18:恋をする人⑤

それは大きな家だった。

高い塀に囲まれ門から玄関までが遠く、見るからに部屋数の多い母屋に、働いている使用人のためか小さな宿舎のような形の別棟と馬屋まである。これはまごう事なきお金持ちの家だ。

門の脇には呼び鈴まである。押すとどこかで合図の音が鳴るらしい代物。わたしは初めて実物を見た。普通は紐付きのベルとかノッカーとかなのに。さすがお金持ち。

その呼び鈴を押すと馬屋の方から使用人らしき人が出てくる。

「何かご用でしょうか」

「すまないね。こちらのお子さん、一番上の兄なのだが、私に用があるようでね、町の薬屋が来ていると伝えてもらえるかね」

使用人の人が母屋へ向かう。

これで迎え入れてもらえれば詳しい話ができるし、たとえ追い返されたとしても、こちらが会いに来たことは伝わるだろう。何かしらの変化は期待できるはずだ。

しばらく待つと使用人の人が戻って門を開けてくれる。どうやら会って直接話ができるようだ。

「お待たせいたしました。お会いになられるそうですので、お屋敷の方までどうぞ」

どうやら当人に会える様子。

「現在当家の主は不在なものですから、もうしわけありませんが執事が同席いたします。ご了承ください」

良かった、少なくとも家の主は不在だ。ほんの少しだけれども気が楽になる。

しかし主が不在でよく許可がおりたものだ。

普通は出直しになるところではないだろうか。同席するということは執事の人がある程度事情を知っていて、権限もあるということだろうか。あまり怖い人ではないことを祈りたい。

働いている使用人の人たちが掃除をしたり荷物を運んだりといった手を止めてこちらを見る。確かにわたしたちは珍しい客ではあるだろう。お金持ちの家に立ち入るような身なりではない自覚はある。ご主人様は意にも介さないが、わたしは視線が少し怖い。その遠巻きの視線を感じながら母屋へと向かった。


わざわざ応接室を用意してくれたようで、母屋に入るとそちらへ案内された。

門から玄関まで案内してくれた人、そこから玄関で迎え出て部屋まで案内してくれた人、さらに部屋で迎えてくれた人と、もうすでに3人に会っている。

それ以外に外で働いていた人、中で働いている人も結構な人数だった。

お金持ちってすごい。

この家とこの使用人の数を維持するのにいったいどれだけの費用がかかるのか。ちょっとわたしの想像力の及ぶ範疇を超えている。

部屋で迎えてくれたのはいかにも執事といった風情の貫禄のあるおじさんだった。

「ようこそいらっしゃいました。主と夫人は不在となりますが、お礼を申し上げたいとのことでしたのでお通ししました。私は執事を務めております。同席をお許しいただきたいと思います」

「かまわないよ。無理かと思っていたが、すまないね。ありがとう」

両親ともに不在だということで、緊張がさらに少し緩和される。

執事に案内されて通された室内は広く、調度品も立派で、絨毯は柔らかい。

その室内には待ち構えていたらしい男の子。三人兄妹だと言っていた。おそらく彼が手紙の差出人だろう。

年の頃はうちに手紙を入れていた、本を奪った女の子と同じくらいだと思う。

いかにも両家の跡取りといった上品さ、賢さがうかがえる。ただ、わたしたちの来訪に緊張しているのか、その表情はこわばっているように見えた。

迎え入れてくれた執事と彼がうなずき合う。やはりある程度の話は通っていそうだった。


「ようこそいらっしゃいました。あの、このような言い方になってしまい申し訳ないのですが、あなたのことを直接存じ上げているわけではないのです。――妹のために薬を用意していただいた方でしょうか」

わたしたちに椅子を進めながら問う。やはり知っていたのだ。

「そうだね。その認識で間違ってはいないよ」

「そうでしたか。その折は本当にありがとうございました。妹はひどい発作が起きるようなこともなくなり落ち着いています。医者も驚いていました」

「又聞きの情報で作った薬だったからね。絶対の保証はなかったのだが、効いたのなら良かった」

「本来ならば本人や両親がこの場でお礼を言うべきなのでしょうが、あいにく今日は不在にしておりまして、私が代理として、改めてお礼を申し上げます」

下の妹さんは生まれたときから呼吸に難を抱えていて、時折咳が止まらなくなる発作を起こしたり、呼吸が困難になって倒れたりといったことを繰り返していたのだという。

最初の頃は薬で落ち着いていたのが最近ではそれも効果が薄くなり、家族皆が悩んでいたところへ届けられた薬が効いたのだ。

それ以来症状の悪化もなく、もしかしたら完治するのかもという希望までわいた来たと喜んでいるのだそうだ。


「あの、それで、お礼を言えたことはうれしいのですが、まさか当家にわざわざ起こしになるとは思っていませんでしたので、その、妹の病のことで火急の用があるということでしょうか」

おや、話が通じていない。

妹さんの病気はこちらの関知するところではなくてですね、あなたの手紙の問題になるのですが。

なんて、まあそれはそうだろう。まさか手紙が第三者の手に渡っていることなど想定してはいないだろうから。

「いや、まったく関係がない話だよ」

ご主人様は懐から手紙を取り出し、彼に向かって軽く振る。

彼は妹のことではないという言葉に安心しかけ、しかしその手紙に見覚えがあるのか、明らかに不審そうな顔になる。

「我が家に手紙が届いてね。差出人無し、宛先無し。直接郵便受けに入れられていた。不審に思って届け主を探したところ、近くに住むお嬢さんに行き着いてね。誰が書いた物か問い詰めたのだよ」

すとんと音がするように、男の子が椅子に腰を落とす。

唖然としているとは、こういうことを言うのだろうか。口が半開きのまま、驚きを覚醒ない顔がこちらを見つめている。

「それは…確かに書いたのは私です。ですが、あなた宛てではありません」

彼の顔が泣きそうにゆがむ。ああ、いけない。これは非常に申し訳ないことをしてしまっている。

しかし仕方がないのだ。自分の意思がまったく相手に伝わっていないことに、あなたは気がつかなければならない。

「やはり彼女宛かね」

「私は彼女に直接渡したのです。それがなぜあなたのところへ回るようなことになるのですか」

「もう少しやり方を考えるべきだったな。あれはまったくわかっていないぞ」

はっきりきっぱりと現実を告げる。

彼は顔を覆ってうなだれた。


ご主人様が薬を作り、それによって妹さんの症状は改善した。

経緯を聞いた彼がご主人様のことを気にかけたとしてもそれは仕方がないだろう。

両親は止めたかもしれないが、情報に触れていて、その上で近くまで来てしまえばわかることだ。

どこの誰がこの薬を用立てたのかを聞いていて、彼女の家を訪れた際にすぐ近くの薬屋に気がつくのは普通のことだ。しかも上の妹さんの友人がいる喫茶店、その隣りの薬屋なのだ。ここではないかと考えるのには十分な情報だ。

そうして運悪く、彼女には彼がご主人様のことを個人的に気にしているように見えてしまったのだ。

彼は彼女に手紙を渡す。彼女がそれを読む。そしてそこに書かれているのはご主人様のことのように思えてしまったのだ。

間が悪かったのだ。

彼がご主人様を知ったことも、薬のことで気にかけたことも、彼女がご主人様の動向に気をつけたことも、貸本屋で続き物の本を借りていることを知ったことも、うちの店が開店休業状態で手紙を郵便受けに入れることが容易だったことも。

すべて間が悪かったのだ。


「申し訳ありませんでした。あなたにご迷惑をおかけすることになるなど考えていなかったのです。このようなことが無いように気をつけます」

頭を抱え深いため息をつく。

両親が不在で良かったという小さい声が聞こえる。それはそうだろう。こんな話、なかなか大人にはしにくい。

部屋の端に控えていた執事の人は我関せずを貫いている。さすがにこういう家で執事をしている人だ、わきまえているだろう。

「顔を上げたまえ。お互いこんな展開は想定していなかったのだ。現状の確認ができたということで良しとしよう」

わたしたちは腰を上げ、お暇を告げる。

「一つ、良い物をあげよう。こちらとしても事態を引っかき回してしまったことには申し訳ないと思っているのだよ」

まっさらな封筒と手紙用の紙を一枚取り出す。

「人の気持ちを鎮めるための薬剤がしみこませてある。これに当たり障りのない話や、君と彼女にしかわからない話題などを書いて渡すといい。問題を無かったことにはできないが、切り替える助けにはなるだろう」

交渉事に挑む際に使うものなのだそうだ。「人の恋路だ。深入りするものではないが、さすがにね」とはご主人様の談だ。その後どうするかは彼と彼女の問題だ。

「もうひとつ。呼吸器のための薬というものもあげよう。息が苦しいとか咳が出るとかいうときに口からのどに向けてここを押すと良い。薬剤がのどに届くよ」

小さい瓶に吸い込み口のような形の器具を取り付けたものを手渡す。中身はここの医者が処方した薬と同じ物だ。違うのは器具の方で、この辺りではまだこういった器具というものが無いのだという。

請求書を付けているので金額を確かめて、返品可というかたちで彼に渡す。

「これは言い分け用だね。君が心配のあまり、偶然知った私の店に頼んでしまった体にでもしておけば良い。思わず頼んだけれど問題があるのなら返品すると両親には言い給え」

この好意をどう使うかは彼次第だ。言い置いてわたしたちは屋敷を出て帰路につく。

彼の「いろいろとありがとうございました」という言葉には本当にいろいろなことが込められているのだろう。

執事に送られ、門番に送られ、わたしたちは屋敷を後にする。

母屋を出ると相変わらず遠巻きにする使用人たちの視線がある。掃除に洗濯、荷物運びと仕事はいくらでもあるだろう。

気になる気持ちはわかるけれど、彼のためにもわたしたちのことは触れずにそっとしておいてあげてほしいと思う。

執事さんからご両親に正確な話は伝わってしまうだろうけれど、それでも配慮はされたということで許してほしい。

せっかく両親や妹たちに深く踏み入れられることなく問題を解決したのだ。

わたしたちの来訪については薬の配達と注意点の伝達ということで片がつく。あとは彼と彼女の問題なのだ。

恋路についてはわたしに語れることは何もないのだけれど、願わくば年若い二人の先行きに前途あることを祈る。

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