何でもないと笑ってみても。君から全然逃げられない
日付が変わった。自室で目が覚めた俺が外を見やると、まだ雨が降っている。雨音が昨日の出来事を連想させてきて、俺は勢いよく首を振った。
さっさと着替えて台所へと向かう。家事分担アプリの通知によれば今日は朝飯の担当か、ちゃんとやらねば。
卵を割って和風だしと薄口の醤油、水、砂糖を入れ、かき混ぜて熱したフライパンに少しずつ入れる。薄焼きにして巻いて、溶き卵を入れての繰り返し。
完成したのはだし巻き卵だ。我ながら綺麗にできたな。
「ねえ馬鹿兄、どうしたの。変なものでも食べた?」
卵焼きの出来栄えに惚れ惚れしていたら、マイシスターから声をかけられた。
いつもの学校指定のブレザーに着替え終わっている彼女の目は、明らかに不審なものを見るものである。
「どうしたハルル? 変なものってか、まだ朝飯前で何にも食ってないんだが」
「俺の作る新世界の朝飯を見よ、とか言って新メニューの開発してたんじゃないの?」
あの時はご飯と生卵でフレンチトーストを作ったんだったな。ハルルからは固く握りこまれた拳が飛んでくるくらいには好評だった。
「今日は普通にやる気分でな。ほら、皿を持ってってくれ。もうすぐ食えるから」
「う、うん」
朝飯はご飯と味噌汁とだし巻き卵と緑茶。共働きの親父もお袋も今日は早くに出ていってしまっているので、兄妹水入らずの朝だな。
「うーん、良い感じだな。やっぱ卵焼きは、だし巻きに限る」
「えっ、ナニコレ普通に美味しい。馬鹿兄が真面目に家事してるとかキモイ、本当にどうしちゃったの?」
酷い言われようである。しっかりにやっただけで、ここまで言われるんかい。
「別に、何もねーよ。じゃ、食ったから先行くな」
「あっ、ちょ、馬鹿兄」
俺はさっさと食べ終わると、学校へと向かった。外は相変わらずの雨模様で、今日は止むことはないらしい。
水に濡れた草花の香りの中、ビニール傘を広げつつ一人で歩いていくと、程なくして学校に着いた。俺は自分の席に着き、スマホを弄る。
「アヤヤちゃんおはよー」
「おはようございます」
「ッ」
彼女が呼ばれる声に、俺はビクリと身体を震わせた。その反動でスマホを落としてしまい、教室に甲高い音が鳴り響く。
俺はすぐに床へとしゃがみ込んで拾おうとし、スマホを手に取った時には周囲から一体なんの音だという視線が向けられた。
「…………」
「…………」
アヤヤと目が合った。革製の手提げカバンを両手で持っている彼女の目は、床にしゃがみ込んでいる俺を捉えている。
「……おはよう」
「……おはようございます」
何とか挨拶できた。アヤヤは何食わぬ顔で自分の席へとつく。俺も起き上がると、自分の席についてスマホを弄り始めた。直後、教室内がざわつき始める。
「おい、芝原が皐月さんに話しかけにいかねーぞ」
「うっそー、信じられなーい」
「どうしたんだアイツら、喧嘩でもしたのか?」
いつもはアヤヤにまとわりついていた俺だが、今日から変わったんだよ。クラスメイト達のざわつきも治まった頃に担任の先生が来て、ホームルームが始まる。
時期的に球技大会が開催されるということで、説明がなされた。行われるのはビーチバレーとバスケットボールに野球。どれも男女混合で、新しいクラスの仲を深めようという学校側の思惑があるらしい。
その為に基本的にはくじ引きでチーム分けするらしく、俺達はどちらの競技に出たいかを紙に書いてクラスの実行委員に出すだけだ。
去年の俺であれば、アヤヤに良いとこ見せるチャンスだと張り切っていた。元経験者ということもあって順調に勝ち進んだが、結局は決勝トーナメントにも残れなかったっけ。
相方となったクラスメイトは素人だったし、俺もそこまで本気って訳でもなかったからな。
新学期最初のイベントということでクラスには期待感が満ちていたが、俺は提出用紙を机にしまい、頬杖ついたまま窓の外を見ていた。
そうこうしている内に授業が始まった。最初は鬼面こと東村先生の古文だ。俺は何も言わないままに、真面目にノートを取る。
久しぶりに真面目に授業を聞いてみたら、案外面白かった。東村先生の話も分かりやすくてビックリだ。マジか、たまにはちゃんと聞いてみるもんだな。
「芝原、どうした。具合でも悪いのか?」
当の本人である先生は、酷く怪訝な顔をしていた。
「なんすか、東村先生。別にどこも悪くないけど」
「お前が俺を先生と呼ぶだとッ!? 保健室に行くぞ」
何故か俺は連行され、保健室にやってきた。
保健室の白髪を頭の後ろで一つのお団子にしているお婆ちゃん先生には、また中庭の葉っぱでも食べてお腹を壊したのかい、と最初こそのんびりした調子だったが。東村先生が事情を話すと顔色が変わり、ベッドでゆっくり横になっていろと命じられた。解せぬ。
午前中は外に出してもらえず、俺は保健室のベッドの中でスマホを構って過ごすことになった。
お昼になった、外の雨は止んでいない。もう大丈夫だとお婆ちゃん先生に言ったら、意味不明なくらい苦い謎の漢方薬を無理やり飲まされた後で、ようやく解放された。
苦い薬の所為で逆に体調が悪くなるんじゃないかとも思ったが、不思議と身体が軽くなっているので多分無問題だ。東洋医学ってすげー。
変な感心を持ちつつも、俺は屋上の出入り口前の階段に向かった。今日もツツミちゃんとの約束がある。いつもの中庭が雨で使えないので、今日は場所を変えたって訳だ。
「お待たせ、ツツミちゃん。今日のお弁当は何かな、俺すっげー楽しみッ!」
待ち合わせ場所の階段上にツツミちゃんの姿を見つけたので、俺は努めて明るい声を出した。何故かは知らんが、朝から会う連中全員におかしいと言われている。
せめて彼女の前くらい、元気いっぱいに振る舞わねばな。余計な心配かけたくないし。
「先輩。やっぱり、元気ないね。どうしたの?」
「ッ!?」
俺は身体を震わせることになった。眉毛を下げて、心から心配している様子が分かる彼女の様子を見て、俺は慌てて言葉を並べる。
「い、いや別に何にも。俺はいつもと何にも変わらないぜ、フーハッハーッ!」
「ハルルちゃんから聞いてた通りだ。ここじゃ他の人の目もあるし。先輩、ちょっとこっちに来て」
両腕でマッチョポーズまでキメてやったというのに、ツツミちゃんは俺の手を引いた。
いつもより強引な彼女に連れて行かれたのは音楽室。鍵は開いているのに誰もいないという、ある種の穴場だ。それを知っている誰かがいることもあったが、今日は無人だった。
並べられている机の一つに座らされると、彼女が前に立って俺の顔を覗き込んでくる。
「先輩。何があったのか、ちゃんと話して」
「い、いや。特別なことは何も」
「嘘だね」
ツツミちゃんの持つ金色の瞳が、俺を真っすぐに見据えてきた。
その勢いに気圧されて思わず目を背けてたが、彼女からは逃げられない。
「こんなに元気のない先輩、初めて見るよ。ずっと先輩のこと見てたから、間違いない。多分アヤヤさんのことだとは思うけど」
「ッ!?」
「ほら、やっぱり」
アヤヤの名前が出されて思わず飛び上がりそうになった俺を見て、ツツミちゃんが確信したらしい。本当に俺は、この子に隠し事ができないのか。
「べ、別に。アヤヤのことなんかどうでも」
「往生際が悪いのもいいけど、ボクだって先輩にしつこくボールを拾うことを教えてもらったからね。先輩が折れるまで根競べ、しようか?」
両頬を掴まれ、背けていた顔をグイっと真っすぐ向けられる。真剣な表情のツツミちゃんの視線に射抜かれた俺は、観念することになった。
このまま粘っていても、彼女が折れてくれることはなさそうだと思ったから。
「アヤヤに、ぶたれたんだ。さようならって、言われたんだ」
視線を下げながら、ポツリポツリと俺は呟いていく。いつの間にか、両頬を持っていたツツミちゃんの手は離れていた。
冷たい床にまで目線を落としながら、俺は昨日あった出来事を順番に彼女に説明した。
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