテンポ置いて事態を把握したのか、キョウタの口から出てきたのは、一言のみ。
「は、えっ? アヤヤ先輩。自分たち、付き合ってんじゃないかって、噂までされてたんスよ?」
「そうですね。私も色んな人から、恋仲なのかって聞かれてました」
「なんで、断るんスか? お前、これ、前と同じことしてるって、分かって」
「分かってます。でも、あの時とは違うこともあります。もう、何も分かってなかった頃の私じゃありませんから。私は全部分かった上で、ごめんなさいをします」
ヘナヘナと力なくその場に崩れ落ちたキョウタ。まさか奴の計画が、アヤヤによって破られることになるとは。アヤヤがNOを出すなんて、俺も思っていなかった。
彼女がキョウタに対して後ろめたさを持っていたのは事実だし、俺に対しても彼に応えると言い放っていたくらいだ。そこに関しては、全く疑いの余地はなかった筈なのに。
一体どうしたと言うのか。
「は、ははは。はははははははは! もう知らねえや、どうにでもなれッス!」
かと思ったら、突如として笑い出したキョウタ。アヤヤがビクッと身を震わせた目の前で、彼は大きく息を吸い込んでいる。
直後、冷や汗を流していた俺の背筋に電流が走ったかのような感覚があった。気が付くと彼に向かって走り出す。
「みなさーん、聞いてくださいッスー! このアヤヤ先輩、中学校の時に自分のことを」
「インターセプトォォォッ!」
「ムググゥ!?」
大声を張ったキョウタの口を、俺は右手で押さえつけた。
そのまま彼を立ったままで羽交い絞めにしつつ、声を上げさせないようにと口元を抑え続ける。
「はな、離せ、この、部外者、が!」
「いやいやいやいや、言わせねーからッ!」
俺の懸念はドンピシャだった。やぶれかぶれになったキョウタは、アヤヤの過去も何もかもをここでぶちまけてやろうとしていたのだ。
もがき続ける奴を何とか抑えている中、彼女が口を開く。
「ナルタカさん、キョウタ君を離してあげてください」
「あ、アヤヤッ!?」
彼女の信じられない一言に、俺の瞳孔が見開かれる。
「何言ってんだよアヤヤッ! こいつはアヤヤの昔のことを」
「別に良いですよ。やってしまったことは、事実なんですし」
「プハァ!」
唖然として抑えが緩んだ隙に、キョウタは俺の元から抜け出した。少し離れたところでこちらを振り返ると、顔に嫌らしい笑みを浮かべている。
「良い度胸ッスね、アヤヤ先輩。今さら物分かりを良くすれば、許してもらえるとでも思ってるんスか?」
「いいえ。キョウタ君が私のことを恨むのも当たり前ですし、許してもらおうなんて思っていません。私がしたことは、それだけ酷いことだったんですから」
ただ、と彼女は言葉を続けた。
「私は、もう逃げません。自分がしたことからも、キョウタ君からも」
真っすぐにキョウタを見つめたアヤヤのその瞳に、迷いの色はない。試合前とはまるで別人に見える程、彼女は威風堂々とした振る舞いだった。
「ハッ! その威勢がどこまで続くんスかねえ。言っておきますけど、自分、容赦しないんで」
アヤヤを鼻で笑った後に、キョウタは再び息を吸い込んでいた。今からでも走っていけば、もう一度彼を羽交い絞めにできるとは思う。
でも俺は、そうしなかった。アヤヤが逃げないって、言ったから。
「みなさーん、聞いてくださいよー。この皐月アヤヤって人、中学校の時から自分と仲良くしてくれてたんス。それこそ今みたいに、付き合ってるって思えるくらいに。なのにこの人、みんなの前で自分のことフッてくれたんスよ? 誰もが付き合うって信じてた中、そんなつもりはなかったってあっさり言ってのけたんスよ? 今日を含めて二回目ッスよ。どう思います、皆さん? 恥知らずにも程があると思いません? 自分はただ好きになっただけだったってのに。みんなも俄然応援してくれてたのに。その全員の純情な気持ちを、このクソアマは踏みにじってくれたんスよ? 最低でしょ!?」
「ッ!」
大きな声で、誰もに聞こえるようにはっきりと、キョウタは言ってのけた。アヤヤが抱えていた、一番大きな傷を、思いっきり抉る言葉。
キョウタの顔は、今までで一番邪悪に笑っていた。
あれが、復讐を成し遂げようとする人間の顔なのか。
「あり得ないでしょ? コイツ、結局誰も好きにならねえんスよ。その気にさせるだけさせておいて、いざとなったら被害者面するクソアマ。ちょっと顔が良いからって、調子に乗ってるんスよ。マジ最低だわ」
「…………」
「お、お前ッ!」
アヤヤは俯いたまま、何も言わない。シャツの裾を力いっぱい両手で握り締めて、ただただ耐えている。昔の傷を抉られる痛みに加えて、今の新たにぶつけられる痛みに。
俺は彼を黙らせる為に駆け出そうとした。これ以上は危険だ、アヤヤが保たないかもしれない。例えそれを彼女自身が望んでいなかったとしても、俺のエゴだけで止めさせてやろうと。
しかし勇んだ俺の足は、周囲のざわつきによって止まることになる。
「ウッソ、そんなことしてたの?」
「流石に二回目はないわー」
「よく断れたよね、メンタル強すぎじゃない?」
彼女に向けて放たれている、無遠慮なコメント。蚊帳の外の観衆は、当事者の気持ちなんか考えない。自分達の気が済むまで言いたい放題するのが、外野というものだ。
俺は足を止めて、周りを見た。下級生、同学年、上級生の入り混じった彼らは、集団という圧を形成している。
キョウタを止めるだけじゃ、もうどうにもならない。一度波及した噂の波は、止まることを知らずに大きくなっていく。その悪意の大津波の前で、俺にできることなんてあるのか。
一気に無力感に苛まれてしまい、動けなくなった。
「これが、私の贖罪です。私はこれを、甘んじて、受けなければ」
「そうッスよ、アヤヤ先輩! その惨めな気持ちが、苦しみが、自分がかつて味わった屈辱なんス! まだまだこんなもんじゃないッスよ。苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、もう止めてくださいって泣きながら自分に土下座するまで、終わらせませんからねえ!」
アヤヤは必死になって立ち続けていたが、ガクガク震えている膝では、今にも倒れ込んでしまいそうだった。対してキョウタは満面の笑みであり、勝ち誇っている。
奴を今すぐにでもぶちのめしてやりたかったが、被害者ぶっている奴を殴れば非難が一気に俺へと集中する。
空気の読めない奴、とクラスで浮くくらいなら問題はないが、上級生と下級生が入り混じったこの中で下手をすると、いじめの対象にもなりかねないかもしれない。最悪は学校中から無視されることだって、十分に考えられたが。
「いや、そんなことどうでも良い。アヤヤが苦しむことになるくらいなら、いっそ俺がッ!」
俺一人が犠牲になってアヤヤが助かるのなら、安い買い物だ。俺の彼女への想いは、たかだか学校中を敵に回したくらいで揺るぎはしない。
そんな程度で諦める俺が、ツツミちゃんの王子様である訳もない。またハルルに嘘つき呼ばわりされるくらいなら、俺の高校生活くらい、くれてやる。
諸々の覚悟を決めた俺がキョウタを睨み、奴に対して一歩を踏み出したその時。
「……でもよくよく考えたら、別に大したことでもなくないですか?」
とある女子の声が、大きめに辺りに響いた。その言葉が聴衆に届くと、今までとは違うざわつきが起こり始める。
たった一言で、流れが変わったかのような空気があった。その声は、まだまだ続いていく。俺はその女子の声に、聞き覚えがある気がした。
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