幻影図書館

宵宮祀花

噂の図書館


 ――――その図書館では、死者に会える。


 赤茶色の煉瓦で出来た壁に、深い緑の屋根。チョコレート色をした木製の看板には『幻影図書館』と流暢な筆致で書かれている。屋根のひさし部分にも美しい明朝体で同様の文字が書かれているが、右から左へ読むレトロな仕様となっていた。

 外観の印象だけで言うなら、其処は図書館というよりは喫茶店の風情である。特に木枠の窓から漏れる橙の灯りやこぢんまりとした店構えなどは、個人経営の穏やかな純喫茶を思わせる。

 それらを暫く眺めてから、図書館を訪ねてきた人物は、怖々とドアノブを捻った。ゆっくりと扉を押し開ければカランとドアベルが軽やかに歌い、紙とインクの香りが鼻腔を擽る。更にそれを追うようにして、微かに遠く珈琲の香りもした。


「いらっしゃいませ」


 喫茶店のような入口から広がる光景は、見渡す限りの本、本、本の群。

 橙色の照明が焦げ茶の書棚を淡く照らし出し、中央をヴァージンロードの如く縦断する広い通路には、読書スペースとして長い机と座り心地の良さそうな椅子が視界の果てまで並んでいる。

 机の上にも等間隔にレトロな卓上ランプが備え付けられており、一度表紙を開けば時間を忘れて没頭してしまいそうな雰囲気を感じる。

 異国か、或いはファンタジーの世界に飛び込んだかのような現実味のない光景に、客人である少女は暫しぽかんと口を開けて立ち尽くしてしまった。


「凄い……本当にあったんだ……」


 心の声がそのまま溜息に乗って出てきたかのような言葉が漏れる。

 実際に目の当たりにしてもまだ信じられない様子の少女に、何処からか若い男性の「お客様」という声がかかった。


「えっ!? あっ……ご、ごめんなさい、ぼうっとして……ええと……」


 ビクリと肩を跳ねさせ、辺りを見回して声の主を探す。が、入口付近からでは林立する書棚しか見えない。何となく声のしたほうへ向かってみると、扉から見て右側は開けた空間になっていた。

 右手側奥のカウンターらしきところに人影を認め、少女は走らず急いで近寄った。人影は背の高い青年で、少女が傍に来ると改めて一礼し、口を開いた。


「ようこそ、幻影図書館へ。僕は図書館に併設する此方の喫茶店でバリスタを務めております、白菊和しらぎくなごみと申します」

「は、初めまして。私、翔華女子の里見小町さとみこまちといいます」


 緊張しつつぺこりと頭を下げると、白菊と名乗った青年は穏やかな微笑を浮かべて「良いお名前ですね」と答えた。

 彼の青年は名前の如く白い髪と緋色の瞳を持ち、物語の執事が着るような、優美な燕尾服を纏っている。バリスタと聞いて改めて周りを見れば、図書館の入口から見て右手奥側はカフェスペースになっている。カウンターの他にもいくつかテーブル席が並んでいる。

 小町は興味深そうに辺りを眺めてから、一つ深呼吸をして怖ず怖ずと切り出した。


「あの、いきなりなんですけど……私、此処に死んだ人に会える本があるって聞いて来て……」


 もしも噂が間違っていたら。突然来て変なことを言う子供だと笑われてしまうかも知れない。

 思春期ってそういうところがあるよねと、外で言われた言葉が脳内に蘇る。

 しかし白菊は、事も無げに「はい」と答えた。


「お間違いありません」


 柔和な笑みと、きっぱりした物言い。

 驚いたのは小町のほうだった。


「お会いしたい方のお名前を頂ければ」


 スッと、白菊の視線が林立する書棚群へと逸れる。小町がつられて視線の先を目で追うと、白菊は「司書が探して参ります」と、そう付け足した。

 本当に、名前一つだけであの膨大な書棚から目当てのものを探し出して来られるのだろうかと、小町の顔が雄弁に語る。市販の本ならタイトルや著作者などがわかれば探せるだろうが、小町が探しているのは死者の本。もし同姓同名の人がいた場合は、どうやって区別するというのか。


「問題ありません。探している人と、探されている人。それが一致するものは、この世に一つだけですから」

「えっ」


 思わず振り返った小町に、嫋やかな微笑が注がれる。


「どうぞ、ご心配なく」

「そ……そうなんですね……」


 非日常の空気に圧倒されて頷く小町の前にティーカップが一つ、ことりと控えめな音を立てて置かれた。小さな薔薇の絵が描かれた、白い陶器製のカップだ。琥珀色の液体が八分ほどまで注がれていて、白い湯気が立っている。


「どうぞ。此方はサービスです。お待ち頂くあいだにでも」

「ありがとうございます」


 カップを手に取り、吹き冷ましつつ一口。

 紅茶の種類や良し悪しはわからないが、砂糖やミルクを入れなくても飲めるくらい苦くも渋くもない。


「……美味しいです」

「ありがとうございます」


 にこやかに答え、さて、と切り出した。


「お名前を、教えて頂けますか」

「はい……」


 小町はカップを置くと、一つ深呼吸をしてから。


舞園彩華まいぞのあやかです」


 沈痛な表情で名前を口にした。

 その理由は、すぐに小町自身が告白した。


「私と同じクラスで、高校生になって初めて出来た友達で……私が……っ、私が……見捨てた子です……」


 吐息と共に、涙が落ちる。

 白菊はなにも言わない。慰めも、同情も。代わりに、小町を責めることもしない。ただカウンター越しに変わらぬ優しい視線を送るばかり。


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