12:猫の話①
「いる?どこ?」
「いた!そこの隙間に入ったよ!」
子供たちが屋台が並んでいるその合間や下をのぞき込みながら、わいわいきゃいきゃいと盛り上がっている。
見たところ小動物が紛れ込んだのだろうか。
市場なのだ、それくらいはよくあることなのだが、そこはやはり子供というものか。
可愛い小動物を見つけてしまった以上は、盛り上がることも仕方がない。
商売をしている人も買い物に来ている人も、迷惑なようなほほえましいような微妙な表情でそれを眺めている。
屋台の脇か下か、その動物は動き回ることをやめたようで、子供たちがしゃがんでのぞき込んでいる。
屋台の正面ではないので、そこの主人も放っておくことに決めたのか、見向きもせずに客をさばいている。
わたしはその様子を遠目に見ながら、油や香辛料など必要なものを買い求めていた。
「ねこ?」
「あれってねこだよね?」
む?猫ですと?
この辺りで猫はあまり見かけないのだ。
犬はどこぞのお屋敷をのぞき込めば結構な確立で小さな子供と同じくらいの大きさのものを見ることができる。お金持ちの間では犬を飼うことはお約束のことらしいと聞いた。何しろ動物を飼うというのはお金も手間もかかるので。
そして猫は少ない。少ないというよりも、うちの前を散歩で通る太った猫しか見かけない。昔はネズミ対策としてそれなりの数がいたらしいけれど、最近はその必要がなくなったからか理由はわからない。
市場も人通りが多すぎるからか動物をまず見ない。
そこへ猫。この言葉にちらりと子供たちの方を見る人が何人かいる。
ペットへお金をかけられるほど豊かな人がまだまだ少ない町なのだ。しかも主流は犬なのだ。猫、見てみたいではないか。
買い物も終わったのでこれ幸いと、そそそと子供たちの後ろ側へ回り込んでみる。
猫は屋台の下へ潜り込んだまま動かないのか、子供たちは一様にしゃがみ込んで屋台の下の隙間をのぞき込むようにしている。
子供たち。わたしよりも年はだいぶ下だと思う。体格は、どうだろう。わたしがこの中に紛れ込んでのぞき込んでもおかしくないだろうか。
恥ずかしくはないか、どうだ。
猫と羞恥心を天秤にかける。猫の方へぐぐっと傾くのを感じる。どうやって紛れ込むかを考える。いける?いける。
そそっと前に出ながら腰をかがめる。
「猫なの?めずらしいね?」
にこにこしている女の子の方へ言葉をかけながら、子供たちの輪の端の方へにじり寄ってみる。
「そう、ねこだよ、かわいいよ」
女の子が満面の笑顔でそちらを指さす。
身をかがめながら指し示された方向を見る。屋台の骨組みや飾り布の合間にもこもことした毛玉のようなものがちらりと見えた。
他の子よりも年齢分少しだけ体が大きいせいだろうか、なかなか視界に猫全体が入ってこない。
ぐぐっと体を動かして、どうにかして猫が見られる位置を探していく。ぐぐっ。
見えた。
まだ体が小さく、顔つきも幼いように見える。子猫だろうか。
全体に灰色で、ところどころ白が混じる長めの体毛。しっぽは太くて長い。手足を縮め、体を丸めたその上に丸い顔。こちらを見るくりくりと動く目。三角の耳。鼻をぴすぴすと動かすと、それにつられてヒゲも揺れる。おおう、可愛い。
「可愛いねえ」
「ね、ちっちゃくって、ふわふわだよ」
隣の子と、可愛い可愛いと言い合う。
なるほど、これは子供たちも夢中になるわ。
「小さいね。子猫かな。ひとりで来たのかな?」
「ね、どこから来たのかな」
「あたしたち、向こうの方で見つけたんだよ」
指さすのは高級な住宅地がある方向だ。
どこかのお金持ちが犬ではなく猫を飼っていたのだろうか。
まだまだペットの飼育法法が広まってはいない状況で、それでもまだ知られた犬ではなく、わざわざ猫。相当なお金持ちか趣味人か。
ここまで自力で来たのなら、そうっとしておけば家に帰るかな。
猫は堪能したことだし、そろそろわたしも帰らなければ。
少し下がって立ち上がろうと腰を浮かせた瞬間、視界の隅の方で猫がぱっと動いたのが見えた。
「あっ!」
「どこ行った!?」
「あっち!通りの方へ行ったよ!」
その動きにつられた周りの子供たちも一斉に立ち上がり、猫が向かったであろう通りの方へと走り出した。
通りの方、それはうちの方ではないだろうか。子供たちにつられて、わたしもそちらへ急いだ。
ててっと小走りに通りへ向かう猫。
それを追う子供たち。
その動きにつられて一緒に猫を追うわたし。
市場を出て、通りへ入る。
今日は天気も良いし、昼下がりのこの時間では通りを行き交う人も多い。昼食、買い物、仕事。行き交う人たちの目的はそれぞれだが、その視線は通りを行く子供たちへと向けられていた。
遊びたい盛りの子供たちが通りを駆け抜けることはそう珍しいことではないが、その前を行く猫と追う子供たちという図式は珍しいかもしれない。
子供たちも全力で追いかけたりはしない。猫がどこへ行くのか、何をするのか、興味津々で見守りながらの追跡だ。
肝心の猫は通りをまっすぐに歩きながら、時折立ち止まって道ばたで匂いをかぐ仕草をしたり、人通りに視線をやったりする。
おびえているような様子はない。子供たちのことを気にするような様子もない。人慣れしいるのだろうか、小さいながらも堂々としているように感じる。
通りを進む視線の先に、先日本を取り戻すために乗り込んだ家が見える。
そして通りを挟んだ反対側には喫茶店、薬屋、貸本屋と連なる。
わたしの同行はここまでのようだ。猫はそのまままっすぐに進んでいく。
わたしは通りを渡り、うちの前へ戻る。
ポケットから鍵を取り出し、玄関の鍵を開ける。カーテンの隙間から店の奥の方でご主人様がこちらに顔を向けるのが見える。
ご主人様、店にいるのなら玄関とカーテンを開けましょうよ。
玄関を開ける。「ただいま戻りました」そう声をかけながら通りの方を振り返る。猫は、子供たちはどこまで進んだか。
と、通りの向こう側で驚いた顔でこちらを見ている子供たちが眼に入った。
そして猫は、通りを斜めに横切りながらまっしぐらにこちらへ駆けていた。
何事かと思うまもなく、猫はわたしの足下をくぐり抜け、店内に駆け込む。
わたしが店内に入ると、ご主人様が視線を奥の方へ向けている。
勝手口から裏通りへ抜けられると考えたか、店内を一時退避の場所に選んだか。
ここまで子供たちを引き連れながら、いつ、どこへ逃げ込むかを考えていたのだろうか。
店内をのぞき込みやすい喫茶店や貸本屋ではなく、一見怪しげなこの店を選ぶ辺り、なかなかわかっている猫ではないか。
実際に子供たちは通りの向こう側からこちらの様子をうかがうだけで、よってこようとはしない。さすがに乗り込んでこようという勇気のある子はいないようだ。
意を決して店の中まで乗り込まれてもたまらない。
わたしは店を出て通りを渡り、子供たちに飛び込んできた猫はそのまま裏口の方へ走っていったので、そちらから逃げていったのではと伝える。
残念ながら猫を追いかける楽しい冒険はここまでだ。
通りを戻る子供たちを見送りながら店内に入る。
奥の方へ駆け込んだようには見えたけれど、猫はどこへ行ったのか。
ご主人様は手に持った薬を棚にしまっている。
「いまのは猫だよね。珍しいね」
「はい。市場で子供たちが見つけて、すぐそこまで後を追いかけていたんですよ」
「それが嫌だったのかねえ。それにしても何もこんなところへ逃げ込まなくても良いのにね」
「裏は開いていますか?」
「いや、知らないね。おまえが開けていなければ開いていないよ」
「そうですよね。変なところへ入り込んでいなければ良いのですが」
この階には商品が多い。興奮して駆け回られては大変だ。
地下は石炭があるし、怪しい機械もあるし、二階や三階は生活空間だ。やはり駆け回られると大変な気がする。
「ちょっと探してみます。裏も開けてきます」
奥へ進み、勝手口を開ける。扉も窓も開いていなかった。これはまだ屋内にいると思った方が良さそうだ。
まずは地下。階段を降りて明かりを付ける。すすまみれで飛び出してきたらどうしようかとも思ったが、気配はない。次は二階だ。
階段を上がろうとしたところで左から右へさっと動くものが眼に入る。
いた、ような気がする。
居間へ逃げ込んだようだ。ここはここで棚に並べてある飾りや食器、本が心配だ。興奮させないようにそうっと居間へ入り、辺りをうかがう。いた。
「いました!居間です、どうしましょう」
階下のご主人様に聞こえるように声を上げる。
猫の所在は棚の上だ。わたしもご主人様もそのままでは手が届かない。
それに猫の方がすばしこい気がする。手を出していろいろと散らかされたり壊されたりするのは困るのだ。
実際、テーブルの上に置いてあった手紙や書類が床中に散らかっているし、暖炉の上の燭台が倒れている。
この勢いで家中を駆け回られては困るのだ。
「逃げ場を失ったのか。うかつな猫だね」
二階へ上がってきたご主人様がわたしと同じように入り口から中の様子をうかがう。
「どうしましょう。裏から出て行くように誘導って、どうやれば良いのでしょう」
「面倒だよ。捕まえる」
捕まえる。どうやってと思うとご主人様は手に持っていた紙の上に指先で円を描くと、何も書かれていなかった紙の上に、描いたままに円が浮かぶ。
そしてその真ん中へ手を差し入れた。
文字通り差し入れた手が紙の中へ消えていく。と、猫の方から「ぎゃっ」というような声が聞こえた。
振り向くと棚の上で猫が取り押さえられている。押さえているのはご主人様の手だ。手だけが棚の上に現れて、猫を押さえていた。
ご主人様の方を振り返ると、何食わぬ顔で手を紙から抜いていく。
その先には猫。手に捕まれた状態で、猫が紙を通り抜けて姿を現した。
おびえているのか、手足を突っ張ってにゃーにゃーと鳴く。
それはそうだろう。手の届かない棚の上に逃げていたはずなのに、いつの間にか捕まっている。意味がわからない。
「おとなしくしなさい。あまりうるさいとこのまま窓から投げるよ」
つかんだままの猫の鼻先に指を当てて脅す。
人の言葉を理解するのかは知らないけれど、脅された猫は手足をだらりとさせ、おとなしくなった。
ご主人様は猫を椅子の上に下ろすと、床にちらばった紙を回収しはじめた。
猫はおとなしく、椅子の上からそのようすを眺めている。
脅迫一発、言うことを聞かせることに成功したようだ。
さすがだ、ご主人様。意味はわからないけれど、さすがとしか言い様がない。
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