*
「どういう事? シェフがいなくなっちゃって、この先どうするの?」
いつもなら二人きりになった途端に抱き合う所から始まるけど、この日ばかりは状況が違った。私は迎えに来た彼のステーションワゴンに乗り込むなり、聞いた。
「とりあえず悟さんに頑張って貰うしかない。あとは、一応後任も見つかってるらしい」
「後任って?」
「次のシェフだよ。よそのホテルで料理長をしていたっていう人が見つかったらしい。数字に強い、しっかりした人だという話だよ」
「じゃあ、後釜が見つかったから追い出したって事?」
私は叫んだ。社長のやり口に、悔しさで涙が溢れた。
高杉シェフは確かに店の採算なんて度外視な困った人だけど、腕は間違いなく一流の人だった。スケベだったり、口が汚かったり、シェフのせいで辞めたアルバイトも沢山いたけれど、シェフの料理にほれ込んで店に通っていたお客も沢山いたんだ。それなのに。
あんな風に、追い出されるようにして店を辞める事になるなんて。酷すぎる。
「それもそうだけど、高杉シェフだって悪いんだ。あのままじゃあ、店は本当に潰すしか無かった。どうしようもなかったんだよ」
「でも、高杉シェフだって最初の約束通りやったって言ってたでしょ? じゃあ、最初の約束ってなんだったの?」
「確かに、一番最初の段階ですり合わせが足りなかったんだとは思うけど。社長もとにかくイル・ソーレと川野辺さんの看板を背負った料理人が欲しくて、口八丁手八丁で誘ったところもあっただろうし」
「調子良い事言って誘ったくせに、都合悪くなったら追い出すの? あんまりよ! 酷すぎる!」
彼にぶつけてもしょうがないとはわかっていたけど、私はあの小太りの若社長に対する悪辣を言い続けた。
この日は結局別れるまで、抱き合いもしなければ、交わりもしなかった。
別れ際に気まずさを紛らわせるように、簡単に口づけを交わしただけだった。
彼との関係が始まって以来、初めてのことだった。
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