24:羽虫の話③

「さて、ここまでは羽虫が消える現象について確認してきたが」

ご主人は手に持った空き瓶を振りながら机へ向かう。

網目のボウルに収まった光虫はまだくるくると廻っている。

「次はこいつらはいったい何なのか、という話だ」

確かにそれは疑問だ。

消えるということはわかった。そしてどうやら生物ではないこともわかった。ではこれはいったい何なのか。何のためにその辺りをふわふわと漂って、増えたり減ったり北へ向かったりしているのか。

「先ほど光の粒のようなものになって崩壊していくところを見ただろう?虫の形を作っているあの粒はいったい何なのかということだね」

いいながら机の引き出しから何かを取り出す。

「次はこれを使う」

取り出したのは眼鏡だった。いや、眼鏡?。とても分厚い。分厚いものが何層にも重なっていて、弦の部分も太く、弦と弦を結ぶように紐のようなものがつながっている。

「物を拡大して見られるようにする道具だね。あとは目の保護のためでもある。これを頭につけて紐の長さを調整して固定、右側の、この歯車のようなものを回して拡大縮小、反対側のこの歯車を回して焦点、よく見えるように調整する」

わたしに手渡しながら説明。うん、確かに左右の目に合わせる部分と弦との境目辺りに歯車のような回せる部品がある。

なるほどこれでよく見えるようにすると。はー、何だかすごい道具だわね。

「ああ、待て、つける前に。ほら、そいつも崩壊するぞ」

言われて思い出す。網目ボウルの中に閉じ込めた光虫。くるくると回っていたけれど、と目を向けると、光虫の輪郭が少しぼんやりとし始める。

ぼんやりとした輪郭から、光の帯のように後ろに光の筋が引かれていく。よく見ると粒のようなものが輪郭から崩れるように後ろに残って、それが帯のように?と思った瞬間だった。

ざあっと光虫全体が崩れる。細かい粒のような塵のようなものがまき散らされるように崩れていったと思った瞬間にはもう光は消え、ただ塵が舞っていって、その塵もあっという間に見えなくなった。

「本当に崩れ始めると一瞬なんですね」

「まだよく見えた方だね。どうやらこいつらは1対1体の密度が違っているようでね。密度が濃い方が崩れるまでの時間が多少なりとも長いのだよ」

「密度なんてあるんですか」

「ああ。それはこのあとわかるよ。密度が何を指すのかね」

おお、それは興味深い。楽しみになってきましたよ。

ささっと網目ボウルをどかし、テーブルの、わたしの近くに光虫の入った瓶を置く。

それから眼鏡のようなものを頭の上からかぶり、ご主人に紐の長さの調整をお願いする。少し揺らしてみても動いてしまったりはしないことを確認。

「この歯車みたいなものを動かすのですよね」

「そうだよ。何でもいいが、よく見えているかい?」

「ああ、そうですね、少しぼんやりしてみえる?あ、はっきり見えるものもありますね」

「ではそこの瓶を見て、どうだい?」

「これも少しぼんやり?しているでしょうか」

「ではまずは左側の歯車だ。動かしてごらん」

歯車の位置を確認、少し回してみる。

ぼんやりとしているように感じていた瓶がかすむくらいまったく形がわからなくなりました。

「あ、見えなくなってしまいました」

「うん、では反対側へ」

回す方向を逆に。

おおお、今度はしっかりと見えて、っとまたよく見えなくなった。これはしっかり見える位置の調整がなかなか難しいですね。

少しずつ少しずつくりくりと動かして位置を合わせる。

「はい。大丈夫です。しっかり見えるようになりました」

「よし。では瓶の中の羽虫を見て。自分の立ち位置、顔の位置を変えて虫が大きく良く見えるように調整だ。それができたら次は右側の歯車を動かして虫をだんだん大きくしていってごらん」

言われるままに調整していきます。

まずは顔を近づけて、それからよく見えるように左側の歯車を回して。よし。

続けて右側の歯車を回して光虫をだんだん拡大していく。

「え、え、とても細かい粒々が、え、あれ、虫じゃない」

「な。虫じゃないだろう。さあもっと拡大していってごらん」

くるくるくる、右側で拡大、左側で調整、繰り返し繰り返し。

「あ、すごい一つ一つの粒の色が違います。あ、粒自体が光虫みたいな」

「こいつの構造がわかってきたかい。要するに粒子の集合体なのだよね。そして一つ一つの粒子は、それぞれの色に応じて役割がある。粒1つ1つがはっきり見えるね?では少し待ってくれ。もう一枚レンズを追加する」

頭が押さえられ、眼鏡の向こうからもう一つ眼鏡が迫ってくる。上からもう一つかけるのかしら。ああ、そうですね。上からもう一つの眼鏡をかけて、弦と紐の方で固定したようすがわかる。

「先ほどの眼鏡だけだと拡大率に限界があるからね。これでさらに大きく見える。青い粒子を拡大していってごらん」

言われるがまま、青い粒子を見つめて右側の歯車をくるくると回す。

「もっともっとだよ。粒子の中に何かが見えてくるからね。それが何かわかるところまでだよ」

くるくるくる。お、本当だ青一色の粒子だと思っていたけれど、青の向こうに何か映っている。何だろう?くるくるくる。

視界いっぱいに拡大。何か建物のような?ぼんやりしているので左側の歯車で調整。くるくるくる、と、え、これは。

「あの、建物に見えるのですが。それも見覚えがあるような。これ、この町の南にある門では」

「門?ああ、あれか。この町だと門は南しかないからね。ということはこいつは南から来たのか。ああ、もういいよ。いったん瓶全体を見える程度に縮小して」

言われて縮小していく。

右側をくりくり、左側もくりくり。

「できました」

「では少し待っていてもらって」

ご主人は瓶をひっくり返すと口から何か細いものを差し込みその先で光虫をつつくように動かす。

「ではもう一度拡大して、途中でこの細い針の先を見るようにしていくんだ」

言われて拡大していく。途中からは針の先を注視。うーん、ちょっと怖い。

どんどんと拡大していくと針の先に赤い粒子が見えてくる。

「これは赤い粒子ですか、それを?」

「そうだよ、これから針でその粒子を突く。そこで拡大は止めて、あとはよく見ていてごらん」

手を止めて見つめる先に針のすっと伸びる先端部。ここまで拡大するととがってはいなくて円く潰れているようにも見える。そしてその先に赤い粒子。

ふっと動く針、突かれた赤い粒子は少し窪んだように見えた瞬間、ぱっとはじけた。

「えっ」

思わず目をそらす。あわてて戻した視線の先は何もみつけられない。拡大しすぎて動いてしまうともうあとはどこに何があるのか。

「もう良いよ。眼鏡をはずして」

眼鏡全体を持ち上げるようにして頭の上からはずす。

視界が元に戻ったことに違和感を感じて、目を閉じて軽く揉んで、それから開けたり閉じたりして違和感をなくしていく。

視線の先にあった光虫の入っていた瓶は空になっている。

「これは、もしかして光虫がはじけて消えたのですか?」

「そうだよ。次はそのまま見ていてごらん。今から赤い粒子を壊すよ」

次の瓶の口を開け、針を差し込んでいく。

いや、わたしの目からは光虫の粒子なんてまったくわからないのですが。

ご主人、先ほどのような眼鏡はかけていませんよね。それどころか眼鏡一つかけていませんよね、見えているのですか。

「さあ、よく見ていてごらん。先ほどの現象だよ」

言うと指先をすっと動かす。針の先には光虫。と、本当に光虫がぱっとはじけるように消えてしまった。本当に一瞬。これは何が起こったのかさっぱりわかりません。

「あの赤い粒子が羽虫の形を維持するためのものなのだろうね。いろいろと説明は付くのだが、ひとまずそういうものだと知っておけば良い。まあ外で誰かに説明したところで、こいつは何を言っているんだと思われるだけだろうがね」

それはそう。

実際に見たわたしも意味がわからないのに、見ていない人に話したところでわかってもらえるとは思えない。

「さて、次は先ほどの青い粒子は何だったのかというところだね」

天井から吊り下げられている筒状のものから紐を引くと、幕が降りてくる。

「これは映像を映す幕だよ。本当にただの幕だからね、これ自体はどうでも良い」

そしてテーブルの上にどこからか箱に目がついたような機械を取り出す。

「本命はこちらだね。拡大したものをあの幕に映し出す機械だ」

そういうと今度は瓶を開けその中に細い何かをつまめるような形をした器具をさしこみ光虫をいじり始める。

しばらくいじっていると何かをつまめたのか、それを瓶から取り出し、薄いガラス板のようなものにそれをを置いた。

「今青い粒子を取り出してここへ置いた。そしてもう一枚のガラスで挟む、さてこれで1枚は完成だ」

何度かそれを繰り返し、何枚ものガラス板を作るとそれを箱の中に並べていく。ガラス板を並べた箱を先ほどの目のついた箱に差し込むと準備完了らしい。

「これは映写機というものだね。青い粒子をガラス板に挟んだわけだが、あれを拡大してそこの幕へ映す。いくぞ」

これはわくわくしますね。

先ほど見たものには建物が映っていましたが、今度の光虫はどうでしょう。


上から見下ろしているのだろう、連続する建物、間を抜ける石畳、これはどこかの街の通りだろうか。果たしてここの街だろうか。ずっと上にあがった光虫が見た景色なのだろうか。

林立する建物。薄い黄色、バラ色、白色、薄い茶色。色とりどりの外壁が続く。この辺りの通りでは見ない色合いの建物立ち。

窓から覗き込むようにしたどこかの部屋。窓枠に切り取られたように見える室内には小型のソファや柔らかそうなベッド、鉢植えの置かれた棚など。なかなか趣味が良いのではと感じる。

これは市場だろうか天幕の下で誰かが何かを買っている。人では少ない。早朝だろうか、日暮れ頃だろうか。時間まではわからない。

人気のない細い路地で誰かが誰かを追いかけている。悪いことをした人とそれを捕まえようとする人の図だろうか。上から見ているので不思議な感じだ。

街角に鎧と盾と剣を装備した人がたたずんでいる。剣は腰に、盾は体の前に立ててそこへ両手をかけている風。警備中か休憩中か。

広い通りを行く馬車。前後には護衛役のような馬とそれに乗る人。鎧兜ではなさそうだけれど剣は持っているように見える。どこの誰がどこからどこへとかはわからないけれど重要人物そう。

これは皆この街の風景だろうか。なんとなく見覚えがあるような景色もあるけれど、どうしても高いところから見下ろしていたり、高い位置の景色だったりで判断しづらい。

そして映し出される景色は街の外へも。

これは通りが街を抜けて先へ先へと続いているのか。ずっと向こうで何本かに分かれているように見える。

完全に街からは出ているのか。建物のような物は見えなくなる。道は草原の中を続く。その先は右へ左へ、そしてずっと先の森の方へ。

北へ向かう方向かその道を行く人はいない。南の方へかは商隊だろうか、幌の馬車がいくつかと囲むように馬と人。

目の前の森は山々を背に広く広く。ああ、何となくわかってきました。

「この山はあの、西にある」

「そうだね、隣の国との境になるね。北方向は昔は別の国、別の街となるのだが今は何もない荒れ地が続くな。南が街から街へとなるからね、当然商隊はそちらだ」

「そうするとあの森の中なのでしょうか、わたしのいた孤児院は」

「ああ、そうなるか。もう少し北寄りだろうが、そうだね」

「はー。改めてみると結構な森ですよね。孤児院があるようには見えません」

「まあ仕方がない。あそこは人目に触れたくはなかっただろうしね」

「そういえばあそこでは光虫はほとんど見なかったのですが、いる場所というのは決まっているものなのでしょうか」

「羽虫はね、今はほとんどが南から北へ向かっているよ。以前は西の国にも多くいたが今はほとんど見ないはずだ。だいたいの目撃例はこの国だ。この国の南の方で発生し、少しずつ数を増やしながら北へ向かう。そう想定されている」

研究がされていたようなことをおっしゃっていましたし、結構わかっているものなのですね。

わたしからすれば不思議な生物という認識だったものが、こうして謎解きをされていく。そのこと自体も不思議な感じ。

「そういえばお隣の店員さんとも孤児院の方ではあまり見なかったという話をしたのですよね。やはり向こうの森の方には少ないということで良いのですね」

「まあ過去の研究でもわかっていることだが、人の動きを追っているのか、建造物に沿っているのか、とにかく都市部の方が見るよ。そういうものなのだと知っていれば良いさ」

なるほど。

森の中の孤児院であまり見かけなかったことも納得です。

「少し残念だったのは、あの、これは魔法っぽくはないですね?」

「ん?もっと摩訶不思議なものが良かったかい?」

「そうですね、せっかくなので。あ、でも、この眼鏡のようなものを使わなくても見えているのですか?」

「私はね。この目の中に先ほどのような仕組みもある。まあ薄いガラス板のようなものに魔法を仕込んでそれを目に入れるという方法もあるが、いちいち別の仕組みと切り替えるのはなかなかに面倒なのだよね」

目の中にガラス板。それは想像したら背筋がすすっとしますね。怖い。

「それと一応、青い粒子を挟んだガラス板には粒子の保持のための魔法は仕込んである。魔法で生み出されたものを保持するのはまだ科学の力だけでは難しいな」

魔法、科学。

何だか難しくなってきましたよ。

わたしがむむむっと難しい顔でもしたのでしょうか、ご主人が軽く笑います。

「すべて説明しようと思えばできることだが、まあいいさ、あまり難しく考えるなよ。おまえの経験ではまだそこまでたどり着けまい」

片付けをしながら言われる。

まあね、わたしは孤児院出身でこの町しか知らない駆け出しの一般人ですから。ご主人から少しずつ教わっていけばよいのです。

「ああ、そういえばおまえの孤児院での話というのはまだ詳しくは聞いていなかったか」

おや話題の変更ですね。

「そうでしたっけ。わたしも取り立てて話そうとも思っていなかったので、そうですね、そうかもしれません」

「ふむ。良い機会だ、茶飲み話にでも聞いておこうか」

「そんな面白い話にはならないと思いますが」

「構わんさ。さ、下でお茶にしよう」

うーん、そんな何か面白いことがあったわけでも見たり聞いたりしたわけでもないのですが。

ご主人はすっかりその気になったようで、映写機を仕舞い幕をあげると、そのまま書斎を出て行ってしまいます。仕方がありません。

話す内容を考えながらお茶の支度をしましょうか。

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