折れて伸ばした手は払われて。止まない雨が冷たいよ
全てを話し終わった後、俺の目からは涙が溢れていた。
「俺さ、拒絶されたの、初めてなんだ。嫌がられたり、嫌われたりすることはあったけどさ。あんな風に、もう来るなって、アヤヤに言われるなんて。俺、思った以上に、ショックでさ。もう、ずっと」
いつの間にか握りこんでいた拳が、震えている。
「そっか。辛かったんだね、先輩」
「ッ!」
ぼやけた目を向けてみれば、ツツミちゃんは微笑みながら俺のことを見ていた。
優しそうに、可哀そうに。
そんな彼女の姿にまた涙がこみ上げるのと同時に、俺は心が下に向かって折れ曲がったのを感じた。
「でも大丈夫。先輩なら、ここからでもまだ」
「もう、無理だよ。頑張れねえよぉ。俺、俺」
彼女の言葉を遮って、俺は呻いた。情けない言葉が、後から後から零れ落ちてくる。
胸の奥を捩じ絞られるような感覚に陥って、眉が歪んでしまう。
「諦めたって、良いじゃねえかよ。どうにもならねえことだって、あるじゃねえかよ。なんだよ、畜生」
「…………」
出てくるだけの愚痴を吐き続ける俺は、無様という単語がピッタリだ。俯いて、涙を床に落としながら肩を震わせている。客観的に見たら、格好悪いなんてもんじゃない。
ツツミちゃんは何も言わなかった。彼女は静かに、俺の傍にいてくれるばかり。
なんて優しいんだろう。ずっと他の女の子を見ていたのに、ずっとずっと振り向けなかったのに。
彼女は俺に寄り添ってくれる。
無様な俺を、受け入れてくれている。
彼女の姿が、とても大きなものに見えた。
その時、内側から俺に囁きかけてくる声があった。
それは天使の助言か、悪魔の囁きか。
「……なあ、ツツミちゃん」
「何、先輩?」
「カラオケで出来なかった返事、今しても良いか?」
もう彼女で良いんじゃなかろうかという思いが、胸の内を占めていく。目の前にいるツツミちゃんは身体をピクリと揺らしたが、絶対にオッケーしてくれる筈だ。
彼女と居れば苦しいことも、辛いこともない。ずっとずっと受け入れてくれて、情けない姿でさえ見せられて。何も心配要らないままに、心安らかに、いられる。彼女もそれを望んでいるんだったら、一体何を躊躇う必要があるのか。
もう頑張らなくて良い、もう必死にならなくて良い。ツツミちゃんと一緒にいるだけで、俺は何も苦労しなくて良い。
彼女と付き合うことになったら、どんな日々になるのか。朝は早くから起きなくても良くて、ギリギリまで寝てるんだ。
ハルルのことも知ってる訳だし、寝坊した日にはツツミちゃんが部屋まで起こしに来てくれるかもしれない。しょうがない先輩、なんて言いながらも笑顔で起こしてくれる彼女を見て、俺も笑って起きるんだ。
ご飯を食べた後は一緒に登校して、授業中はちょっと離れないといけないけどさ。授業中やその合間に、ずっとチャットでやり取りして。昨日見たテレビとかSNS、動画サイトの最新動画の話なんかで盛り上がるんだ。
昼飯は今まで通り、二人っきりで。邪魔されることもないままにお手製のお弁当をあ~んして、させてもらって。午後の授業ダルいね、なんて話ながら別れて、授業中もずっと連絡取って。
放課後になったら一緒に帰りつつ、またマイナスイオンモールに行くのも良いな。制服姿のままでデートするなんて、いかにも青春って感じがするじゃないか。
今度は俺の水着も見てもらおう。彼女の好みは、どんな水着かな。ふざけてブーメランパンツとか履いちゃって、先輩のえっち、なんて怒られたりして。二人とも笑っててさ。
いずれは俺の家なんかに来てくれて。そういう時に限って、ハルルもいなくてさ。家の中で二人っきりになって、ふとした拍子に互いを意識しちゃって。
目を閉じて、ゆっくりと唇を近づけちゃったりして、二人で、そのまま……。
俺の頭の中に思い描かれる日々。生温かい泥に沈んでいくような、優しいツツミちゃんにずっと溺れていけるような幸せ。
それの何が悪いと言うのか。
百人いれば百人が頷きそうな幸せに、何の文句があると言うのか。
ないに決まっている。俺が一歩踏み出せば良い。
心の底で何かが叫んでいる気がするが、無視すれば済む話だ。頭の中にずっとこびりついているアヤヤのことさえ諦めれば、妥協すれば、事は全て丸く治まるんだ。
こちらから聞いた癖に彼女の返事を待たないまま、俺は再び口を開いていた。
早く、早く言ってしまいたかった。
楽になりたかった。
取り返しのつかない様になってしまえば、後悔しない筈だから。
「俺、ツツミちゃんのこと」
「先輩」
変な焦りが出てきて急ごうとした俺に、ツツミちゃんが言葉を被せてくる。
まさか彼女から言ってくれるのか。言わなくても分かってるよと、そこまで気を使ってくれるというのか。
何処まで良い子なんだろう、どうして俺はこんな子に言い寄られて見向きもしていなかったんだろう。
ああ、もったいなかったな。もっと早く頷いていれば、こんな思いをしなくても良かったのに。
安堵と後悔が同時に襲ってきつつも、期待感が一番大きかった。
だが彼女の口から告げられたのは、思いもしない言葉だった。
「嫌だ」
「ッ!?」
明確な拒絶の言葉だった。
昨日のこともあって拒絶に敏感になっていた俺は、慌てて口を開く。
「な、何が、何が気に入らなかったのッ!? 気に障ったんなら謝るからッ!」
「ボクは先輩が好きだよ」
早口になっている俺を、彼女が真っすぐに見据えてくる。
その真剣な瞳に、俺は何も言えなくなった。
「先輩が好きなのは、嘘なんかじゃない。助けてくれたあの日に芽生えた想いは、先輩が卒業しちゃった時にはっきりと分かった。ボクはずっと、先輩と結ばれたかったんだって」
「じ、じゃあ何で嫌だなんて言うんだよ? 俺のことが好きだったんなら、何も」
「でも」
一度目を閉じた彼女が、キッと目を見開く。
厳しい視線に、俺は腰が引ける思いだった。
「こんなカッコ悪い先輩なんて、嫌だ。ボクを都合の良い女の子みたいに思ってる先輩なんて、もっと嫌だ」
「つ、ツツミちゃん?」
彼女の言っていることが分からなければ、焦った頭では彼女が次に何を言おうとしているのか全く想像ができない。
にも関わらず、身体中の血管が不快にざわついている。まるでこの後のことに、身構えているかのように。
俺の心の準備を嘲笑うかのように、次に彼女が放った言葉は、腰が引ける程度なんかじゃ済まなかった。
「アヤヤさんと結ばれないから妥協してボクを選ぶ先輩なんて、絶対絶対嫌だっ!」
「ッ!」
ツツミちゃんの悲痛な叫び声に、俺の頭を金槌で殴り抜いたかのような衝撃を覚えた。
心の奥底に隠していた図星を突かれ、何も言い返すことができない。
「なんだよ、それ。やっと、面倒くさいアヤヤさんのことが終わって。ちゃんとボクを見てくれるって、思ったのに。こんなこと、言われるなんて」
彼女は、震えていた。歯を食いしばって、拳を握り締めて、瞳をギュッと閉じて。
そこにいるのは、先ほど大きく見えた筈のツツミちゃんじゃない。
ただただ何かを堪え続けている、小さな彼女。
「そんな先輩なんて、もう知らないっ!」
「あっ」
限界が来たのか、ツツミちゃんは目を閉じたまま大口を開けた。彼女は踵を返すと、音楽室の扉を開け放ってさっさと出て行く。彼女の道筋には、俺ではない雫の軌跡があった。
残されたのは、何も言えないまま彼女へと力なく右手を伸ばし、呆然と立ち尽くしている俺だけ。
動くことも、泣くことも、瞬きすらできず。いなくなった彼女の影を追うかのように、開いたままの扉を、廊下を、その先の窓の向こうを目に入れているだけ。
昨日の今日で、俺は二度も取り残されることになった。
雨はまだ、止まない。
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