諦めなければ届いてくれる。決めて欲しいと声を張る


「行くぞアヤヤ。絶対に、俺達が優勝するッ!」

「はい、ナルタカさんッ!」


 拳を突き出すと、アヤヤはそれに拳を合わせてくれた。二人してニッと笑い、コートに戻っていく。

 現在の得点は、九対九。デュースのルールがない為に互いにマッチポイントとなり、先に一点取った方が優勝という状況になった。


 サーブ権はキョウタ、受けるのは俺だ。


「泣いても笑っても、これで最後だね、先輩。色々と分からないこともあるけど、もう全部どうでも良いよ。ボクは勝って、先輩に愛してもらう。ボクだけの王子様を手に入れてみせる。それだけだよ」

「ああ。来い、ツツミちゃん。だが俺は、そう簡単には手に入らんぞ?」

「それでこそ先輩だよ」

「つべこべうるせえッスね、これで終わらせる」


 俺達に対して露骨な悪態をついているキョウタがボールを高く放り投げ、自身も空中へと跳び上がった。

 俺はギョッとした。今まで奴が、こんなサーブをしているところを見たことがなかったからだ。


 最高到達点にて彼が思いっきり腕を振り抜いたその時、強烈なボールが俺の元へと飛来する。

 奴の怨念の全てが詰まったかのような、重いサーブが。


「なあッ!? く、そォォォッ!」


 咄嗟の反応で何とかボールを自分の腕に当てることには成功したが、それだけだった。ボールはアヤヤの元へ行くことはなく、山なりで相手コートの方へと飛んで行ってしまう。

 不味い、ここ一番で攻めに出られないとは。


「油断したね、これで決める。行くよ、鹿嶋枝君っ!」


 緩いボールを悠々と拾ったツツミちゃんは、ネット際へと駆け出していた。キョウタからトスが上げられ、彼女が今日一番でのスパイクを放ってくる未来がありありと見える。

 俺は腰を落として身構えていた。


「来るぞアヤヤ、構えろ」

「はいッ!」


 上がったボールの落下点にいるキョウタと、ネット際にたどり着いたツツミちゃんだ。

 俺の想定をアヤヤも分かっているらしく、二人して彼のトスの後に来るスパイクに備える。


「……かかった。ここッス!」

「「えっ?」」


 キョウタがニヤリと笑った。

 俺とアヤヤが「えっ?」の二重奏を奏でた次の瞬間、彼はトスをそのまま俺達のコートへと投げてきたのだ。


「えええっ!?」


 跳び上がろうとしていたツツミちゃんですら驚いていた、キョウタによる完全な不意打ちだ。

 味方さえも欺いたボールは、動けないでいる俺達を嘲笑うかのような優しいものだった。緩い起動を描きながら、俺達のコートのネット際へとゆっくり落ちていく。


「ッ! や、ヤバ、いッ!?」


 反射的に動き出そうとした俺の身体だったが、踏ん張った足がガクンと崩れ落ちた。

 ここに来てアドレナリンが切れたのか、一気に疲労感が身体中に広がっていっている。足の感覚がなく、力が入らない。


 こんな、大事な時に。


「私がッ!」

「アヤヤッ!?」


 動いたのはアヤヤだった。

 前に向かって跳び込むと、必死になって腕を伸ばしている。


「諦め、ません。ナルタカさんは、いつだって諦めなくて、しつこかったじゃないですか。私、だってッ!」

「と、届け、届けェェェッ!」


 俺は祈るような大声を出した。ボールは地球の重力加速度に従って、どんどん落下速度を上げていく。

 今にも砂浜に接しようとした、間一髪。


「ええいッ!」


 アヤヤの伸ばした腕が、その間隙に滑り込んだ。

 遮二無二振るった彼女の腕が、砂浜とマジでキスする五秒前だったバレーボールを上空へと叩き返す。


「あっ、し、しまった」


 飛び込み終わり、顔を上げたアヤヤが青ざめる。後先を考えていなかったが為に、バレーボールは味方のコートを飛び越えて後ろへと飛んで行っているのだ。


「あ、諦めて堪るかァァァッ!」


 俺が吠えた。動かない足を殴りつけると痛みと共に感覚が戻り、弾かれたように俺は走り出した。

 ボールはコートと観衆を飛び越えて、なんと海に向かっている。人混みをかき分けて走った足元は既に浅瀬であり、寄せては返す波が俺の行く手を阻んだが。


「マムシ舐めんなゴルァァァッ!」


 俺は身体ごと上を向いて跳び上がり、海面を背にする。

 目の前に落ちてきたバレーボールを、アヤヤのいる味方コートに向かって、両手で思いっきりトスして吹き飛ばした。


「ガバゴボグハッ!? ブハァッ! ゲホ、ゲホ、ぼ、ボールはッ!?」


 海に背中から落下した俺はしこたま海水を飲むハメになったが、すぐに吐き出して立ち上がった。

 全身ずぶ濡れで目を開いた俺の視界の先には、舞い上がったボールに向かって跳び上がろうとしているアヤヤの姿がある。俺の決死のトスは、しっかりと彼女の元へと戻っていた。


「えいやぁッ!」


 アヤヤが声を上げて跳んだ。彼女はなんと、ネットの上まで到達していた。

 その姿に、俺の記憶が蘇る。入学式のあの日、鳥の雛を巣に返してあげようとしていた、あの時のジャンプを。


「させないっ!」

「や、やらせねえッスよ!」


 彼女の前に、ツツミちゃんとキョウタが立ちはだかった。ビーチバレーにおいて、二人でブロックするというのはあまり見ない光景だ。

 まさか拾われるなんて思わなかったからこそ、彼らは焦った。互いに声を掛け合った訳でもなさそうで、きっちりと距離を詰めている訳でもない。


 アヤヤにも彼らの間隙が見えているのか、腕を振りかぶった際に確信めいた言葉を放った。


「いいえ。これで決めます」


 再びアドレナリンでも出ているのか。その瞬間の光景を、俺はまるでスローモーションビデオであるかのように見えていた。


「ツツミちゃん、キョウタ君。私は、彼のことが」

「アヤヤさん」

「アヤヤ、先輩」


 一瞬のことである筈なのに、遠目なのに。彼らのやり取りが手に取るように分かる。もちろん、アヤヤの言葉も。

 やがてボールが彼女の元へと落ちてくる。彼らの手の合間を狙って思いっきり手を振り抜き、ボールを相手コートに叩き落とすだけだ。俺は大声を上げていた。


「決めろアヤヤァァァッ!」

「ナルタカさんのことがッ!」


 俺の声に呼応するかのように、アヤヤも声を上げていた。振りかぶった腕を、思いっきり振り抜いた。

 決まったッ!




 ――ブルンッ!




 しかし次に俺の耳に飛び込んできたのは、腕が思いっきり空を切った音だった。


「「「えっ?」」」


 俺、ツツミちゃん、キョウタの三人が「えっ」の三重奏を奏でる。アヤヤがスパイクを空振ったと分かったのは、もうワンテンポしてからのことだった。

 興奮して逸る気持ちを抑えられなかったのか、はたまたちゃんとボールを見ていなかったのか。アヤヤはボールが手の届く範囲にくるより前に、腕を振るってしまったのだ。


 未だ、ボールは彼女の頭上にある。


「お、終わった」


 俺は膝から崩れ落ち、水しぶきが上がる。

 元々運動音痴だったアヤヤが、ぶっつけ本番でスパイクなんか打てる訳がなかった。トスだって、最初は空振っていた彼女だ。よくよく考えたら、そうなって当然だったって訳か。


 これで俺らの負け。賭けは失敗し、アヤヤは俺のことを考え直してくれることもなく。キョウタの告白劇を見て彼女がそれを受け入れ、大観衆の前で裏切られて復讐されることになる。

 トラウマを盛大に再現した彼の一撃によって、アヤヤは今度こそ塞ぎ込んでしまうかもしれない。


 俺はそれを止められた筈なのに、止められなかった。彼女を助けて、あげられなかった。

 こんな状態で、俺はツツミちゃんの愛を受け入れてあげることができるのか。彼女に真摯に向き合えるのか。


 これ以上、彼女を傷つける訳にもいかないが、かと言って嘘をつくこともできない。

 俺の中で割り切れない気持ちがグルグルグルグルと回り続け、訳が分からなくなりそうだった。


 対して、件の張本人であるアヤヤは、腕を振った勢いのまま空中で前のめりになっていた。あのままじゃ、顔から砂浜に落ちるんじゃなかろうか。

 キョウタにぶつけられたり砂浜にめり込んだりで、せっかくの綺麗な顔が台無しになってしまうぞ。せめて彼女には、どんな時も綺麗でいて欲しい。


「痛ッ!?」


 俺の変な心配を余所に、アヤヤが声を上げていた。

 見ると、落ちてきたバレーボールが下を向いた彼女の後頭部にヒットしたらしい。彼女の頭でワンクッション入れたバレーボールは落下の軌道を変えていく。


「あれ?」


 とうとう視界までおかしくなったのか、俺は目をこすってもう一度見た。見間違いでなければ、ワンクッション入れたバレーボールは再び山なりに浮き上がって。

 ネットとその向こうにいた後輩二人の上を越えて、相手のコート内へと落下を始めているではないか。


 ウッソだろお前。


「なぁっ!?」

「そ、そんな馬鹿なッス!」


 自分達を越えて背後に落ちていくボールに、悲鳴に近い声を上げている二人の下級生。首は向いていたが、身体ごと反応することはできなかったみたいだ。

 彼らが砂浜に着地すると同時に、バレーボールも彼らのコートへと落ちる。柔らかい砂の上に落ち、バウンドすることもなかったボールの着地音は、とても静かなものだった。


「ふぎゃあッ!?」


 一方、味方のコートにはアヤヤが盛大な音と共に落ちていた。

 俺の懸念通り、顔面から砂浜に落ちた彼女は、すぐに顔を上げてぺっぺっと舌を出している。


「へ?」


 顔の砂を掃い終えた後で、ようやく彼女も気が付いたらしい。何故かボールが相手コートに落ちていることを。


「あ、あれ? 私、空振っちゃったんですけど。えっ、えっ?」

「そこまで、試合終了。十対九で二年D組の芝原、皐月ペアの勝ち」


 状況が飲み込めていない俺達に対して、審判の男性教員は極めて冷静に結果を告げていた。

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