10:行方不明の本①

うちは名も無い薬屋だ。店の説明などあそこのあの店で通している。

薬屋であることを示すものなど、玄関上に掲げられた小さな看板に書かれた医薬品の文字と、窓越しに見えるそれっぽい材料の収まった棚くらいなものだ。

ここは町の一角、通りに沿って連続して建てられた住宅によって構成された建物、そのうちの一戸になる。

正面向かって右隣が喫茶店、左隣は貸本屋だ。

連なる住宅は家として使われている物が三分の一程、他はすべて店舗なので、一見すると商店街に見える。

建物を丸ごと店として使っているところもあるのだろうが、うちは一階のみが店舗だ。


さて、今日も今日とて来客は無い。

いつも通りいくつかの荷物を配達に出した以外は、店頭で暇を持て余している。これで商売が成り立つのだから不思議な物だ。

ご主人様の秘密の本業は、いったいどれだけの利益を生み出しているのか。考えるだに恐ろしい。

肝心のご主人様は、今日は珍しくお出かけだ。

といっても隣の貸本屋へ本を借りに行くだけの簡単なものなのだが。

その本を自宅または隣の喫茶店で読み、読み終わったらまた隣の貸本屋へ返しに行ってくるという、大変どうしようもない行動で一日を終えるつもりのお出かけなのだ。

時間的にはそろそろ貸本屋から喫茶店へ移動するご主人様が窓越しに見られるはず、と考えたところでおもむろに玄関が開き、吊り下げられた呼び鈴がチリンと鳴った。


入ってきたのはご主人様だった。

「どうされました?」

「いや、ちょっとした事件があってね」

事件とは、どうしたことか。この界隈では新聞の記事になるような出来事はついぞ起きていないというのに。

ご主人様はそのままカウンター前の椅子に腰を下ろし、わたしの方を見る。

難しい顔をしている。少しいらいらとしているようだ。

「お茶を入れますね」

一言断って席を離れる。

ご主人様にしては珍しい。言いたいことがあったのに、すぐに言葉が出てこずに、座って顔を見合わせるという形になってしまったのだ。

まずは一息ついて、落ち着くのが良いだろう。


「お隣で、何かありましたか?」

お茶に口をつけ、一息置いたことで落ち着いたかと思ったのだが、ご主人様の物言いには強い感情が込められていた。

「私が読もうと思っていた本が行方不明なのだよ。状況から盗まれたのではないかと考えられる」

なんと、これは事件ではないか。

この通りは夜になっても人が絶えず、警察も近く、滅多に狼藉者が現れないのだ。しかも隣家。これは大事件ではないか。

「全十巻からなる物語がそろいで置いてあってね、私は一巻から順に読んでいたのだよ。巻数は出ているのに人気の方はさほどでもないようでね、私のほかには借り手はいなかったようなのだ。店主もそれを知っていてね、私が読み終わったら全巻ひとまとめにしてよそに売ってしまおうかなどと言っていたものだよ」

それが今日見に行ったところ、次に読もうとしていた一冊だけが消えて無くなっていたのだという。

「以下続刊となっていたのだよ。それがだよ、肝心のその一冊が無くなっているのだよ」

店主は貸したり売ったりはしていないのだという。

しかも、その物語を探す客は他にいない。完全にご主人様のみが続刊を求めていたような状態でだ。

それは確かに読み終わったところで全巻ひとまとめにして売ろうかなどと考えそうなことだな、と失礼なことを考えてしまったのは内緒だ。

もちろん誰かが手にとって他の場所に戻したとか、そういうことも考えたようだ。

店内をぐるっと見て回っても見当たらず、店主に売ったか、探している客は他にいるかも確認し、それは考えにくいと結論づけたようだ。

「店内はざっと見ただけだからね、絶対とは言わんよ。しかしね、これほど的確に一冊を抜いていくのだ、これはもう私に対する嫌がらせとしか思えん。誰かが隠すか盗むかすることで、一冊ずつ読んでいく私を妨害しようとしたのだ」

許せん。と拳を握る。

若干思い込みが激しいようにも思えるが、これはお怒りのご様子。

他の書店で探すなり、店主に取り寄せをお願いするなりすれば良いなどと余計なことは言わない。

「そこで私は考えた。店内で隠されたのならば見つければ良い。店外に持ち出されたならば追跡し、見つけ出し、取り戻せば良い」

ふん、と鼻息も荒く腰に手を当て、胸を張る。これはやる気ですね。前向きで良いことだが、いったい何をする気なのか。


「店の中だろうが外だろうが、必ず見つけ出すぞ」

力強く宣言して立ち上がるご主人様は手に本を一冊持っていた。

「そちらの本は?」

「ああ、これか。これは今読んでいる物語の一巻目だ。必要なのは本ではなく奥に記された書店印なのだよ」

続きの巻を持ってくると読み始めてしまいそうなので、すでに読み終わっている一巻目を借りてきたのだそうだ。

手に持った本を振りながら階段を昇り始める。目的地は書斎だろうか。

「やはり魔法をお使いになるのですか?」

後を追いながら問いかける。薬の調合に魔法を加えるのは見ているのだが、それ以外の用途では初めてだ。興味深い。

「そうだよ。本の題名と書店印を使って、それを探索し追跡するものを作る」


書斎に入ると本を机の上に置き、引き出しを開けて書類差しから紙を何枚か取り出す。

本を開いて書店印が見えるようにする。

紙の束はその横に置き、束の中から一枚を選んで取り上げる。

紙を手のひらでさっとなでると、そこには緑色の魔法陣が一瞬だけ浮かび上がってから消えた。

「これはね、転写のための魔術でね。同じ署名を何枚もの紙に書くのが面倒だとか、そういう問題を解決するために使うのだよ」

魔法陣が浮かんで消えた紙を書店印にかぶせるように置く。薄い紙なのか、書店印がうっすらと見えている。

ご主人様はその形を切り取るように紙に指先で四角を描く。

四角の真ん中辺りを指先でトンと軽く叩いてから紙を持ち上げると、そこには書店印が反転した形で写し取られていた。

紙を脇に置くと、もう一枚紙を取り上げて広げる。手のひらでなでると紫色の魔法陣。今度は消えたりしないようだ。

「これは失せ物用だね。家の中でどこに何があったのかわからなくなったときに使っていたのだけれど、おまえが来てからは用が無くなっていたね」

それはもちろん、ご主人様の私物までわたしが管理するようになったからだ。身の回りの物、それこそ服とか帽子とか下着まで。

「ここに本の題名と書店印を記す」

インク瓶を手元に寄せると中には紫色のインクが見える。魔法陣を描いたのと同じ物だろうか。それを使って魔法陣の中に本の題名と巻数を書き加える。

それから書店印が写された紙を魔法陣の上に重ね、裏から指先でトンと叩く。

紙を取り除くと、書店印が魔法陣の中に写っている。本についている書店印と色やかすれ具合まで、まったく同じに見える。

見事なものだ。これは同じ書式の書類なんかを大量に用意するときには、とても便利だと思う。発注書とか受領書とかね。

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