19:暗闇に消える

夕食後、後片付けを終えて戻ると、ご主人様はテーブルに書類を広げて、たぶん明日以降の注文と在庫の確認作業中。

これを済ませておいてもらえれば店頭での対応がわたし一人で何とかなるので今のうちに見ておいてもらおうと用意しておいたのだ。

お疲れ様ですという気持ちも込めて今日の夕食後のお茶は紅茶ですよ。茶葉はお隣が小分けにして売っている物を購入したので良い物だと思う。

自分用にも薄めに一杯入れるとお行儀は悪いですがカップを持って窓辺へ。わたしたちと一緒に夕食を済ませた猫が窓越しの通りを眺めながら寝そべっている。窓の外は夜の闇。街灯はあるもののそこまで明るいものではないので、さすがにこの時間にもなれば通りに人通りはほとんど無い。

立ち並ぶ建物も一階は商店だったり事務所だったりするところがほとんどなので、通りに面した一階の窓は真っ暗。人が暮らしている建物なら二階や三階の窓に明かりが見られる。向かいの建物は一階に事務所、二、三階は倉庫とか聞いたので当然真っ暗。こうなるとやはり通りを行き交う人などいなくなるというもので、この時間の町はどうしても今日はもうおしまいという雰囲気が強くなる。

見上げれば夜空にはいくつかの星の明かり。背後からはご主人様が紙をいじるパサパサという音。窓辺に置いたわたしの手の上には寝そべる猫の手が重ねられている。今日もこのまま静かに時間が過ぎていくのだろう。


と、猫の手がどく感触。

見ると顔をあげて窓から通りの奥の方を見つめているような様子。何か気になるものでも見えましたか。

んんー?

通りの先の方を見ようとしてみたものの、わたしには暗すぎてわからず。最も通りの先を見ているのかどうかはわからないのだけれど。

うーん、窓に頭をこすりつけるようにして外を見ていますね。

「何か気になりますか?」

背中をなでて聞いてみたけれど特に返事はないもよう。

まあ猫のすることですからね。たまにあらぬ方向を見ていたりするのもご主人様によると耳や鼻は人より優れていて、人が気がつかないようなものに気がついて見ているのだというし、そういうものだのでしょう。あー、背中柔らかい。今日はなぜかお風呂まで付いてきたので、ぬれタオルで拭いてあげましたが、その効果ですかね。猫はお風呂に入って体を洗ったりは必要ないといいますが。

一緒になって通りの先の方を何となく眺めながら背中をなでなで。

おや?何か動いたような?誰かこの時間に移動ですかね?それか見回りの人とか。

「今のはわたしにもわかりましたよ?さっきから気にしているのはあれですか?」

聞いてみたけれどやはり返事はないもよう。

というかあなた飽きてきていますね。頭の位置が下がってきていますよ。

窓に寄せたまま少しずつ下がっていた頭がふっと上がる。

お?と思ったところで通りに変化が。

誰かが走ってくる。姿が見え始めたところでは少し左右にふらふらとしていたようだけれど、そのあとはまっすぐ。でも時折立ち止まっている?

姿が少し大きくなってくると、その後ろからも何人かの人がいることがわかってくる。

追いかけられている?

立ち止まっているのも都度後ろを気にしたり、手に持っていた何かを投げたりしているようす。

これはあれですね、悪いことをしているところを見つかって追い掛けられているという構図。追っている人たちは手に棒のようなものを持ったりしているのできっとそう。

それに待てーかな、止まれーかな、何か大きな声をあげているのも聞こえてきた。

この声を聞いてか通りの家々も窓から覗くなり窓を開けて見下ろすなりする人が出てきて静かな夜の雰囲気が一変。

追い掛けられている誰かは振り返って何かを投げたりしながら走り、追い掛ける人たちは棒を持っていたりランタンを持っていたりするけれど、投げられたものをよけたりしながらになるので少しずつ距離を詰めていく感じかな。

捕り物とはめずらしい。猫もわたしも興味津々で眼下の追いかけっこを眺めていたけれど、結局その追いかけっこは決着も付かず、そのまま通りを抜けて先の闇へと消えていった。

気が済んだのか猫は再び寝そべり、わたしは窓辺に置いたまま冷めてしまった紅茶を飲み干してから窓のカーテンを閉める。

振り返るとご主人も書類をいじっていた手を止めて紅茶を飲んでいるところ。

「今の様子だと捕り物かい?」

外のできごとに興味なしというわけではなかったのですね。

「そんな感じでしたね。特になにという声は聞こえませんでしたが一人を数人で追い掛けているようでした」

「めずらしいね。最近ではこの時間に捕り物になるような事件はなかったからね」

「はい。泥棒とか、結構あるとは聞きますけれど、あんな追い掛けるようなのは」

「まあ何日かしたら新聞にのるかもしれないし、誰か噂好きがどこかで聞き及んでくるかもしれないし、興味があるならそれを待てば良いさ」

はい。別にそこまで興味があるというわけでもないですが、そうですね。

飲み終わった食器を片付けて、今日はお休みにしましょう。


/////////////////////////////


その事件が新聞に載ったのは、翌々日。

どこか遠くの町の出来事と一緒に、この町の名前と『消えた泥棒』の見出しによって報されていた。


『市街地中央地区の高級住宅街で起きた窃盗事件では現場から逃走する犯人を自警団員が追跡、商業地区の袋小路に追い詰めたかに思えたそのとき、路地に突入した自警団胃の目の前で犯人は闇に飲まれるように消えてしまったという。


事件は夜遅く、夕食時で家人が食堂に集まる時間に発生した。

道路からは高い塀によって見通せなくなっていることを利用されたのか、一階にある事務室の窓が割られ、そこから侵入したと思われる犯人は室内に置いてあった手提げ金庫と書類入れを奪い、入ってきたのと同じ窓から脱出、逃走を計った。

たまたま通りかかった使用人が物音に気づき、扉を開けたところで窓から出ようとしている犯人に遭遇。大声をあげたことで家人らも気がつき、別の使用人が玄関から出て事務室側に周り、こちらも塀を乗り越えようとする犯人を発見。そのまま門から回り込む途中で通りすがった自警団員に事件を伝えると、まず自警団員が犯人を追跡、使用人は別の自警団員にも協力を求めるために走った。

最初に遭遇した使用人が窓から出て犯人と同じ道筋でこれを追跡。門の側から回り込んできた自警団員と共に、塀を飛び降りてそのまま商業地区の方へと逃走を計る犯人を追っていった。

犯人は路上に置いてあった机を倒す、椅子を投げるなどの妨害を計りながら逃走を続け、追跡側も途中から加わった自警団員とともに、それを防ぎながら段々と距離を詰めていった。

逃げる犯人、追う側は手に取り押さえるための長物や棍棒を持った自警団という、最近では珍しくなった捕り物は町の住民たちの注目を集めたようで、この記事を執筆するために現地を訪れた記者にも目の前で起きているかのように話す人が代わる代わる現れた。


さて、この事件だが、冒頭に記したように逮捕には至らなかった。

自警団に距離を詰められた犯人は商業地区を抜けようかというところで裏路地に逃げ込んだのだが、追い詰めたと判断した自警団員らが路地に踏み込んだときにはそこには誰もいなかったのだという。

路地に街灯は無く真っ暗だったものの、自警団員の一人が手に持つランタンをかざした路地には人はいなかった。

この路地は行き止まりで、人の背よりも遙かに高い塀によって完全に閉ざされていた。

また、面した扉はなく、人が入り込めそうな位置にある一つ二つの窓には鉄格子がはめられた上に固く閉じられ、どこかから建物内に逃げ込めるような状態では無かった。

犯人は忽然と消えてしまったのである。

確かに逃げ込んでから踏み込むまでにはいくらかの時間は経っている。

しかしその間に人の数倍はあろうかという塀を乗り越えることはできたのだろうか。追跡に参加していた使用人の男性は、塀を乗り越えようというのならば、乗り越える前に発見できていただろうと話す。

実際に自警団員の一人がこの塀を乗り越えようと試みたものの、手がかりがなく、別の団員に下から押し上げてもらうことでようやく成功したという。

まさに犯人は消えてしまったのだ。


現在盗みに入られた家と自警団とが共同で捜査、情報の収集に当たっている。

犯人は全身黒ずくめの服を身にまとい、頭にも黒い布のようなものを着けていたために人相もわからないという。

背格好自体は一般的な成人男性のそれに当てはまるとみられるが特徴は薄い。

捕り物を目撃した市民も大勢いるものと思われるが現在までのところ有力な情報は寄せられていないようだ。』


「なかなか面白い展開になっているようだね」

「捕まらなかったのですね。上から見ている感じだとそれほど上手に逃げられている風でもなかったのですが」

「捕まえられそうだった?」

「そうですね。わたしの印象としては」

実際それほど距離が離れていたわけではなかったし、追い掛ける側も複数人だしで上から見ているうちに捕まるかなあくらいの感覚でいた。

そうかあの逃げていた人は黒ずくめだったのね。この通りだとまだ街灯があって明るいのだけれど気がつかなかったな。服装とか背格好とか言われても何の印象も語れない。

最も事件自体、何だか人ごとというかどこかよその町で起きた事件なのではくらいの感想で、あの夜の目撃がなければこうして気にすることもなかったのでは。

「それよりもわたしとしてはこんな身近なところで泥棒が出たことの方が気になります」

そうなのだ。

泥棒ですよ泥棒。この家にだって貴重品はあるし一階に据え置きだけど金庫もある。逃げられたということはまだこの辺りにいるのでは。

「ふむ、まあそこは心配するか。だが大丈夫だよ、この家の中は安全だ。私にかかれば盗むことも容易だし消えることも容易だが、同時に盗ませないことも容易だよ。この家の中にあるものを私やおまえの許可なしにこの家から持ち出すことはできないさ」

そうですか。

どういう仕掛けがあるのかわかりませんが、さすがですご主人様。

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