20:女子会
「いらっしゃいませーっ」
元気のいい声が店内に響く。
窓にはシェードが降りて光の量が制限され、落ち着いた雰囲気の店内には豆を煎るよい香りが漂っている。
深呼吸したくなる。
これだから暇なときの喫茶店行きはやめられない。
自分で淹れるのとはまったく違う、より上質な香りと味を求めて、わたしは今日も隣の喫茶店に来てしまった。
今日も今日とて店は暇なのよ、いいじゃない。
ご主人はどうせ店には降りてこないし、降りてきたところで店番なんてする気もないのだ。窓に「隣の喫茶店にいるので用があったらそちらへ」と張り紙をしてきたからそれで良いのよ。
・・・ご主人の影響を強く受けていることを実感せざるを得ない。
ごめんなさいごめんなさいごめんさい、まじめに働くつもりはもちろんあるんです。今日も朝からやるべきことはすべてやりました。でももう何もすることがないんです。文句はぜひともご主人へ。
店内はいつも通り適度に空いている。
コーヒーにせよ紅茶にせよ、飲み物は嗜好品だし、ほかにここで提供されているのは菓子か軽食で、そういうものはやっぱり嗜好品で。嗜好品しか出されない飲食店なんていまどきそれほど賑わわない。
ご主人に言わせると、この町の人は嗜好品にお金をかけるという習慣がないのだという。
精神的にも財布の中身的にもそこまで豊かな町ではないから、心を豊かにするという行為に思い至るにはまだまだ時間が必要だそうな。
そんなわけで店内は精神的にも財布の中身的にもそれなりに豊かで、なおかつ心を豊かにしようというもののわかった人が集うのだ。
わたし?
わたしはもちろんそれなりに豊かですよ。というか、コーヒー一杯にもう一品菓子をつけるくらいならそんなに高いものではない。
値段だけならうちの一般的な風邪薬といい勝負。それくらいのものなら一週間に一回とか決めておけば困ることなくお茶を楽しめる。ご主人みたいに「ツケで!」とかとんでもない。ああいうのは本当に恥ずかしいから二度としないでもらいたい。
余計なことを考えながらいつもの決まり切った席へ座る。
遠くに通りを眺められる、本を読むのに困らない程度に明るい席。
今日はコーヒーな気分だったのでそれと、あとは焼き菓子をお願いして深く椅子に座り直す。
店内には穏やかな空気が満ちている。
静けさを好む客は一人でゆっくりと、会話を楽しみたい客は大きくなりすぎないような声で和やかに、それぞれの時間を豊かに楽しむ。うん、贅沢だ。
「最近お店の方はどう?」
コーヒーを持ってきた店員さんがわたしの座る席に椅子を一脚寄せ、それに腰を下ろしながら声をかけてくる。
すでに顔なじみの彼女はこの店の店主の孫で、普段は学校に通っているけれど、手の空いている時にはこうして店員をしてお小遣いを稼いでいるのだという。
苦み走った初老の格好良い店主は寡黙。対する彼女は元気印の看板娘。うまくできていると思う。
「良くも悪くもなく、いつも通りだと言えますね」
「その返事は面白くないぞー、なーに、そんなに何にもないの?」
「ないですよ。わたしも店主もあまり出歩きませんし、うちの店は大口の固定客がいなければ成り立たない程度には来店の少ない店ですから」
我ながらつまらない返事だと思うけれど本当に何事もなく日々過ぎていくのだから仕方が無い。
「暇そうだしちょっと相談したいんだけどさ」
お?
彼女の相談事は面倒ごとを引き起こした実績があるのでちょっと警戒したいところ。
「なんでしょう?」
「や、お茶に入れる砂糖なんだけどね、お客さんから角砂糖がないかって言われて」
「かくざとうって何です?」
「あー、そこからか。まあ四角い砂糖の塊よ。飾っておくときれいだし、一杯に一個とかでわかりやすいんだってさ」
「そんなものがあるんですか」
四角い砂糖の塊と、そんなものが世の中にはあるらしい。
砂糖といえばこのテーブルにも置いてあるような薄茶色い細かい砂のようなものしか知らないのだけれど。
「それでね、仕入れようと思ったらこれが高いのよ。なんだかね、白くきれいにした砂糖を使った角砂糖しかないらしくて、これがもう普通に砂糖を買うよりもずっと高いのよ。それでね、何かこう起死回生の一撃!みたいな手で似たようなものが作れないかと思ってね」
「作る。うーん、砂糖を四角い型に入れてぎゅーっと押したりとか」
「それはやってみた。まーだめだわ。まったく固まらないの」
「砂糖水を作ってそれを固める?」
「どうやってよ」
「乾燥させるとか」
「乾燥ねー。砂糖水の濃さとか、天日で簡単に乾くものなのかとか考えることが多くて面倒よね」
「一回でうまくいけば良いですけれど、何度も試すとなるとそれはそれで」
「砂糖って高いのよ」
「そうですよね」
そう、砂糖は高いのだ。このテーブルに置いてある砂糖だって追加料金を払って注文しているからセットで出てきたけれど、要するに注文が必要なくらいには高いのだ。金額はわずかでも追加料金なんてなかなか出せない。なんてわたしは砂糖とミルクを入れたいから少しの追加料金は覚悟の上で頼んでいるけれど。
「砂糖ってそんなに高いの?」
そんな話をしていたら入り口の方から急に声をかけられた。
「あら、いらっしゃい」
ちょっといいとこのお嬢さんの様子。着ているものの質があきらかに良い。
誰だろう、店員さんの知り合いらしいやりとり。
「珍しいわね、今日はどうしたの」
「いえ、家の方にお客様がいらしていて、私のことは放置の時間なのよ。どうにも暇をもてあまして、ちょっとお茶でもしていこうかと思って」
「それじゃ、何にする?」
「私もコーヒーを。あとミルクだけもらえる?」
「はーい、少々お待ちくださいませ」
店員さんは厨房へ向かい、お嬢さんは私の左隣に座る。
これではこの後は一緒にお茶を飲まないといけないのだけれど、この人はいったいどなたでしょう。
さっさと飲み終わって帰るべきかどうするかと悩んでいると、くりっと音がしそうな勢いでこちらを見られた。
視線が合う。
表情といいこの視線といい、いかにも利発そうな、気の強そうなお嬢さんだ。服装もそうだけれど、これはもう本当にいいところのお嬢さんということで確定だろうか。
「あなた、彼女のお友達?」
「はい、というかですね、わたしは隣の薬屋のものです」
聞き方がなんだかおっかないですよ。
でもわたしの返答を聞いた彼女は目を大きく見開いて驚いている。そんな目をまん丸にするような情報ではないと思うのだけれど。
ただの薬屋ですよ?
「おまたせー」
「ああ、ありがとう」
静止してしまった空気をぶった切るように店員さんがコーヒーを持って現れ、コーヒーをお嬢さんの前に置き、そのまま元の席に座り込む。
「お互いに誰だかわかんないだろうから、紹介するよ。こちら、うちの隣の薬屋の人ね。で、こっちは市場の向こうのお金持ちの家の人ね。ね、うわーって思わない?」
なぜそんなに楽しそうなのか。
確かにうわーっていう感じですが。
まさかこんな形で会うことになろうとは。このお嬢さんは最初の魔法を込めた薬を提供した家の娘さんなんだ。
妹が呼吸の病気で苦しんでいるところをうちの店が助けて、さらに手紙の誤配で紛糾しそうなところを助けたお兄さんのいる、この町でも上位に入るお金持ちの家の娘。
わたしが自分でもわかるようなうわーという顔をしていると、お嬢さんは同じようにしていたうわーという顔を早々に引っ込めて、咳払いを一つした。
「あなたのところの薬には本当に助けられたのよ、ありがとう。店主の方にも伝えておいてくださる?」
「いえ、完治する薬を用意できたわけでもありませんし」
「でもね、あの薬を飲んでからは発作がおきることもなくなったのよ。本当に良かったわ。寝ていると思ったら急に咳き込んで止まらなくなるのよ?それがなくなっただけでもまったく違うわ」
「効果はあったのですね。その後どうなったのかはやはり心配ではありましたから」
「そうはいっても今後も気をつけるようにって書いてあったじゃない。それで落ち着いているうちに空気のきれいなところでしばらく静養して様子をみようっていうことになって。今は田舎の親戚の家よ」
とりあえず秋頃まで様子を見て、大丈夫そうなら一度こちらに戻ってくることにしたのだそうな。
あまり深入りはしないほうがいいだろうという判断でその後を聞くことはしなかったのだけれど、あの薬は確かに効果を発揮したのだ。
と、お嬢さんがすいっと視線を外す。
「それとね、もう一つ」
何だろう、何かほかにお嬢さんに関わるような話が、と考えたところを思い至った。
「兄がご迷惑をおかけしたそうで、それも申し訳なかったわ」
ううん、別に迷惑というほどの話ではないのだけれど。
しかしどこからばれたのだろう。お兄さんの方は他に言いたくなさそうな雰囲気だったのに。
「ご存じなのですね」
「ええ、まあね。いえ、家で兄が頭を抱えているところに遭遇して、あまりにうざったいからちょっと問い詰めたらね」
お兄さんを問い詰めたのですか。あのお兄さんは確かにそこまで気が強そうでは無かったけれど、でも妹に負けたのか、そうか。
「その、手紙を送っていた相手も私はよく知っていて、そこの家でしょう。学校が一緒なのよね。で、まあ兄とそういう雰囲気を出していることはあって、まあ察しはつくのよね」
ははあ、ちょっとつついて出てくる話が細切れでも、関係性を考えればわかると。なるほど。恋話は筒抜けな上に弱みを握られるなんて、あのお兄さんもおっかない妹を持ったものだ。
「ねえ、それで今はどうなっているのよ」
お嬢さんは急に頭を上げて入り口の方を見ると、声をかけた。
誰に何を、知り合いか、と思いわたしが振り返ると見覚えのある娘さんが固まったままこちらを見ている。
うちの店の真向かいから2軒隣。ご主人が読んでいた続き物の本の途中を奪って制裁を受けた娘さん。そして先のお嬢さんの兄から受け取った手紙を誤解からうちの店の郵便受けに投げ込んでいた犯人。
「いらっしゃーい。こっち来なよ」
店員さんが手招きする。
おや、あの娘さんもお知り合い。
「そういえば学校が一緒だと言っていましたね」
「そうよ。私と彼女と彼女と、一緒の学校。私が先輩、この2人が後輩ね」
「年下のかわいらしい子だって言っていませんでしたか」
「かわいいじゃない。表情がくるっくる変わって」
「そういう話を目の前で堂々としないでください」
お嬢さんから怒られてしまった。
娘さんは空いていたわたしの右隣の席に座る。店員さんはその彼女の注文を聞くと厨房へ。他のお客さんもいるのに彼女はわたしたちと一緒にお話をしていて良いのだろうか。
「そんなに嫌そうな顔はしないでほしいわ。でもまあせっかく会えたのだし、兄の不手際は謝っておくわね。迷惑をかけてしまったみたいで、ごめんなさいね」
謝ると言いつつ態度が堂々としすぎでは。
案の定娘さんはあっちこっちと視線がふらふらする。
厨房から戻ってきた店員さんが紅茶とレモン、砂糖を並べる。
「この二人はさ、学校一緒でクラスは去年まで一緒だったっけ?今は別?」
「そうね、今は別。兄は本当は私経由で学校で手紙をどうにかしたかったらしいわ」
「はあ、で君に話を振れずに悶々とするあまり何の言葉もなく唐突に手紙を出してしまったと」
「情けない限りだわ」
娘さんがどんどん沈んでいくのがわかる。耳が真っ赤なところをみると、二人としては絶好の機会と見ていじっているのだろうか。
わたしとしては我関せずを貫くしかない。これはあれよ、人の恋路を邪魔するものはどうとかこうとか。
「で、話は戻るんだけど、砂糖って高いの?」
お嬢さんがスプーンで砂糖の入れ物をつつく。本当に思いきり話が戻った。
「そうねえ、うちとしてはサービスの一環でテーブルに置きっ放しにしたいくらいなんだけど、今は無理ね。まあ高いわ」
「でも、こうして見ると、砂糖ってわりと必須ぽいわよね」
ぐるりと周りの客を見ると、確かにどこのテーブルのお客さんの前にも、砂糖の入れ物が置かれている。
「いちいち必要かどうか聞いて、追加料金の説明をして、なんて面倒極まりないわ。それに好みで入れてもらうのにさ、用法用量の注意なんてしたくないじゃない。でもたっかいからね、仕方がないのよねー」
「砂糖の値段って私は知らないのだけれど、単純に砂糖の流通量が増えて値段が下がれば何とかなるのかしらね」
「私はさ、高い高いってさっきから言っているけれど、サービス品にするには高いって意味よ。無理をすれば常に置いておけるけれど、無理をするにはちょっと高い。そんな感じ」
なんだか難しい話になっている。
こういう流通量がとか仕入れの値段がとか店頭の値段がとかいうのは、うちの薬でも同じことなのだけれど、需要と供給と流通の問題なのだ。
砂糖の供給量がよくわからないけれど、需要はあるのだし、流通がうまくできれば値段は下がりそうなのにね。
「あなたそれ独り言?私に言っている?」
ぐふ。わたしは心の中で言っていたつもりなんですが。
「わかっていなさそうだけれど、思い切り言っているわよ」
「ごめんなさい、声には出していないつもりでした」
「気をつけた方がいいわよ、それ。で、まあ供給量は実はあるのよね。流通がだめ。砂糖だけじゃなくて、何でもそうなんだけど物自体は隣の国に行くと多いのに、この国に入ったとたん激減よ。結局国力って大事よねって話になるの」
ほうほう。
わたしがふんふんと聞いているのをお嬢さんは満足そうに見返してくる。
「この国はこれから豊かになっていくのよ。こうしてどこにどんな需要があるのかを知っていくのは我が家にとっては重要なのよ」
なるほど。よくわからないけれどこのお嬢さんが優秀なのは確かなようで。
「ところであなたの家のお父様はこの町の銀行の支店長でしょう。あなたと兄との関係がうまくいくかどうかは我が家としても重大なのだけれど、結局どうなっているのよ」
右隣で小さくなってお茶を飲んでいた娘さんがぐふっとむせる。
なぜこんなに急に話を振るのか。優秀なのかもしれないけれど人間関係うまくいくのか心配になる。
「どうでもいいでしょう!?私たちのことは放っておいてちょうだい」
「そうはいかないわよ。兄があんまり煮え切らない物だから母もいらいらしていてね。私がわざわざ様子を見に来たのよ?」
お兄さんは秘密にしていたようだったのだけれど、家族の間では筒抜けの情報だったらしく、家族どころか働いている人たちの間でも評判らしい。
「彼はすぐに返事がほしいとかそんなことはない、ゆっくり二人で考えられたら良いって言ってくれたわ。私たちのことは放っておいて!」
「ええー、なにそれ。あんなに切羽詰まった感じで手紙を何度も書いたのに、それなの?あの兄もほんとだめねえ」
娘さんの強い口調に周囲のお客さんもこちらをちらちらと伺っているのがわかる。
わたしと店員さんは我関せずでお茶を続行。お嬢さんは腕を組み、娘さんはさらに小さくなる。
お兄さんの失策による力関係の確立。なんだかかわいそうになりますね。
娘さんを問いただしていたお嬢さんは組んでいた腕を解き、深くため息をついて椅子の背にもたれかかる。
先ほどまでの強気な雰囲気が影を潜める。こちらはこちらで何か悩みを抱えていることがわかってしまう。
「我が家はいま少しごたごたとしていてね。あなたと兄がうまくいっているのなら、少しは材料にできるのだけれど、その様子だとやっぱり難しそうね」
「なーに、何かもめ事?」
言いながらも店員さんはすっと立ち上がり厨房のほうへ行き、コーヒーの入った丸いガラスの容器を持ってくるとわたしたちのカップに注いでいく。
わたしたちがカップから立ち上る香りを深く吸い込んで気持ちを落ち着けたところで店員さんも戻ってきた。
「正直なところ、どうすれば良いのか判断できずに困っているところなのよ」
そうして彼女が話し始めた内容は、先日の夜、まさに目の前の通りで起こったできごとにつながっていて、わたしに変な感心をさせることになった。
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