水面の半月は爪痕を残す
とある日の放課後に実子は突然貴子に話しかける。
「貴子さん、お願いがあるんだが」
長い髪とたおやかな容姿からは想像し得ないざっくばらんな話し方である。
その様に話し掛けられた貴子は見つめ返す形で身長差により実子を見下ろした。
「あら……どの様なご用件かしら?」
そして貴子は実子に対してその様に返答した。
スラリと高身長な麗人でボーイッシュな見た目に反し女性的な話し方で返す。
彼女の普段の物言いからして依頼内容が余程変なことではない限り引き受けるつもりだろう。
「政理家の御先祖のとある当主の日記が読みたくて探して欲しい。半月伝説について書かれている筈だ。実は伯父様に許可得て書庫の古文書を探してたんだが私の目だと長時間は困難でな……」
実子は書物探しについて語る。
外孫でもある実子にとっても血の繋がった先祖の日記を探しているようだ。
地域で山の社の次に古く、さらに地域で一番権力もある家でもある政理家の書庫の蔵書数は膨大であり、山の社の書庫の蔵書数と見劣りしないものであろう。
書物が保管されている政理家の書庫は明かりをつけても少し暗めであり実子は目が生まれつき悪いので相当負担なのだろう。
その為書庫がある屋敷に住む直系の孫である従姉妹にも頼んだようだ。
「……手伝いの形でしたら
「済まない、ありがとう。
「わかりましたわ」
実子は妹の紫里、更に分家の娘であり貴子の付き人的立ち位置の
そして貴子は実子からの依頼を引き受けたのであった――――
「貴子お姉ちゃんの所に来るの久しぶりだなー」
「ふふふ、今空秀がお茶の用意の最中でしてよ」
「やったー」
放課後に久々に一緒に来た紫里の楽しそうな言葉に貴子は笑顔でそう返した。
あれから数日後、貴子は実子達を屋敷に呼び、実子の御目付で色々と忙しい同い年の大男の龍野や探すのを依頼していた面々紫里もやってきた。
空秀は屋敷の住み込みなので普通に屋敷に戻り今頃お茶の準備をしているだろう。
そして貴子は書庫にて一つの和綴じの書物を取り出し実子達に見せた。
「実子さんが探してらしたのはこちらの日記かと思うのですけど、如何して?」
そう言った後貴子は実子に白い手袋を渡して着けさせた後日記である和綴じの書物を渡したのだった。
実子はぱらぱらと日記を開き達筆な筆書きの文面を流し見しようとして目を瞠る。
実子の表情に気付いたのは正面に居る貴子だけだった。
そして閉じてから口を開いた。
「えーと……その様だね。確かにこれの様だ……ありがとう、貴子さん」
「……それは良かったですわ」
「よかったー」
貴子は実子の動揺を隠しきれずに震える言葉に返答した。
そして紫里は古文書を見る作業が正直苦手だったので解放されることに喜んでいた。
「えぇ、思った以上に早いな。そしてよく読めたね、貴子さん書道もそこまで熱心に習ってはいなかったと思ったが……」
「最初は勿論とてもでは無いですけど文字が読めませんでしたわ。調べながら読んでそのうちなんとなくで誰が書いたのかを内容含めて解読しつつどうにか御目当ての日記を探しましてよ」
「本当に一人で成し遂げてしまうなんて……本当に私の作業の手伝いだけでよかったつもりなんだが……さて」
手伝いの形ならと言いつつも貴子はほぼ自分一人で全てやってのけていた。
古い書物の中身を確認するためには達筆な書面を解読しなければならず、中学生の紫里も社の蔵書などで習ってはいたが基本的に苦手な作業としている。
その為実子はとても驚いていた。
明るい場所でなら勿論実子も長い時間作業が可能である。
社に於いてはその手の作業については他には実子母や長兄や長姉が可能なくらいである。
社の現当主は目が生まれつき悪いので長い時間の解読作業が困難でありできる者は限られていた。
別にそれは普通のことであるし顔色一つ変えずに片手間に行える実子達がおかしいとも言えるかもしれない。
書道を多少習った程度の貴子には大変な作業である筈だが辞書や参考書を広げて調べながら行い、途中からは書面の分類で取捨選択をし始めてどうにか成し遂げたようだ。
「じゃあ私から差し出せるのは御守と御札しか無いんだ」
コレで済まないが、実子はそう言うと龍野が御札と御守りを鞄から取り出し貴子に渡した。
御札から墨の匂いがする、小さな布袋に入った護符も恐らく墨と和紙と木の匂いをさせているだろう。
実子が貴子の為に作った作成にとても手間と技術が必要な特別な御札と御守りである。
「いえ、そんな、その御札はとても有難いですわ。社交とかで他所に顔を出したりする度にいつの間にか燃えたり折れてたりしてギョッとしますの」
「えーこわーい」
龍野から御札を貴子は喜んで受け取ってそう言った。
紫里はその発言にギョッとした。
見た目は普通のありふれた御札や御守りにしか見えないが、霊験あらたかなソレは実子や紫里の長兄も経験不足でまだ作ることが出来無い物である。
霊峰由来のこれ程の物は今では社の当主と実子にしか作ることが出来ない代物で入手が限られるのである。
その様なモノが身代わりになって焼けたように黒ずんだりするのは相当不味い事である。
「それは難儀だな……まぁ貴子さんも別にその手の呪いに弱い訳では無いし、青兄が居ればある程度除ける事は出来るが……青兄は大学行ってて付きっきりで居られないしな……山の方に行くのは大変だし街の社に相談してみてくれ」
「ではその様に致しますわ」
実子も険しい顔になり貴子に対して助言をする。
ちなみに青兄とは実子と紫里の兄である次兄で今は医大生の青嵐の事であり、貴子の許嫁でもある存在である。
貴子はその助言を受け止める言葉を発した。
「じゃあ今度は貴子お姉ちゃん、おやつにしましょー」
「えぇ、空秀の準備が出来たら食べましょうね。あ、実子さんそちらの書物については実子さんや社の当主には貸出出来ますので此方に入れて持ち帰って下さいまし」
紫里がおやつの催促を始め貴子はソレを宥めつつ神妙な顔で先祖の日記を持ち固まる実子に予め用意していた密封が出来る袋と色のついた袋を渡した。
すると金縛りが解けたように実子が動き口を開いた。
「了解した」
実子はそう言って密封が出来る袋に書物を入れてソレを色のついた袋に入れてから何も言わずに龍野に渡す。
龍野は無言で実子から渡された物を鞄にしまった。
「待たせたね、おやつに向かおうか」
「やったー」
「では参りましょう」
そして全員書庫から出て貴子の自室に向かったのだった。
そしてその日の夜、実子は寝衣姿で文机の上に書物を広げ目を通していた。
部屋が照明を最低限にしているせいで手元以外は暗く顔には影が濃く差している。
「あの子達には悪いことをしたな」
実子は傍らに寝そべる存在を起こさないように小さく呟いた。
その言葉は意識遠く今や遥けき者に対するモノであった。
実子の深緑の瞳が輝きヒトから外れた恐ろしい美貌を彩る。
それは薄闇の中に常人には拒絶反応が出るような悍ましい濃い闇の存在を錯覚する空間を作り上げていた。
嘗て存在した新月でも満月でもない存在は水面の闇に消えてしまったのだ。
新月と満月は爪をボロボロにして嘆いたという。
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