良い訳ないと吠えてみれば。嘘をつけと怒鳴られた


 電灯の点いていない薄暗い自室の扉を、やかましく殴りつける音が鳴り響く。スマホで時間を確認してみれば、もう夕方だった。

 ああ、帰ってきたのか。白い半袖のシャツに薄手の黒いスウェットズボン姿で諸々を理解した俺だったが、布団の中から動こうとは思わなかった。


「馬鹿兄、馬鹿兄っ! 二日連続で家事どころか、学校までサボったってどういうことっ!? いい加減にしてよっ!」


 ハルルの声だ。

 そう言えば親父とお袋は仕事がヤバ過ぎてしばらく帰れないかもしれない、とか家族のグループチャットで言ってたっけ。


 システムエンジニアも大変だよな。いま家にいるのは、俺と彼女だけか。


「…………」


 状況が分かったからと言って、なんになるのか。俺は揺れてる扉を面倒くさげに一瞥しただけで、布団の中に潜り直した。

 もう学校に行きたくない。あそこには、俺の居場所なんかないから。クラスも図書委員もアヤヤもツツミちゃんも、何もかも知ったことか。


 そもそも俺がいなくなったところで、何の問題があるのか。クラスメイトが一人いなくなっただけで学級崩壊は起こらないし、図書委員には他の誰かが赴任することになる。

 アヤヤにはキョウタがいるし、ツツミちゃんだって他の誰かが放っておかない筈だ。


 世界は俺一人がいなくなった程度で、揺るぎはしない。なら別に、頑張る必要なんてないじゃないか。

 今の時代、引きこもりなんて珍しくもなんともないし、制度はよく知らんけど生活保護だってある。隅っこに丸まって迷惑をかけないように、生きていくことだってできる筈だ。


 それが俺のやるべきことだ。誰にも迷惑をかけずに社会の端っこで生きて、死ぬ。

 いや、なるべく早く死んだが良いかもしれんな。こんな人間のクズ、生きてるだけで誰かの迷惑になるかもしれん。


 まだちょっと怖くて自殺までは踏み出せないけど、早めに死ぬからさ。少しくらい目こぼししてくれよ。


「えーいっ!」

「なァッ!?」


 静かに腐っていこうと思っていたら、鍵をかけていた筈の扉が破られ、部屋の中に光が差し込んできた。

 見開いた目に映っていたのは、大きな剪定ばさみ振り抜いた格好でいる、いつものブレザーを着たハルルの姿だ。


 俺は思わず、布団から身体を起こしていた。


「やっと開いた。馬鹿兄、一体どーゆーつもり?」

「は、ハルル。い、いやその、俺は」


 手に持った剪定ばさみを放って、こちらへ近づいてくるハルル。声色は怒り調子なのに、彼女の顔にあるのは心配そうな表情である。

 そのギャップが相まって、俺はしどろもどろになるしかなかった。


「話して、全部話して。この前様子がおかしかったあの日のことから、全部」

「べ、別にお前には関係ないだろ」

「関係なくなんかないっ!」


 俺の目の前にしゃがみ込んだハルルが、俺を射抜くように見据えてくる。

 怒った声と不安げな瞳のままで。


「家族が、こんなに辛そうなのに。関係ないことなんて、ないでしょ」

「ハルル……」


 彼女は何も言わなくなった。ただただ心配そうにこちらを見据えてきて、俺が口を開くのを待っている。

 彼女の視線が、震えた声色が心に痛くて。


 俺はロクに水も飲んでいない乾いた喉を無理やり鳴らし、ポツリポツリと今までのことを話していた。


「もう、分かっただろ。俺は、最低なクズ野郎なんだ。こんな人間、いなくなった方が良いに決まってる」

「…………」


 話し終わった俺は、半笑いを浮かべていた。それが自嘲の所為かヤケクソかは知らなかったが、雨音と乾いた声が自室に静かに響いている。

 ハルルは何も言わない。


「もう、放っておいてくれよ。こんな俺なんかがどうなったって」

「馬鹿兄は」


 自虐を続けていた時、不意にハルルが俺を呼んだ。


「結局、どうしたい訳?」

「は?」


 いきなり問いかけられた内容に、頭がついてこない。


「どうしたい、なんて。このまま腐っていけば良いだろ。俺みたいなクズには、そういうのがお似合い」

「本当に? 本当に馬鹿兄は、このままで良いの?」


 またも言葉が被せられた。彼女の真っすぐな瞳は今、不安げに揺れてはいない。何か強い力を宿しているようにも見えて、落ち着かない。


「ほ、本当もなにも、そうなって当然って話で」

「アヤヤさんに一方的に突き放されて、ツツミ先輩を傷つけて。後は一人で布団にくるまってウジウジしてる体たらくで、本当に良いのね?」


 こちらを馬鹿にするかのような、挑発的な言い回しだった。思わず、俺の声も荒いものになる。


「う、うるせえな。良いもクソもねえんだよ、何にも知らねえ癖に偉そうに」

「本当に良いのかって聞いてるのに、なに文句垂れてる訳? 聞いてるのはこっちなんだけど」

「ああ? ドアぶっ壊して勝手に入ってきておいて、なんだよその言いぐさは」


 彼女の調子にあてられて、俺も段々とイライラしてきていた。

 最初は心配してくれているのかと思ったが、今のハルルを見ていると、家事を押し付けられたことに対する報復なんじゃないかとも思えてくる。


「なんだよ、家事サボったこと怒ってんのか? たかだか一回やらなかったくらいで、自分は被害者だとでも言うつもりか? くだらねえ」

「は、なに言ってんの? 言えないからって、話逸らして逃げる気? ダサ」

「はあああッ!? 喧嘩売ってんのかテメェェェッ!」


 一気に頭に血が上った俺は布団から出ると、ハルルの胸倉を掴んでいた。


「オメーに何が分かるんだよ? ちょっと話を聞いた程度で、イチイチうるせえんだよッ!」


 ハルルは俺の胸倉を掴み返してきた。


「分かんないよ。だから聞いてるんじゃん、本当に良いのかって。言ってみろ、この馬鹿兄っ!」

「良い訳ないだろッ!?」


 身体の奥底から湧き上がってくる思いをそのままに、俺は吠えた。

 心の奥底に仕舞い込んでいた激情が、大声となって木霊する。


「アヤヤとあんな一方的に喧嘩別れされて、ツツミちゃんまで傷つけて、このままで良い訳ないだろッ! 俺はこんなこと望んでなんかなかった、こんな筈じゃなかったんだッ! だけどもう……どうしようもないじゃねえか。何もかも、手遅れで」

「嘘つけっ!」


 ひと際大きいハルルの怒鳴り声が、俺の口をつぐませた。

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