07:秘密に触れる
「もうわかっていると思うけれど、これからやることは薬屋としての仕事ではないよ」
ご主人様が手を組み直す。
口元に笑いが浮かび、少し表情が柔らかくなる。
「おまえが来てから、もう一年になるか。ここでの生活には慣れたかい」
「……はい」
話が急に飛ぶ。
返事がどうしても遅れる。
「私が見ていて、最近ではおまえがこの家に馴染んできたように見えていてね。そろそろ良い頃合いではないかと思っていたのだよ。今日は良い機会ではないのかとね、そう思ったのだよ」
「はい」
今度は返事も早い。
そうか、わたしはこの家に馴染んできていたのか。ご主人様にはそう見えているのか。
ご主人様がわたしを見る。わたしはその目を見返す。
「おまえはこれから見るものを誰にも言ってはならない。約束できるかい。その約束は絶対のものになるよ。破れば命は無い、そういう類いの約束になるよ」
「大丈夫です。誰にも言いません。約束は守ります」
ご主人様が約束するようにと言うのだ。わたしに否やは無い。ご主人様に求められてここにいるのだ。今更だ。
用意されていた誓約書に名前を書く。ここに初めてきたときにも似たようなものに書かされた気がするけれど、今回も内容はここで知り得た秘密は絶対に外へ漏らしませんというものだった。これくらいのものいくらでも書きますとも。
「薬屋は私の本業ではない。薬品を扱っているから、そのついでだ。私の本業は、これからおまえに見せるものだよ」
なんと薬屋は本業ではなかったのか。
ではわたしは副業の方を任されていたと、そういうことになるのか。副業だったから任されていたと、そう考えておけば良いのだろうか。
それならば少しだけ納得も行くようなそうでもないような。
本業の方はいつもわたしが店番をしている間に、この書斎で行っているのだそうだ。
なるほど、この説明は理解しやすい。
この書斎で作り、梱包して、配達に出す。
その工程がわたしの目に触れないようにされていたのだという。
配達の荷物だけが中身がよくわかっていなかったのは、こういう理由もあったのだ。
ご主人様は立ち上がると、脇のテーブルを中央へ移す。
乳鉢、乳棒、材料の入ったかご。
これだけならばいつもの調剤と変わらない。
「ああ、そうだ。手伝ってくれると言っていたね。これを全部すりつぶしておくれ」
単純作業をわたしに押しつける。
まあ手伝うとは言ったので仕方がない。
かごから材料を取り出しては乳鉢へ入れ、丁寧にすりつぶしていく。
「ずいぶん手慣れたよねえ」
にこにこしながら、わたしの手元をのぞき込む。
それはそうだろう。この手の単純作業はだいたいいつもわたしの仕事だ。最初は薬の関係には手を出さないように言われていたのに、いつの間にか気がついたらわたしの仕事。いつからだったろう。わたしが手伝いで、ご主人様が調剤だったはずでは。
「できあがったね。では本番にいくよ」
疑問が解消するよりも先に作業は終わる。
わたしが一歩下がると、それと入れ替わるようにしてご主人様はテーブルの前につき、一枚の紙をつまみ上げて目の前に置いた。
飲み薬一回分がちょうど収まる程度の小さな紙だった。
その上を手のひらでなでるように滑らせると、そこに模様が浮かびあがった。
目を瞬く。
何も書かれていない、真っ白な紙だったはずだ。そこに模様が浮かび上がっている。
二重の円、円と円の間に見たことも無い文字のような複雑な模様、小さな方の円の内側には丸や三角のような形がいくつも重なって描かれているように見える。
見たことも無い形。
いや、これは、物語の中でなら見たことがある。冒険ものだったか、何だったか、挿絵の中で似たようなものを見たことならある。
魔法陣。これはあれに似ている。
「私はおまえの話から、のどの気道を広げて呼吸を楽にする、炎症を抑えて気道の状態を改善し咳き込まないようにするということを想定した」
症状は想像された通りのもので、その解決法も自然なものだった。
ここまでは薬を用意するときと変わりはない。
すりつぶした材料の入った乳鉢を手に持つ。
「医者も同じようなことを考えて薬を処方しただろう。材料をすりつぶしたのだから当然これは粉薬だ。飲み込んで体内に取り込み、内臓から吸収され、成分が体内を巡って効果を発揮する」
薬の調合だ、何も変わらない。
しかし目の前の魔法陣が異彩を放つ。
乳鉢を傾け、中身をその魔方陣の中央へ置いていく。
「薬が効かない、直らないという。効果がのどへ届いていない、あるいは届いても効果が発揮しないのだ。大量に飲んだり効果を強めたり、考えられることはある。だが薬は用法用量を守らなければならないものだ。守らなければ腹を壊したり、副作用で違う症状が出るかもしれん。のどを壊す可能性だってあるだろう。ではどうする」
紙を折りたたみ、口をきつくしぼって薬を閉じ込める。
小さな、一回分の粉薬。違うのは包むものが魔法陣だということ。
ご主人様はそれを小瓶の水の中へ静かに沈めた。
「私の学んでいた学校では、この技術を隠秘学と呼んでいた。魔術、呪術、妖術、占い、祈祷、神託。細かい分類は何でもいい。現代科学で解明されていない未知の現象を研究し、そこに理論や技術を確立しようというものだ」
少し大きめの紙を広げ、その上を手のひらでなでる。浮かび上がる魔法陣は先ほどの物とは少し違っているように見えた。
「私の専門は魔法と魔術だ。魔法は法則であり、魔術は術式だ。すべての現象を理論化したものが法則だ。法則を誰もが使えるように物体に固定化するものが術式だ。私はそのどちらをも扱う、いわゆる魔法使いというものだ」
小瓶を手に取り軽く振る。
「先の小さな魔法陣は薬の成分を水へ溶かすためのものだ。魔法陣と薬が混ざり合い、水の中へ流れ出す。最終的には成分が抜けた、すかすかの材料と魔法陣の消えた紙が残るので、これは捨てて良い」
もう溶かし終えたのだろうか、小瓶の中から紙包みを取り出し、小瓶はそのまま大きめの魔法陣の中央に置いた。
水を吸ってふやけた紙を広げると、確かに魔法陣は消えている。すりつぶした材料も色が抜けて少し灰色っぽい粉の塊のようになっていた。
「そしてこの魔法陣は薬の薬液を直接のどへ浸透させるためのものだ。飲み込むと薬液が気化を始め、のどの中で直接吸収されていく。薬剤の成分が劣化することなく、直接患部へ効いていく。瓶から出て口中で体温に触れることで、一気に気化するのだよ。すべての薬剤の効果が強引にのどへ与えられるのだ、これは効くよ」
紙の縁の部分を、指でトンと叩く。
魔法陣は形はそのままに青く光ると、すっと上昇を始め、瓶の口の部分まで上がると一気にすぼまって消えた。
ご主人様は瓶を手に取り素早くふたを閉めると、ニヤリとしか形容できないような笑顔を浮かべる。
そこにあったのは確かに魔法としかいいようのない現象だった。
これがご主人様の本業だという。
魔法、魔術。そういうものを駆使すること。
こんなものが現実にあるなんて今まで知らなかった。物語の中にしか存在しないものだと思っていた。
孤児院でも、この町に来てからも、一度も目にしたことはないし、存在をうかがわせるようなものもどこにも無かった。
「初めて見ました。本当にあるんですね」
「それはまあそうだろうね。私が学んでいたとき、隠秘学は自然科学のすでに廃れた一分野で、学ぶ人間は少なかったし、使おうという人間はもっと少なかった。当時ですら失われつつあるものだったのだよ」
テーブルに置いた瓶の蓋に指をかけ、くりくりと動かす。
瓶の中の水は魔法陣の光が映り込んだように、青く透き通っていた。
「この町どころか国全体、もっと言えば周辺の国々を見渡したとしても、わずかしかいない技術者だよ。そのくせ需要はまだまだあってね、仕事が途絶える気配がない。しかも最近はやりの科学よりも簡単に悪用できるときた。本来魔法使いと魔術師はまったく違うものなのだが今はいい。呼び方としてはどちらかの方がまだ正しいのだが、悪用しやすいせいで今や私は魔女扱いさ。あまり広まってはほしくはない話だよね」
「それで誰にも言ってはいけない。約束だって絶対だってお話になったのですか」
「そうだよ。それに小説でもよくあるじゃないか。秘密の話をして約束しろ誓えってさ。あれをやってみたのだけれど、どうだね」
「とても緊張しました…自分の身に降りかかると、楽しくないですね」
「ああ、でも誓約書の話は本当だよ。ここで知り得た秘密を私の意に沿わずに漏らした場合はさっき書いてもらった誓約書ごと、おまえ自身も炎上するようになっている」
なんですと。
「言ったろう、私は魔女扱いされているって。魔女ならばそれらしい術も使わなければね。まあ気になるなら、そこの机の引き出しに入っているから見つけておくといい。ストーブなり窯なりで燃やしてしまえば消えて無くなる程度の拘束力だからね」
そんなものを書かされていたのか。
もっとも破棄することも可能な誓約書ならば、そういうものだと承知さえしておけばそれでいい。
わたしは別に秘密を暴露して喜ぶような趣味はないし、ご主人様とこのままここで今までどうりに過ごしていくのに、その内容がどうこうは関係のない話なのだから。
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