08:魔女は語る
「さて、薬はできたわけだけれど、これ、どうしようかね」
腕を組んで瓶を見下ろす。
魔法陣の溶け込んだ薬瓶がランプの光を映し青く光る。
お隣の依頼に応えて作ったというのに、何を言っているのだろう。
「お隣に渡すのでは?よく効く薬になるのですよね?」
「いやー、作ったのはいいけれどさ。さっき言ったろう、症状から適当に病に当たりをつけただけだって。しかもこれ、希少性の高い技術を使った一点ものなのだよね。高いよ」そういえば、本当にこういう薬で良いのかは確認していない。
それに、高いのか。
「お幾らくらいするものなのですか?」
「そうだねえ」
聞けば、それはそれはお高い代物だった。
普通に処方する薬から桁が二つ上がる。
配達に出している品物の値段から考えても適正価格だろうというのだが、それは一回分の飲み薬としてはあまりに高すぎる、おいそれと手を出せるような額ではなかった。
「それにねえ、うちで出した薬だってのが広まるのはうれしくないのだよ」
うちの店とも、ご主人様とも何の接点もない家だ。
そこへわざわざ、高価な薬品を出所を内密にしてもらうという約束を取り付けた上で渡すことは妥当な行為なのかどうか。
この町の、それなりに大きな家がうちとご主人様と接点を持つ。
今後依頼が正規に入ることになるかもしれないし、ほかの大きな家にも話が伝わってしまうかもしれない。
仕事が増えるかもという考えが浮かぶ。
ご主人様の言い分ではそれを避けたいのだろうと想像がつく。魔法を使って特別な薬を作ることができるというのは、ちょっとすごいことだと思うのだけれど。
そして何か特別な毒物とか作って欲しいという依頼が舞い込まないとも限らないと想像もまたできる。
世の小説にはそんな話が満載だ。
本の中でしか起きえなかったことが実際に身の回りで起きうるということなのだ。
「やはり無理だったと言うことにした方がよいのでしょうか」
病に苦しんでいる人がいて、効果のある薬があって、仲介はお隣さんという状況に心苦しいものを感じはする。
しかし別に見知った人が苦しんでいるとかいう話ではないのだ。
心が痛むというほどのことではない。今まで通り医者が頑張れば良いのだ。
それよりも事件に巻き込まれる、犯罪に巻き込まれる、そういうことの方が恐ろしい気がする。わたしの手にはあまるのだ。
「そこが悩みどころでねえ。隣の娘の友人の、という話だったろう」
人がせっかく納得しようとしていたところへ、ご主人様は以外なことを言う。
「…よろしいのですか?」
「はっきり言ってしまおうかね。私としては隣に恩を売ることに関してはちょっと前向きなのだよ」
お隣に恩をということは、病に苦しんでいる人のことはあまり関係が無いということでもある。
お隣に恩。それで得られるものがご主人様にはあるのだろうか。
「実は隣の喫茶店にはツケがたまっている」
「え、」
言葉が続かない。
何を言っているのだ、この人は。
「後で払うということを何度も繰り返していてだね、最近はまったく払っていないね」
「え、お金、ありますよね。お店のほうにもいつも用意してありますし、金庫にも結構な額を置いてありますよね。ご主人様のお財布も、ご主人様の金庫も、確かお部屋にありますよね」
大問題だ。
お金はある。あるのに支払わなかったのか。
お隣の娘さんもうちに来たときに言ってくれたら良かったのに。言ってくれたらその場で払って、そのうえでご主人様を問い詰めることができたのに。
「私はね?喫茶店に行くときにはだね?紙幣を一枚もってだね?隣の貸本屋に立ち寄って面白そうなものを見繕ってから喫茶店に行っていてね?そのときにはたいていわずかしか残っていないのだよ」
なぜ私に言い訳をするのか。最初から財布のまま持って行けば良いではないか。
いったい何をしているのだ、この人は。
「ここで恩を売っておけば、もうしばらく大丈夫ではないかなと」
うんうんと頷く。
いったい何を言っているのだ、この人は。
やはりお隣さんはわたしに先に言ってくれたら良かったのだ。店まで集金に来てくれていたら良かったのだ。
そうしたら毎回わたしがきちんと払えていたのに。
ご主人様の意味不明の行動のいいわけをわたしが考えなくても良かったのに。
「…そのお代は私が後ほど支払いに行ってきます…。ご迷惑をおかけしているようですし、ここは先ほどのお薬、お隣に預けましょう。うちで作ったのではなく、よそから仕入れたものだと言って、どこから手に入れたのかは内緒のことだと伝えてもらいます」
「おお、さすが私の見込んだ店員は優秀だね。よろしく頼んだよ」
ご主人様が手をたたいて喜ぶ。
もうため息しか出てこない。
この程度の話の流れで渡せるような薬なのだ。それほど厳重に秘密にしなければならないようなものではないだろう。
ご主人様の了解も得られたことだし、それとなく秘密にしてもらえるようにすれば、もうそれでよいことにしよう。
なんだかいいように使われた気がする。
ツケが貯まってきているところで降ってわいた話。
これに飛びついて面倒なことを全部まとめてわたしに押しつけてきたのではないか、そういう気がどうしてもしてしまうのだ。
椅子に座ってにこにことこちらを見ているご主人様は、やっかいごとを片付けたという満足感があるように見えてしまう。
仕方がない。
ご主人様はこういう人だ。わかっていたことではないか。
雑事はわたしに押しつけて、自分は楽をしたいのだ。
押しつけてくるのは雑事なのだ。どれもたいしたことではないのだ。ただ手間がかかるだけなのだ。
「薬はね、ふたを開けたらすぐに飲むように伝えるのだよ。一度に全部、一息にね」
承りました。確かに伝えます。
小瓶を手に取り、書斎をあとにする。
その背中をご主人様の言葉が押す。
「家のことを任せられて、店のことを任せられて、優しくて可愛くて気配りができて、時折小言を言ってくれて、身の回りの世話をしてくれる同居人がほしいと常々思っていたけれど、いやー、私の見る目は確かだったね」
何を言っているのだ、この人は。
結局、その薬はわたしの手から依頼主へと渡した。
症状を詳しく聞いたわけでもなく、診察に基づいて処方された薬でもなく、一つしかないことを説明し、価格を紙に書いて封をしてお隣に渡した。
ご友人に渡してもらうためだ。
それでも欲しいのであれば連絡が欲しいと言付けたところすぐに返事があり、使用人の方が代金を持って隣の喫茶店まで受け取りに来たのだ。
ご主人様は「これは娘が親を説得したかね」と言っていたが、本当にそうかもしれない。
出所不明、効能不明の怪しい薬なのだ。
それをわざわざ隣の喫茶店を利用して、間接的な取り引きを演出までして、代金を用意して受け取りに来るのだ。
娘さんが先走ったけれど、両親も乗り気になるくらいに心配していたのだろう。
用法用量を守ること、薬はこの一つしか用意できないこと、たとえ今回は薬の効果があったとしても、今後のことを考えれば継続して医者の診察を受けていくべきだということ、そういう注意をすべて伝えた。
長く病んでいたのだから、無理は禁物だ。
一通りの説明と交換に、わたしが代金を受け取った。
それでこの出来事はすべておしまいだ。わたしたちにできることなどもうない。
効果があったかどうかは知らないし、知ろうとも思わない。
うちとは関係の無い、どこかの家での出来事だ。
偶然手に入った薬で良いことがあったかもしれないが、それはもう、うちとは関係の無いことなのだ。
この出来事が終わって、変化があったことは一つだけ。
ご主人様は本業を隠すようなことはしなくなった。
本業宛の手紙や依頼の書類もすべてわたしが処理するようになったし、魔術を加えた調剤をわたしに手伝うように言ってくる。
最大の変化はやはりわたしに任される雑事が増えたということだった。
良いのだ。
わたしは雑事を引き受けるためにここにいるのだ。
薬を混ぜたり、荷物を包んだり、たいした雑事ではないのだ。
いいように使われているなあという感想ももちろんあるのだが、別にそれは良いのだ。
このちょっとした出来事を通じて、わたしとご主人様の関係は今までよりも少し深くなったと感じられることが、わたしにとっての大事な変化だったのだ。
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