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親会社に地元の中規模ゼネコンを持つ『フィオーレ』は、センスと贅を尽くして建てたオシャレでモダンな建物と、東京の有名店から引き抜いてきた一流シェフが作る美味しい料理があっという間に評判を呼び、オープン以来連日引きも切らない人気店となった。
高杉シェフをはじめ、キッチンは腕が良い分厳しいけれど、確実にお客様に喜んでもらえているという実感はあった。でも、同じアルバイトの中には辞めていってしまう子も少なくなかった。調理場では聞き慣れないイタリア語が飛び交うし、料理や皿の持ち方一つ、運び方一つでもプロ並のスキルを要求される。時には罵声を浴びる事だってある。実際、高杉シェフは「金をもらっている以上はプロなんだから」とよく誰彼構わず叱咤していた。だからアルバイトとしては求められるものが多すぎて、ついていけない人間も多かった。
特に初めて迎えた夏休みはもう大変で、お客は増える一方だというのに、お盆を過ぎる頃には一気にアルバイトが減ってしまった。彼から誰か紹介してくれと再三言われていた私が連れてきたのが、吉沢陽君だった。
陽君は同じ大学、同じ建築学科に通う同級生で、正直なところ、入学してからの一年半はほとんど接点もなかった。彼はとにかく真面目で、毎日朝から晩まで大学で過ごしていた。と言ってもサークルやクラブ活動といったものには縁がないようで、ひたすらびっちりと授業をこなしていただけ。だから過去二回あった学園祭等でも特に目立った様子も見られず、本当にただただ真面目に勉強の為に大学に通っている勤勉学生――というのが、私の勝手なイメージだった。
初めて彼と関わったのは二年の後期。毎週のようにコンクリート片や金属片を破断して、材料ごとの特性を分析するという面倒な建築材料実験の授業で、たまたま同じグループになった。材料実験を担当する教授は頑固で意地悪なおじいちゃんで、毎週のように繰り返し何度も何度もレポートの再提出をさせる事で有名だった、。私としては真面目な陽君におんぶに抱っこしていればなんとかなるだろうと楽観視していたのだけど、何度目かの再提出を命じられた後、
「あのジジイ、頭おかしいんじゃねえの? 常識無さ過ぎる!」
陽君は突然人が変わったかのように怒りを露わにしたのだ。
「ジジイに直接文句を言う」から「学生課に抗議する」までトーンダウンさせ、とにかく落ち着かせようと無理やり居酒屋に連れ出した後は、たったのビール一杯で顔を真っ赤にして酔い始め、そこからはひたすらに教授の悪口や学校への不満をまくしたてたのだった。
以来陽君のイメージは百八十度変わってしまった。
それからというもの、学内で会えば挨拶はもちろん、軽く話したりする間柄になった。
毎日勤勉に大学に通う陽君は当時日雇い派遣のようなバイトに登録していたものの、いまいち稼げず困っていたようだった。二年も後半に入るとだいぶ授業にも余裕が出てきたから、そろそろ定期的に入れる固定のアルバイトを探しているという話を聞いたのも、その頃だった。
私は一も二もなく陽君に『フィオーレ』を勧め、前々から「友達を紹介してくれないか」と催促していた彼に、陽君の事を話した。
彼の希望は「女の子のアルバイト」だったので陽君が男だと知るとあまり気乗りしなさそうだったものの、実際に面接して人柄に触れた結果、採用する事になった。
「彼、人畜無害であんまり女の子にも興味なさそうだし、風紀が乱れるって事もないと思うけど」
「なら良かった。乃愛が若い男と仲良く話しているっていうだけで、嫉妬しちゃうよ」
私の言葉に、自分の事を棚に上げて彼は笑った。
結果的には、陽君は決して「女の子に興味ない」なんて事は無かったんだけど。
接客業は初めてという陽君は最初の内こそ緊張で大変だったけど、すぐにメキメキと仕事を覚えて行った。私と違って大学の単位に余裕が出てきた陽君は、「早く仕事を覚えたいんで平日も入れて下さい」と彼に打診し、暇さえあれば平日もバイトに通うようになったから尚更だ。
平日は入っても夜ぐらいしかシフトインしない私は、ある日たまたま珍しく日中のバイトに入った時に、陽君が同じアルバイトの鈴木有希さんに向かって、真っ赤な顔をして一生懸命話しかけているのを見て、陽君の狙いが決して「早く仕事を覚える」事だけではないのに気付いてしまった。
二年近く同じ大学に通っているというのに、そんな陽君を見るのは初めてだった。
陽君は本当に真面目で、そして純粋な男の子だった。
大学で女の子に興味がないように見えたのはたまたまで、たまたま陽君の好みに合致する女の子がいなかっただけなのだ。
その意味では、私に良く似ていた。
私だって入学当時は同じ新入生だったり、上級生の男の子達に誘われたりしたけれど、「受験も終わってせっかく大学に入ったんだから思いっきり遊んでやろうぜ」と言わんばかりの周囲の浮かれ具合にどこか馴染めず、敬遠している内にいつの間にか誘われる事も無くなってしまった。入学して一年もするとくっついたり離れたりがそこかしこで繰り返されていたけれど、私に関しては一度としてそういう関係になる事は無かった。
それなのに、『フィオーレ』に入って彼と出会ってからは、瞬く間に今のような状態まで至ってしまった。出会いというのは、やっぱりタイミングなんだと思う。
そんな訳で、陽君に対する親近感は私の中で膨らむ一方だ。あれからだいぶ経つけど、ようやく有希さんと一緒に出掛けられるようになったのか。琴ちゃんもいたけど。
私達に比べれば、だいぶ遅い進み具合だ。陽君は仕事を覚えるのは早かった癖に、こういうところはとことん要領が悪いのも面白い。見ていて歯がゆくなるぐらい。
今では陽君は店にとって無くてはならない存在だ。特に琴ちゃんや有希さんが出られない土日は、陽君にいて貰わなくてはならない。何と言ってもちょうどアルバイトが辞めてしまって、今や私と陽君しか土日に出れるアルバイトはいないのだから。
かと思いきや、
「今度さ、新しいアルバイトを入れるよ」
彼は思い出したかのように言った。
「専門学校の女の子が三人。週末だけだけど、乃愛や陽の負担を減らしてやらないとね」
寝耳に水の話だった。
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