心を決めて彼女に告げて。気づいたことは残酷だ


 丘の上公園は参翠高校の校区内にある、比較的広い公園だ。港が見下ろせる小高い場所にあり、夏祭りで花火が行われる時は、人でごった返すほど。

 ただし、それ以外の時には人多い訳でもなく、かと言って寂れている訳でもないという絶妙な人気を誇っている。


 雨上がりの公園に着いた俺は、濡れた草木の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら息を整える。雨で園内の大気も洗われたのか、吸い込んだ空気は何処となく清々しさがあった。

 水溜りを避けつつ、俺は港が眼下に広がる柵の方へと歩いていく。滑り台やブランコがある遊具の方ではなく、たまにスケボーの練習をしている人がくらい開けた場所だ。


 街灯が灯り、日が暮れてもそれなりに明るいここなら見通しが良く、誰かが待っていることを知らせやすい。待ち合わせにはもってこいだな。

 息を整えつつ喉がガラガラだったので、近くの自動販売機でスマホ決済にて缶のお茶を買い、一気に飲み干す。身体内に水分が満ちていくのを感じた頃には、俺は自分の心を決めていた。


「先輩」


 飲み終えた缶をゴミ箱に放ってから、柵に持たれて港を背にしていた時。待ち人は現れた。

 黒い短髪に金色の瞳。低い背丈に不釣り合いは大きいおっぱい様を、青色基調のセーラー服に押し込めている彼女。


 俺が傷つけてしまった、後輩の女の子。


「ツツミちゃん。来てくれたんだ」


 彼女が現れた時、不意に、風が止んだ。黄昏が風を止めたかのように、辺り一帯がしんと静まり返る。

 チラリと空を見上げてみれば満月が輝き、その近くにあった雲の一つが千切れていた。これは何かの前触れなのか。


「一応、呼ばれたから。で、何の用なの?」


 彼女に向き直ってみれば、不機嫌そうな表情を隠そうともしていない。当然だろう、あれからまだ二日しか経っていないんだ。

 むしろ来てくれただけでも、俺は土下座して感謝しなければならない。


「チャットした通り、大切な話がある。大丈夫、時間は取らせないから」

「そ、そう、なんだ。まあ別に、ボクも予定がある訳じゃないから、良いけど」


 至って真剣な表情をしている俺。対してツツミちゃんは不機嫌そうな顔をしつつも、何処か浮き足だっているようにも見えた。


「まずは謝らせて欲しい。ツツミちゃんみたいな良い子を、消去法で選ぼうとしてた俺が馬鹿だった。ツツミちゃんの気持ちも考えず、自分本位だった。本当にごめん。全部、俺が悪かった」


 とは言え、いちいち気にしていたら話が進まん。俺はまず謝罪から入った。

 頭を直角に近い角度まで下げ、一言一句をはっきりと彼女に伝えるように努める。


「これに関しては、是非とも償いをさせて欲しい。何でも、なんて安請け合いはできないけど、出来る限りのことはするつもりだ」

「ふ、ふーん、そっか。ちゃんと謝ってくれたんなら、ボクも別に良いんだけどさ」


 俺の真摯な謝罪に対して、ツツミちゃんはいやにあっさりと許してくれた。


「……先輩。話って、それだけなの?」


 顔を上げてみれば、そっぽを向きつつもチラチラと俺の方を見ている彼女の姿があった。どうも他のことを気にしているように思える。


「もちろん、話はこれだけじゃない。もっと大切なことを言いたくて、呼んだんだ」

「そ、そっか。そうなんだ。じ、じゃあ聞かせて欲しいなあ。先輩の大切なお話」


 手を後ろに回して、身体をもじもじさせているツツミちゃん。顔は下斜め横を向いているのに、目だけは俺を捉えて離さない。

 背が低い彼女は俺を見る時、必然的に上目遣いになるので、より彼女の可愛さが強調される。


 俺は一度、深呼吸をした。

 今から彼女に言わなければならない。ここに来るまでに決めた俺の心を、しっかりと伝えなければ。


「ツツミちゃん」

「な、なに、先輩?」


 深呼吸で気持ちを落ち着けた俺は、彼女の名前を呼んだ。頭の中でもう一度だけシミュレートした後で、言葉をまとめる。

 再度口を開いた時、俺に迷いはなかった。


「俺はアヤヤのことが好きだ」

「えっ?」


 ツツミちゃんは目を丸くしていた。


「先輩、今、なんて」

「俺はアヤヤのことが好きなんだ」


 戸惑っている彼女に対して、もう一度俺は言った。自分の気持ちを間違えないように、はっきりと。


「一年生の時に初めて彼女を見て、心が揺れた。この子が良いって、自然に思えたんだ。その時のことは、今でも覚えている」

「…………」


 ゆっくりと言葉を紡いでいく俺に対して、ツツミちゃんは何も言わない。


「俺さ、やっぱり諦められないんだ。アヤヤのことが、好きなんだ。例え今、あのキョウタと付き合うんじゃないかって言われてても。拒絶されて、ビンタまでくらったとしても。やっぱり俺、諦められないんだ。まだ、食い下がっていたいんだ」

「……んで」


 俯いた彼女が、小さい声で何かを呟いた気がした。

 俺の耳は、それを拾ってはくれなかったので、言葉を続けることにする。


「カッコ悪いかもしれないけどさ、俺、まだ何も出来てないと思ってるんだ。試せること、頑張れることを全部試して。最後の最後でアヤヤがやっぱり駄目だって言うその時まで、諦めたくないんだ。だからごめん。俺、ツツミちゃんには」

「なんで」


 聞こえた。今度はちゃんと、聞き取ることができた。

 ツツミちゃんは顔を伏せたまま、身体を震わせている。


「ツツミちゃん? 一体どうし」

「なんでだよっ!」


 声と顔を張り上げたツツミちゃんの瞳には、涙が浮かんでいた。


「なんでカッコ良い先輩はそうなんだよっ!」

「ッ!?」


 悲痛な叫びが、辺り一体に木霊する。夕陽はいつしか沈み切っており、周囲の街灯がチラチラと点き始めていた。

 その灯りが、歯を食いしばった彼女の泣き顔を仄かに照らしている。


「なんで、どうして、先輩はそんなにカッコ良いんだよ。こんなのってないよ、あんまりだよ。やっと、いつもの先輩に戻ってくれたのに。アヤヤさんのことなんか振り切って、ボクを見てくれると思ってたのに。でも、先輩はカッコ良くて。ボクが好きな先輩は、ボクの王子様は、こうじゃなきゃ駄目で。ああ、あああっ!」

「つ、ツツミちゃん?」


 俺のことを好いてくれていた彼女に、思いっきり別れを告げることになる。

 それが分かっていたから、ある程度の心構えをしていたつもりだった。


 しかし蓋を開けてみれば、突如として泣き始めたツツミちゃんの言っていることが、全くの予想外だ。

 泣かれるかもしれないとは思っていたが、彼女が何を喚き出したのか分からない。


 俺は視線が定まらず、あちこちに彷徨わせつつも、両手で顔を覆っている彼女の方を見ずにはいられない。

 何かしようと手が動くも、どうしたら良いのか分からずに、空を切っている。


「……ボクは先輩が好きだ」


 やがて落ち着いてきたのか、俯いたままのツツミちゃんがポツリポツリと語り始めた。


「ボクの知ってる先輩は、人一倍しつこくて、諦めが悪くて。無様で、変態で、みんなから笑われて……でも、大切な時には、一番カッコ良い姿を見せてくれる。手を取って欲しい時に、手を差し伸べてくれる。辛い時は、ずっと傍にいてくれる。それが、ボクの好きな先輩なんだよ。こんな男の人、初めてだった。初めて、だったんだよ」


 覚えてる、ボクを助けてくれた中学校の時のこと、と彼女は続ける。忘れる筈がなかった。

 体育館倉庫に連れ込まれていた時の彼女の怯えた表情は、今でも覚えている。


「ずっとえっちな目で見られてて、遂には手まで出されそうになったあの時。怖いだけだったボクの所に来てくれた先輩は、立ち直れるまで慰めてくれた先輩は。ボクにとって、王子様だった。それに気が付いたのは、先輩が卒業しちゃった時。いつも一緒にいてくれた先輩がいなくなったら、酷く寂しくなって。ああ、そうか。ボクは先輩が本当に好きだったんだって、分かった」


 両手を顔から離しても。彼女はずっと、俯いたまま。


「ボクは知っている。しつこい先輩を、諦めない先輩を、カッコ良い先輩を。ボクは愛してる……だけど」


 そこで初めて、ツツミちゃんは顔を上げた。悲しみと怒りと歓喜と悔しさが、綯い交ぜになったかのような表情で。

 叩きつけるように、彼女は言葉をぶつけてきた。


「ボクが好きなカッコ良い先輩は、ボクのことを見てくれないっ! いつだってアヤヤさんしか見てないんだっ!」

「ッ!」


 彼女の叫びは、俺の鼓膜と心を思いっきり震わせる。彼女の言わんとしていることが、はっきりと理解できてしまった。

 彼女はずっと、俺のことを待っていてくれた。俺が他の人が好きだと言っても諦めず、辛抱強く、待ち続けてくれていた。


 おそらく彼女は、今日こそ報われる日だと思っていた。俺が好きな子と一悶着を起こし、彼女自身とも喧嘩に近いものになった。

 仲直りしようという話を持ちかけられて、そこから発展があるんじゃないかと期待していたが、俺はまだ諦めないという。


 そんな俺を見て、彼女は気づいたんだ。

 しつこくアタックし続ける俺こそが、彼女にとっての王子様。


 つまり、アヤヤにアプローチをしてツツミちゃんに振り向かない俺こそが、彼女が一番好きな俺なんだということを。


「酷いよ、先輩。ボクを見てくれない先輩が、一番カッコ良いだなんて。こういう先輩が好きなのに、その時は絶対にボクを好きになってくれないなんて……はは、はははっ。なんだよ、これ。お姫様は王子様と結ばれるものなんじゃないの? ボクは先輩のお姫様になれないって言うの?」


 最初こそ、こんなことはなかった筈だ。アヤヤと出会う前に彼女に告白されていたら、彼女に対して初恋を芽吹かせていたかもしれない。可能性は大いにあった。

 だが、もうそのタイミングは過ぎ去った。ツツミちゃんが俺を好きだと自覚した時、俺はアヤヤのことを好きになってしまっていたから。


「こんなの嘘だよ、悪い冗談だよ。ねえ先輩。冗談だって、言ってよ」


 ツツミちゃんは俺の方に寄ってくると、力無く俺のシャツを両手で掴んだ。彼女の手は、これ以上なく震えている。


「せっかくカッコ良い先輩に戻ってくれたのに、こんなことある? ないよ、あり得ないよ、こんなの嫌だよ。先輩、お願い。今の先輩のまま、ボクを選んで。ボクの全部をあげる。この身体も心も、全部先輩の好きにしていいからさ。物みたいに扱ったって構わない。先輩の大好きなえっちなことだって、何でもしてあげるよ? ねえ、先輩。お願い。お願い、だよお」


 彼女はとうとう、膝から崩れ落ちた。膝立ちのままでも俺のシャツを離すことはなく、ずっと請い続けている。俺はそれに、応えることができない。


「先輩、先輩。今ここで、ボクを選んで。選んで、よおっ。あああああっ、うあああああああああああああんっ!」


 声を上げて、ツツミちゃんは泣き出した。小さな肩を震わせながら、大きな口を開けて泣いている。

 俺は見ていられなくて、思わずしゃがみ込んで彼女を抱きしめていた。


「……本当にごめん、ツツミちゃん」


 心を決めた俺は、嘘をつけない。ここでアヤヤを諦めて彼女と向き合うなんて言ったら、それこそが彼女の嫌いな俺だ。

 俺の心は、とっくにアヤヤに持って行かれたから。アヤヤを捨てられない俺だからこそ、彼女は好きでいてくれている。


 しかも嘘をつくなって、ハルルに一回怒鳴られているしな。これ以上は、もうたくさんだ。


「ツツミちゃんのことは、大切な後輩だと思ってる。こんな俺のことを本気で好きでいてくれてることも、ちゃんと分かってる。けど俺は、応えられない。ごめん。ごめん、な」

「うあああああああああああああんっ! うあああああああああああああんっ! 先輩のバカっ、バカっ、バカぁぁぁっ! なんでそんなにカッコ良いんだよぉぉぉっ! うあああああああああああああんっ!」


 俺は何も言わなかった。泣いているツツミちゃんを、ただただ抱きしめていた。これが正しいことかなんて、欠片も思わない。ここで突き放してあげる方が、よっぽど彼女のためなのかもしれない。

 それでも俺は、目の前で泣いている大切な彼女を、放ってはおけなかった。我ながら度し難いと思った。


 彼女を抱きしめたまま、俺は空を見上げる。先ほど千切れた雲がまた、他の雲と一つになっていた。

 これは元に戻ったと見るべきなのか、あるいは新しい始まりと見るべきなのか。


 満月の下、気持ちに応えてあげられない女の子を抱きしめている俺には、分からなかった。

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