11:行方不明の本②
「さて、魔法陣は完成したわけだけれど、これで完成ではないのだよ」
ほうほうと感心しながらご主人様の手元を見ていたわたしに胸を張って言う。
確かに魔法陣だけで本の行方がわかるわけではないだろうけれど、ここからどうなるのか想像ができない。
魔法陣の上から手のひらでさっとなでると、魔法陣が消えてまっさらな紙に戻る。そこからおもむろに紙を折りたたみ始める。
「折り紙というものを知っているかい」
もちろん知っている。飛行機や船の形を作ったことがある。
「これからこいつで鳥を作る」
鳥も作ったことがある。翼とくちばしのある鳥の形。ご主人様が折っていく形はわたしの知っているものとは違っていたが、確かに鳥に見える。
折り紙の鳥ができあがると、それを手にもって書斎を出て寝室へ移り、窓際へ。
窓を大きく開ける。
身を乗り出し、隣の貸本屋の方を見る。
「さて、ここからどう飛ぶかね」
身を戻し、鳥を口元へ。ふっと息を吹きかけると窓の外へと鳥を送り出した。
窓の外へと放たれた鳥が羽ばたき始める。
あれは折り紙で作られたものであって本物ではない。それがあたかも本物のように羽ばたき、宙を舞う。
道行く人も、あれが折り紙だとは気がつかないだろう。
路上から見上げたところで、折り紙だと気がつくような動きではない。すごい。これが魔法か。
「店には行かないね。やはり持ち出されているか」
ご主人様の言葉でようやく気がついた。
店はすぐ隣だ。向かうのに迷うような場所ではない。
鳥は行き先を定めるように窓の外で二度三度と円を描くと、やがて流れるように通りを挟んだ反対側へと向かった。
目的地は存外近かったようだ。
真向かいの家から二軒隣り。商店ではない。普通の住宅だ。
鳥はその二階へ向かい、窓の外の手すりまでたどり着くと動かなくなった。
「目的を達成したようだ。犯人はあそこだね、行こう」
ご主人様の後を追う。見つけるだけではなく、直接乗り込むつもりのようだ。
「普通のお家のようですけれど、ご存じなのですか?」
「いや知らん。用も無い家のことなど私が知っているはずがなかろう?」
それはそうだが、知らない家にいきなり直接乗り込むのか。
まっすぐに玄関を出て通りを渡り、目的の家に向かう。
本当に何の準備もしない。あとを追うわたしも慌てて玄関の鍵を閉めた程度のことしかできていない。
店先に出てきていた貸本屋の店主と目が合ったが、不思議そうな顔をしてこちらを見られても困る。
わたしにもよくわかっていないのだ。
目的の家の玄関には通りの名前と家の番号が書かれているだけで、特に目につくようなものはない。この辺りの家ではごく一般的な作りだと思う。
ご主人様は玄関前まで行くと躊躇することなく、呼び出しのベルを鳴らす。
さすがにいきなり玄関を開けるようなまねはしないようだ。
しばらく待つと玄関が開いた。
開けたのは使用人らしい女性。簡素な服にエプロン。手が湿っているように見える。掃除か炊事か洗濯か、手を止めて出てきたのだろうか。
「失礼、今二階にはどなたがいらっしゃるのか?」
ご主人様がぶしつけにもほどがある問いかけをする。用件はどこへいったのか。
「お嬢様がいらっしゃいますが、あの、何かご用で…」
「おじゃまするよ」
女性の言葉を最後まで聞かず、その脇をすり抜けるようにしてご主人様はさっさと中へ入っていく。
「困ります!ご用でしたらお伺いしますので!」
慌てたように声を上げる女性に、ごめんなさいごめんなさいと頭を下げつつご主人様に続く。本当に申し訳ない。
この通り沿いの家など作りはどれも似たようなものだ。
階段を昇り、居間へと向かう。
制止しようとする女性とご主人様との間にわたしが入る。
申し訳ないけれど、ここまで来たらどうしようもないのだ。おそらく居間には犯人がいる。
「お嬢様」と呼んでいた。そう呼ばれる年頃なのだ、まだ子供なのではないだろうか。
居間に入るとやはり、窓の近くの椅子に女の子が座っていた。
女の子。子と言って良いのだろうか。わたしよりは少し年上に思える。
体つきはそうでもないが顔は比較的大人びている。その顔が今は突然現れたご主人様を呆然として見つめている。
ご主人様は居間に入り、そのままつかつかと窓へ向かいさっと開けると、手すりに留まっていた折り紙の鳥が再び舞い上がり、部屋の中へと飛び込む。
居間の一角、本棚の一番下の段まで飛んでいくと、そこで動かなくなった。
ご主人様はその本棚まで行くと動かなくなった鳥を拾い上げ、ポケットへ入れる。そして本棚に並ぶ背表紙の中からお目当てのものを見つけると、手に取った。
お目当てのものを見つけたようだ。
「知っているかね。この本はそこの貸本屋の店頭から勝手に持ち出された物でね、店主は貸し出してはいないと困っていたのだよ。ここにあることを知ってね、私が代わりに回収に来たのさ」
使用人の女性に向かって言う。
最初に理由を説明してしまうと、聞きつけた女の子が隠してしまうのではないかと懸念したのだ付け加えると、女性は困ったような顔をしてその子へと視線を向ける。
「わたしじゃない!知らないわ!」
ようやく状況が飲み込めたのか、女の子が声を荒げる。
当然そう言うだろうと思っていたので驚きはない。
ご主人様はちらりとそちらを見ると、手に持っていた本を左手に持ち替え、空いた右腕を振り上げながら女の子の方へ歩み寄る。そして振り上げた腕をそのまま女の子の頭へと振り下ろした。
ごん、という良い音がした。
鉄拳制裁という言葉が頭に浮かんだ。鉄拳制裁。魔女なのに。しかも相手は女の子だというのに。
「理由は問わぬ。興味がない。理由が必要ならばあなたが彼女を問い詰めなさい。私はこれを貸本屋へ戻す」
女性に向けて本を開き書店印を指し示すと、居間を後にする。
これで終了と言うことらしい。
女の子が何を思って本を盗んだのか、盗んだ本をなぜ後生大事に本棚にしまっていたのかはわからない。
ご主人様ではないけれど、興味がない。
面白おかしく脚色するのならば、ご主人様に憧れてなんとか縁を作り出したくて、つい魔が差して本をとってしまったとか考えられるけれど、正直どうでもよいことだ。
ご主人様のあとを追って家を出て貸本屋へ向かう。
ご主人様は貸本屋へ戻すと言いつつそのまま店主と話して本を借り受けると、満面の笑顔を見せる。
「さあこれで安心だ。今日はもうおしまい、私はこれを読むよ」
宣言されてしまった。
まだ日は高いのだが、もともと本を読む予定だった日だ。仕方がない。
そういうことで、今日はもうおしまいです。来店されても店主の対応はいっさいありません。あきらめてくださいませ。
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