1-2 叔母の家にて
私は自転車で、山河市内の叔母の家へと向かった。山河市は人口二十万人の小都市で、山形県の郡部に位置する。バスも通っているのだが、市内を走る循環バスが中心となる路線だった。
山河市の中心部から自転車で二十分走ると、やや田舎の地域に入る。海は見えないのだが、潮の匂いが感じられる場所に、叔母の家はあった。
「こんにちは、圭子さんいる?」
「いらっしゃい、あんずちゃん。中へどうぞ」
玄関から呼んだ声は、すぐ近くのキッチンから応答があった。
私は「あんずちゃん」と呼ばれていた。一週間に一度は、必ず叔母の家に来ていた。春休みの間は、三日に一度は訪ねている。
「おじゃまします」
「どうぞ」
「ちょっと、圭子さん聞いて下さい。途中の三沢公園では、クロッカスが咲いておりました。桜ももうすぐだと思われます」
「報告、ありがとうございます、あんずちゃん。桜が咲いたら、三沢公園でお花見をしましょう。おにぎりと稲荷寿司を持って。お母さんもよんで、三人で桜を愛でましょう」
叔母は悪戯っぽく笑うと、またいつもの表情に戻った。私はその返答を聞いて、にこりと笑みをこぼした。
叔母がどんな仕事に就いているのか、私は正確に把握していなかった。ただ「書き物の仕事をしているのよ」と時々洩らすので、作家か翻訳の仕事をしているのだと思われた。なぜなら、叔母の本棚には洋書の原書本も数多く並んでいたからだ。いつも私が遊びに行くと――大体一時間位で帰ることが多いのだが――、書斎から出てきては、本棚の前でとりとめのない話に付き合ってくれるのである。
今日話したのは、「何故、サンマの背中は青いのか」という、私の素朴な疑問だった。叔母によれば、青や水色の食べ物は少ないという。それは、毒を連想させるからで、青い食べ物には毒が含まれていることもあるのだという。
「水色は、毒だけじゃなく、逆に『幸福』を連想させることも有るのよ」
「幸福ですか?」私が驚いて尋ね返すと、叔母は静かに頷いた。
「ヨーロッパでは、水色は幸福の色なんだって。中国や日本では、ピンクだけどね」
「全世界共通かと思った」
叔母によれば、色は文化圏ごとに、何を連想させるのかが決まっているのだと云う。例えば黄色は、ヨーロッパでは裏切りの色だが、中国では金運の色なのだとか。
叔母は海外の文化にも通じていて、異国の風習やしきたりにも詳しかった。異文化コミュニケーションというらしいのだが、叔母は文化学や文化人類学という学問も修めているらしかった。叔母によると、日本は均質的な文化で、異文化と常に接触している欧米文化とかなり違うのだという。それは「自分と他人は基本的に同じである」という立場の日本文化と、「自分と他人とはまるで違い、それを大前提とする」欧米文化には大きな隔たりがあるそうだ。
「圭子さんは、何でも知っているのね」
そう私が褒めると、少し知っているだけなのよ、と謙遜する姿に私は尊敬の念を覚えていた。
「今日は、この本を借りたいのですが、いいでしょうか?」
私が選んだのは、坂口安吾先生の『堕落論』。日本文化について書かれた随想が面白かったのだ。
「勿論いいわよ。読んだら感想を聞かせてね」
「はい。では、お借りします」
私はその本を、モスグリーンのナップザックに入れると、ぺこりと頭を下げた。
「早く桜が咲くといいね。そうしたらお花見をしましょう」
叔母は最後にそう言うと、私を玄関で見送った。別れ際にいつも叔母は手を振る。
「またいらっしゃいね、あんずちゃん」
「本を読んだら、また来ます。それでは」
私はそう言って、叔母の家を後にした。
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