23:羽虫の話②
昼食の支度を始めると足下に猫がよってきて、ぐるぐるっと回ってから自分のいつもの場所へ。
ご主人よりも先に察して近寄ってきて、そして自分の居場所はわかっていて、この猫、やはりうちに居着いてしまっている感。かくいうわたしも仕方がないなあという気持ちな時点ですでに決しているのだけれど。
お湯をわかしながらパンを焼き始めると階段を降りてくる足音。ようやくご主人の登場ですね。
わたしの手元をのぞき込んで昼食の献立を確認すると、テーブルに積んだ手紙を確認し始める。差出人からみてもたいした物が無いことは確認済み。いつも通りの注文書、いつも通りの請求書、いつも通りの領収書、そんな類いのものだと思う。
案の定手紙の確認はあっという間に終えて、今朝読み終えていた新聞に再度目を通し始めた様子。
さ、手早く支度を済ませて昼食にしましょうか。
今日のパンは堅くなってきたものが残っているのでそれを小さめ薄めに切って焼く。あとはキャベツの塩漬けにこちらも残っていたソーセージをこんがり焼いて添えると完成。コーヒーとともにいただきます。
猫はこちらをちらりと見るものの特に欲しそうにもしないのでそのまま寝ていてもらいましょう。ものの本には一日2、3回にわけてとあって、この猫は昼は特に食べたそうなようすもないので。
ご主人とわたしはテーブルに向かい合って座るといただきますを言い合って食事です。
話題といっても家に引きこもっていたご主人にはいつも無いので、そこはわたしから提供します。午前中の業務報告と、あとはえーと、そうそう。
「光虫ですか、あれが増える季節だとかでお隣の店員さんが網で捕まえていたのですが、結局虫かごから消えてしまったそうですよ。あれって捕まるものなのですか?」
「あー、光虫か。あれは虫ではないからね。まあ普通の方法では捕まらないよ」
おや。虫ではないと。
ご主人はあれが何なのかご存じなようす。虫だ虫だと言っていましたけれど、何なのでしょうね。
「わたしが以前いたところでは呼び方は羽虫だったな。まあいろいろと言われてはいるようだね。曰く幸福を運ぶ、曰く不幸を運ぶ。捕まえることができれば宝石に変わる、金貨に変わる。捕まえて聖水につけ込むことができれば万病に効く薬になる」
いろいろありますね。わたしが読む本にもそんなこんなが書かれていて。世間の認識は不思議生物ということになっている。
「あれは虫ではないのですか?何か小さな光るものに羽のようなものがついているみたいな形なような」
「よく見えないだろう?実体が無いからね。なぜか網で捕れるし物理的な障壁を越えられないのだが、手で持つことはできない。抵抗のあるふわふわとした物体とは感じるが、あれは実体を持っているわけではないのさ」
「実体がない、と。見た感じはやはり虫のようには見えましたが」
「淡くかすむように光る球体から、羽のような形のさらに薄い光が数枚展開する形なのだがね。まあぱっと見は虫に見えないこともない」
「虫以外だと妖精だとか神様の使いだとか魔法生物?だとかいわれていますが」
「何か、ということなら魔法生物に近いね。実際には生物ではないのだが。あとは神の使いというものもそれなりに近い」
「そこまでわかっているのですね。店員さんはまったく知らないようでしたし、わたしも本で読んだことがありませんが」
「この国ではそうだね。捕まえておく方法が無いのではないかな。研究することもできないよ。私が以前いたところではね、捕まえておく方法が確立されていて研究も進んでいたのでね、かなりの数を捕まえたな」
聞いてみるものですね。
魔法生物に近く、実際には生物ではないと。そうすると何か魔法的な現象ということなのでしょうか。魔法の力の素のようなものが固まって漂っているとかそんな。
「魔法っぽいもので生物ではないということは、こう、魔法の力が集まっているような?」
わたしが両手を動かして固まりのようなものを描きながら聞いてみると、
「そうだね。その認識がもっとも近い。ふむ。説明するよりも見た方がわかりやすいか。あとで少し実験してみよう」
実験。これは新しい魔法を見せてもらえる機会なのでは。楽しみになってきましたよ。
昼食を食べ終えたご主人は3階へ、わたしは食器を片付けてから後に続く。
書斎にいるようすだったので、部屋ではなくそちらへ。
ご主人の前のテーブルには小ぶりな瓶が幾本か。どれも何か小さな光のようなものが入っている。これは光虫では?
「待っている間に捕まえておいたよ。この瓶は表面に特殊な塗膜が施してあってね、こいつらはこの瓶の中でなら形を維持している」
おお、やはり光虫。身をかがめて瓶を横から見ると、瓶の中を球体に羽のようなものがついた光虫がふよふよと漂っているのがわかる。
こんな近い距離でじっくりと見ることがなかったので興味深い。
確かに球体の胴体だと思っていた部分は、ほんとうにただ淡く光っている輪郭の不確かな球でしかなく、羽だと思っていたものの輪郭もかすんだように不確かだった。
「羽のある虫のようなのに形がはっきりしていないのですね。不思議です」
「言ったろう、実体はないのだよ。そのくせ形を維持したまま瓶の内側に沿って動いているように見える」
視線をあげるとご主人は組んでいた腕をほどき、テーブルに置かれた瓶の中から一本を手に取る。
そして瓶を蓋を開けるとひっくり返して瓶を口を下に、テーブルの上へ置いた。
「さて、まずはこの羽虫をここから解放する。手で捕まえてごらん」
言うと瓶をゆっくりと持ち上げる。
瓶の中を漂っていた光虫が解放され、テーブルの上をゆっくりと動き始める。わたしは両手を伸ばしてその光虫を捕まえようと、手を開き、光虫を横から覆うようにして手と手を会わせるようにして閉ざし、その手の中に何かの感触を感じてご主人を見る。
うなずいたのを確認すると、手を持ち上げてゆっくりと開こうと、と、手の中にあった感触がふっと消えたような。
「‥‥消えてしまいました」
開いた手の中には何もない。不思議だ。確かに捕まえたと思ったのに。あの手の中に感じた感触は何だったのか。
「不思議なものだろう?実体はないと私は言うが、おまえは手の中に何かを感じたろう」
「はい。確かに何か捕まえました」
「うん。どうもね、周囲からの圧力から形を維持するために外側に向けて抵抗するようなのだよ。紙を使うとわかりやすいのだがね、中心から外へ向かって押す力が発生している」
手のひらをよく見ても何の痕跡も発見できない。
塵になるとか水分が残るとか潰れた虫が見つかるとかそういうことはないようす。なるほど実体が無いと。
「さて、次はそうだね。そこの広口の瓶で捕まえてごらん」
2本目の瓶の蓋を開け、同じようにひっくり返してから言う。広口の瓶。はい、これですね。ちょっと大きくてわたしでは両手を使わないと持ち上げられない。
ご主人がゆっくりと持ち上げる瓶の口から姿を見せた光虫に横からさっと広口の瓶の口部分をかぶせるようにして捕まえ、口を下にしてテーブルの上へ。
「ほかの瓶だとどれも維持させるための塗膜があるからね。それを使えば良くわかるはずだ。しばらく見ていてごらん」
ああ、消えてしまうという話の。
どれどれと瓶の中を漂う光虫を見つめる。少し大きめの瓶の内側を形に添ってくるくる。動きを変えるとかはないのね。普通の虫ならあっち行ったりこっち行ったりうろうろしそうなものなのに。
しばらく見ていると何となく光虫の形がかすんで見えてくる。
ん?と思って目をこするけれどかすんだ感じなのはかわらず、というよりもだんだん輪郭が怪しくなってきたような?
「ほら、崩れるよ」
え。
くるくると回っていた光虫の輪郭がだんだんあいまいになっていく。と、突然ばっと輪郭から粒子が散るように見えて、何となく身を引いてしまう。
輪郭からあふれる粒子があふれる、そしてまず羽の部分がばあっと散ってしまった。
そして球体部分も輪郭をどんどん曖昧にしていって、膨らむように広がったと思うと羽と同じようにばあっと散ってしまう。
ボウルの中を漂っていたはずの光虫があっという間に細かい粒子になって散って消えてしまった。
「これが羽虫が消えるときの現象だね。手で直接捕まえるともっと早く崩れるし網で捕まえると虫かごに移してもしばらくは形を維持する。要は密閉された環境では形を維持せずに崩壊するのさ。そして網のように空気が通り抜けるような環境であれば即座に崩壊することがない。が、移動できないことが判明するとその段階で崩壊する。今の瓶は現象がゆっくりになるように調整してあるからね、わかりやすかっただろう。今度はそこの網目のボウルで捕まえてみるといい。形を維持している時間は伸びるが、崩壊するときは一瞬だ」
言われて次に解放された光虫に網目のボウルをさっとかぶせる。これが虫かごの代用だと思えばいいそうだ。
うん。確かに先ほどの広口瓶の時よりも長い時間光虫がくるくると動いている。
そういえば店員さんも捕まえてから消えていることに気がつくまでに結構な時間がかかっていたな。
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