15:恋をする人②
迷い猫の紙は計画通りに店頭と、お隣、市場に貼らせてもらうことにした。
その日はもう時間も遅かったので翌日に作業を回し、朝の掃除のついでに店頭に一枚貼る。
場所はお客さんが玄関から入る時に目に留まりやすいように、窓の隅、視線の高さにあわせる。
やはり絵が入るとわかりやすい。
これをお隣にも貼らせてもらうために、次は喫茶店へお願いに行く。
「こんにちは。ちょっとお願いがあるのですけれど、よろしいでしょうか」
「どうしたの?」
店員をされているお嬢さんに声をかける。
今は忙しい時間ではなさそうだけれど、店主にいきなりは話しにくい。
「うちで迷子らしい猫を預かっていて、飼い主が探していないかチラシを用意したので貼らせて欲しいのです」
「へー、迷子の猫なの?珍しいね」
「はい。最初は市場にいたのですが、子供に追いかけられてうちに逃げ込んだのです」
チラシを渡すと興味深そうに見ている。
探し物のチラシ自体はそう珍しいものではないけれど、迷子の猫の飼い主探しというのは確かに珍しいと思う。
「ねー、おじいちゃん。猫だって。飼い主はいないかーって。どう?」
「うん?見せてごらん」
ね?と店主の方にチラシを見せる。
「なるほどね。この辺りではあまり猫は見ないね。いいよ、そこの窓にでも貼っておくといい」
許可がいただけたので、ありがたく貼らせていただく。
次は貸本屋だ。
こちらは店主の方が一人で切り盛りしているので直接お願いをする。
「すみません、うちにいま迷子の猫がいまして。その飼い主を探すチラシを貼らせていただけないかと」
白髪に白く長いヒゲ。いかにもな風貌のおじいさんが顔をしかめてこちらを見る。
顔をしかめるのは目が悪いせいであって、決してにらんだりしているわけではないと以前に聞いた。怖い顔をしているように感じるのは「気のせい」だそうだ。
「かまわんよ。好きなところへ貼っておきなさい」
「ありがとうございます」
どう見てもこちらをにらんでいるように見える店主にお礼を告げて、店頭の目につきやすい場所にチラシを貼る。
これで良し。次は市場へ向かい、とりまとめている事務所へ。
「すみません、掲示板にチラシを貼らせて欲しいのですが」
「チラシ?どんなのだい?」
事務所にいたおばさんにチラシを見せる。
「こんな感じで。以前ここにいた猫なんですが、いまはうちにいて」
「へえ、猫ね。探している人がってのは聞いたことがないけど、まあいいよ。空いているところに貼っていくといい」
許可をいただいたので安心して掲示板に貼りだす。
売り出し中、新発売、求人のチラシに埋もれないように、真ん中を避けて隅の方、枠に会わせるようにして貼る。
ここまでやっても果たして猫を探している人がいるかどうかは疑問なのだけれど、ほかにできることも思い浮かばないので良しとしよう。
さて、努力はしてみたものの、結局のところ猫の飼い主は見つからず、残念ながらいまでもうちに居座っている。
飼い主が名乗り出てくれたらよいと思っていたけれど、これはだめかもしれない。
もしこのまま現れなかったときには引き取り手を探すチラシに換えないといけないだろうか。
家に飛び込んできてからすでに何日も過ぎている。
これはもう、しばらくいるものと考えた方が良いだろうと、まずは猫を丸洗いすることにした。
汚れた体で家の中を歩き回られては困るのだ。わたしもご主人様もきれい好きなのだ。
普通にお湯と石けんでごしごしやれば良いだろうと考えていたのだが、実際にやってみたらこの作業が困難を極めた。
浴室へ連れて行ってお湯をかけたのだが、それはもう嫌がったのだ。
泣き叫ばんばかりの悲鳴を上げて、ここを出してと扉に向かって体当たりを繰り返したのだ。
それをご主人様が取り押さえ、床に押しつけている間にわたしが湯をかけ、石けんを揉み込み、また湯をかけて洗ったのだ。
二人とも手にいくつもひっかき傷を作る難敵だった。
終わったときには猫もご主人様もわたしもぐったりとする惨状だった。
「これは何か方策を考えないといけないね」
「まったくです。こんなに大変なものだとは思いませんでした。小さい子だって、お風呂嫌いな子はいましたけれど、こんなではなかったですよ」
ため息しか出てこない。
時間がたてば体は汚れる。そのときにはまたこれをやるのか。できればお風呂は好きになってもらいたいものだ。
猫の寝床は二階の暖炉の脇に用意した。
かごに端布を詰め込んだだけの簡素なものだったが、これが気に入ったのか基本的にはここで丸くなっている。
そこにいなければ椅子の上か、暖炉の上か、棚の上か、窓縁か、その辺りでやはり丸くなっている。
猫というのはこういうものなのか、一日の大半を丸くなってすごしている。
たまに体をなでてみても、にゃーと一声、また丸くなってしまう。
たまに運動のつもりなのか階段を上ったり降りたりしているところに出くわすけれど、行き先は結局いつもの場所で、そこで丸くなってしまうのだ。
あの元気に通りを歩いていた猫はどこへいってしまったのか。
丸洗いしたおかげで毛並みはふわふわと柔らかいし、鼻をぴすぴすさせている寝顔は大変可愛らしいけれどね。
最近は猫にばかりかまけていた。思い返せば平和で幸せな時間だった。
面倒事は結局人間の手によって引き起こされるのだ。
「また来たよ」
昼食を終え、テーブルで手紙を開いていたご主人様が手に持った紙をひらひらとさせてわたしに見せる。
また、とは。
その手紙を受け取って読んでみると、確かにまたといえるものだった。
曰く、窓辺にたたずむあなたの横顔が頭から離れない。私の眠りを妨げるのは思い起こされるあなたの姿――
前回のものよりも少し書き慣れた感じの手跡と文言。少しだけれど直接的で情熱的に感じる。
封筒にはやはり宛先も差出人もない。手紙の文章にもそれに類することは何も書かれていない。
おそらくは同じ相手を想定して書かれたであろう、それは恋文の二通目だった。
「書かれている紙も封筒も同じですよね」
「そうだね。同じ人物が書いたとみてまず間違いなかろうよ」
「今回も同じ人物宛ということで良いのでしょうか」
「それはまあそうだろう。しかし私はそれほど窓辺にはいないよ」
そういえばそうだ。ご主人様がいるのは窓辺よりも室内の椅子か床だ。しかし窓辺にたたずまないと断言もできない。
「人違いと言い切れませんね。それに間違いで同じところへ2通届けたりはしないでしょう」
今回も切手も消印もない何も書かれていない封筒に手紙を入れての投函だ。
これはもううちを狙ってのものとしか考えられない。
しかしご主人様への恋文と言い切れないのも困りものだ。もう少し相手を特定できるしっかりとした文章を書いてほしいものだ。
「今回も保留」
宣言してご主人様は手紙を封筒へ戻し、テーブルの上に放り出す。
いたずらか、本気か、いずれにせよ次もあると思わせられる手紙だった。
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