第130話 守り切るということ
地上に降りた冥府の王に向かって一気に距離を詰める。
相手から仕掛けてくる素振りは見えない。圧倒的強者の余裕か。なら、甘えさせてもらうとしよう!
足の裏に貼り付けた《矢印の罠》を発動させて、相手の目の前で側面に回り込むように方向転換をする。
赤い瞳が俺の動きを捉えきれないようで、こちらには向いていない。
ならばと、掌底を冥府の王の脇腹に叩き込む。手の平には《矢印の罠》を貼り付けて。
触れた瞬間、冥府の王の体は接触部を中心として、回転しながら闘技場の壁まで吹き飛んだ。
壁に激突した冥府の王はそれでも回転が止まらず、壁を削っていく。
五秒も経たずに動きは止まるが、壁には円形に削られた跡が残り、その前には横向きのまま宙に浮かぶ冥府の王がいた。
「何をした? 貴様ごときの攻撃など効かぬはずだが……。意に反して勝手に体が回り吹き飛ばされた。そうか、なるほど、《矢印の罠》か。それも、矢印をいじったのか」
質問しておきながら、自分で答えにたどり着いたようだ。
「ご名答。こんな感じでな」
ネタバレしたのならもったいぶる必要もない。俺は相手に見えるように手の平を晒す。
そこには《矢印の罠》が貼り付けてあったのだが、その矢印の形が今までと少し違った。渦を巻くように描かれているのだ。
「触れた物を強制的に回転させる、と。しかし、それでは吹き飛ばされたことに合点がいかぬな」
「よく見ればわかるだろ」
そう言って手の平を突きつけながら、冥府の王へと近づいていく。
相手によく見えるように至近距離まで近づくと、体勢を元に戻した冥府の王が手を覗き込む。
「そういうことか。この矢印、渦の中心に行くほど線が細くなっているのか」
レベルが上がったことで細かい調整が可能となり、色々と試してみた結果、面白いことができるようになった。
その一つが矢印を渦状に描くこと。
加えて、線の細さを変えることで移動パターンを変更することが可能となった。
加護は精神の力。思い描いたイメージが具現化する。それを如実に表したのが今だ。
「正解の褒美として追加でプレゼントだ」
興味深げに見つめている骸骨の顔面に、下からすくい上げるような蹴りを叩き込む。
――が、直前で右足が止まった。
俺と冥府の王の間に、薄い黒い壁が発生している。
「あえて喰らってみたが、二度喰らう必要はない」
全身に悪寒が走ると同時に、左足裏に貼り付けている《矢印の罠》の方向を変更して発動。後方へと緊急離脱した、が。
「ぐああああああっ!」
逃げることには辛うじて成功した。だけど、代償として右足首から先を持っていかれた。
さっきまで蹴りを伸ばしていた場所に、闇の壁に貼り付いたままの右足がある。
「要さん!」
慌てて駆け寄ってくる雪音。
叫びたくなるような痛みをギリギリで堪え、脂汗だらけの顔を彼女へと向ける。
「俺の、この足に《落とし穴》を付けてくれっ」
血を噴き出している足を差し出すと、一瞬だけ眉をひそめたが意味は通じたようで、流れ落ちる血がピタリと止まった。
切断面を覗き見ると、薄い肉の壁のような物で覆われている。よく見ると、中心部に一本の線が走っている。
「無茶苦茶だよ、要さん。人の体に《落とし穴》を仕掛けるなんて」
今、俺の右腕の切断面に《落とし穴》を配置して蓋を閉じることで出血を強引に止めた。
「《落とし穴》が消えるか発動したら血も吹き出るから、応急処置はしないと」
「任せてください。父から学んでいますので」
俺の怪我を心配して、後方で控えていたはずの立挙と負華が駆け寄ってきていた。
負華は顔面蒼白で言葉もないようだが、立挙は体に巻いていた友人の形見であるベルトを外すと、慣れた手つきで俺の右足に強く巻き付ける。
「これで罠を外しても出血は抑えられるはずです。でも、大怪我には変わりありません」
「だ、大丈夫なんですか! ねえ、ねえ、ねえ!」
心配してくれるのは嬉しいけど、激しく揺らすのはやめて欲しいな。
結構、血が失われたから辛いんだよ。
「お姉ちゃん! 落ち着いて!」
雪音にたしなめられて動きが止まる負華。
このまま彼女たちと会話を続けたいが、それを許してくれるほどヤツは甘くない。
「ふむ、ふむ。この力も馴染んできたようだ。ならば、次の実験に移行するとしよう。勇者共の加護の使い勝手を試すか」
覚えてはいたが、あえて考えなかった事実。
冥府の王は改良した宝玉を使い、相手の加護を奪うことが可能になった。現状でさえ絶望的な状況だというのに、更なる絶望で厚く上塗りしてくる。
「《再生》は傷一つない状態では意味を持たぬか。《浮遊》は魔法で補える。《ダメージ無効》もこの強靱な体では試す機会がない。ならば《腐食》を」
「ちょっと待て。その加護は俺が倒した鉄壁の勇者が所有していたものだろ」
俺が初めて人を殺した相手。
砦の防衛戦で倒した鉄壁の勇者。忘れるはずがない。
「ああ、そうだったな。バイザーから聞いたのではないか? 貴様らが倒した善神の加護は宝玉に吸収され、魔王城の宝珠へと保管されると。それを改良した宝玉で得ただけの話だ」
「つまり、かすめ取ったってことですか……」
立挙の呟きが聞こえたのか、骸骨の歯を鳴らし楽しげに語っていた冥府の王の動きが止まる。
そして、ゆっくりとその顔を立挙へと向けた。
「言葉を慎め、下郎が」
「下郎って何様のつも」
虚勢を張り言い返した立挙の姿が、何の前触れもなく黒い闇に呑まれる。
地面から瞬時に噴き出した闇の渦が彼女の体を包み霧散すると……闇も立挙も消えていた。
また……仲間が一人……。
立て続けに仲間が死んだことで、死に対する感覚が麻痺していくのがわかる。
恐怖も憤りも感じているのだが、頭は妙に冷静だ。
「貴様ら勘違いをしていないか? 戯れで生かしているだけなのだぞ?」
頭を抱えてため息をついているが骸骨の顔なので表情がなく、声から感情を読み取るしかない。
「また、私の目の前で殺したな!」
妙に冷静な俺とは真逆に激高する雪音。
これ以上過ちを繰り返さないように、彼女が飛び出す前にその肩を掴む。
「止めないで、要さん!」
「ダメだ! 無駄死にさせるわけにはいかない!」
雪音に負けないほどの大声を張り上げる。
その迫力に動きが止まった雪音だったが、その目には復讐の炎が消えずに燃えさかっていた。
「今は少しでも生き延びることを考えるんだ! 冥府の王の強さは尋常じゃない。勝つのは正直……無理だ」
相手がいる前で勝てないと断言するのには躊躇いがあったが、あえて口にする。
俺の発言を聞いた冥府の王は鷹揚に頷いていた。
「貴様だけは現実が見えているようだな。実験後はアンデッドとして配下に加えるのも悪くないか」
「高評価ありがとうよ。だがな、お断りだ」
きっぱりと断ってから片足で立ち上がり、正面から見据える。
右足がないので体がふらふらと左右に揺れてしまう。……失われた血も原因の一つか。
「抵抗する相手を力でねじ伏せるのも乙なものだ。よし、《腐食》を試してやるとしよう」
地面の上を滑るように前と進む冥府の王。
右足は失われた。なので、移動は左足の裏に貼ってある《矢印の罠》任せだ。細かい調整は慣れるしかない!
俺は右へ迂回しながら、相手へと距離を詰めていく。背後にいる彼女たちを巻き込みたくない。
目的の場所に到達したので罠を止め、膝を突いた状態で冥府の王を待ち受ける。
「《腐食》を貴様の加護で防ぐことができるか否か。その加護も我の物になるのだ、抵抗することを許可しよう」
生前も余裕の態度を見せつけていたが、死んでアンデッドになってもその性格は変わらないらしい。……いや、より悪化しているか。
目前でピタリと止まると、四本の骨の腕がゆっくりと俺へ伸びてくる。
避ける素振りすらみせずに、じっと相手を睨みつけながら俺は口元に笑みを浮かべた。
「諦めの笑みか。この状況で取り乱さぬ胆力には感心するが、抵抗もないのは正直肩透かしだ」
「期待に添えなくて悪かったな。だけど、抵抗しないなんて言ってないよ」
至近距離から後方へ移動すると、何か仕掛けてくると警戒したのか俺を注視している。
俺が左手を腰だめに構え、正拳突きを放てるように力を溜めた。
「ほうほう、何を企んでおる。さあ、仕掛けるなら正面から受け止めてやろう」
俺の力ではどうすることもできないと理解している。だからこそ、余裕の態度は崩れない。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
今の言葉は俺が発したものじゃない。
耳元で囁かれた冥府の王が頭だけ後方へと振り返ると、半透明の体で背中から抱きつく男がいた。
短く切りそろえられた髪型に頬が痩けた生真面目そうな顔。着ている白衣から伸びている手足は痩せ細っている。
その姿と顔に俺は見覚えが……ない。
だけど、俺はその男を知っている。彼が何者であるかを。
「誰だ、貴様は!」
「偉大なる冥府の王様は殺した相手のことなんて覚えてないですか。私……俺様だよ。バイザーだよ」
イタズラが成功した子供のような笑みを浮かべて、冥府の王の体に半透明の体を食い込ませる霊体。
バイザーが死んだ後、彼の体から白い何かが地面に潜り込む瞬間を目撃してから、何かやる気だと確信していた。
だから、バイザーの死体が背後にあるような位置に冥府の王を誘導するように動いたのだ。
「死に損ないが何のつもりだ!」
冥府の王の手がバイザーの頭を掴もうとするが素通りする。
霊体だから当然の結果だ。咄嗟に《腐食》で腐らそうとでもしたのだろう。
「死に損ないって……。とうの昔に死んでるぜ。それに、その言葉そっくりそのままお返しするぜ」
「調子に乗るなよ。霊体など魔力で吹き飛ばせばいいだけの話だ!」
物理攻撃が通用しなくても霊体に魔法は効く。それはバイザー本人が語っていたので間違いない。
死霊術でバイザーを再び洗脳すれば済む話なのだが、冥府の王は怒りで冷静さを失っている。
「止めた方がいいと思うぜ?」
だというのに、怯えることもなく平然と返すバイザー。
「無駄な強がりを。消え失せろ」
冥府の王の全身から黒い霧が噴き出すと、それに触れたバイザーの姿が徐々に薄れ、崩れていく。
「あーあ……止めろって……言ったのによ……じゃあな」
バイザーは俺に微笑みながら消えていった。
「はっ、結局なんの役にも……があっ⁉ な、なんだ! 体が熱いっ!」
突如、胸骨を押さえて悶え始める冥府の王。
骨の手の隙間から見える、あばら骨の奥に赤く輝く光が見える。
その光は何度も点滅を繰り返し、その度に冥府の王の体が跳ねるように震えていた。
「なんだこの、不快感は⁉ 体から何かが抜けていく⁉ どうなっているのだ、我の体に何が起こっているのだ!」
状況は把握できていないが、バイザーが何かを仕掛けてくれたのだろう。
俺たちの存在を無視して悶え苦しんでいる冥府の王から距離を取り、負華と雪音の元へと《矢印の罠》で移動する。
状況を把握できずに放心状態の二人の腕を掴んで、強く引っ張った。
「バイザーが作ってくれたチャンスだ! 逃げるぞ!」
「あ、あのあのあの」
同じ言葉を繰り返して戸惑ってはいるが負華の抵抗はない。
だが、雪音は違った。俺の手を振りほどくと、冥府の王へと向かっていく。
「絶好のチャンスだからこそ、ここで殺さないと!」
「ダメだ! 俺たちの攻撃が通じる相手じゃない。それに何が起こっているかわからないんだ。迂闊に手を出すのは危険すぎる!」
こんな口論をしている時間も惜しいが、このままでは雪音を見殺しにしてしまう。
「まずは逃げて力を蓄えて再戦を挑もう」
「その言葉本音じゃないよね。このまま逃げて逃げて、二度とこの化け物と関わらないようにしよう、って考えてるでしょ」
……図星を突かれた。
だが、反対されようが恨まれようが彼女たちだけは逃がす。
そう決意して動こうとした瞬間。
「話を聞いてください!」
鼓膜を揺るがす負華の怒鳴り声で動きが止まる。
俺と雪音が顔を向けると、腰に手を当てて涙目で怒る負華がいた。
「喧嘩している場合じゃないでしょ! まずは話を聞いて! 少し前にバイザーさんの幽霊さんが私に話しかけてきたんです!」
今まで見せたことのない迫力に、思わず姿勢を正す俺と雪音。
「俺様が時間と隙を作るって」
俺が戦闘中に接触を図っていたのか。
一瞬の迷いが命を落とす戦いを繰り広げていたから、全然気づいてなかった。
「ええと、ロウキ、じゃなくて冥府の王が体に埋め込んでいる宝玉に、予め相手の魔力に呼応して暴走するように細工をしていたそうです。アイツは俺様を出し抜いたつもりみたいだが、たった数十年生きた程度のガキが数千年生きた俺様を出し抜けるわけがないだろ、って言ってました」
負華は当時の顔真似をしているのか、見事なまでのドヤ顔だ。
バイザーは支配されながらも抵抗していたんだな。事前に罠を仕込み、命懸けでそれを発動させてくれた。
「ありがとう、バイザー」
最後の最後まで世話になりっぱなしだ。
「えと、それとこれを渡されました」
負華がジャージの中に手を突っ込んで取りだしたのは、俺たちが持つ野球ボールみたいな大きさの宝玉より、かなり小さいピンポン球サイズの宝玉だった。
「今、冥府の王は宝玉を暴走させられて、思考力を奪われ幻覚を見せられている状態で、数分は続くそうです。えっと、他にも……なんだったかな。あっ、そうそう。冥府の王の加護が宝玉を通じて抜け出ている状態らしいです」
その言葉を聞いて冥府の王へと視線を向ける。
全身から黒い霧が噴き出している状態で、四本の腕が宙を掻くように動き、頭蓋骨を何度も地面に叩き付け何かを喋っているようだ。
小声で距離があるので断片的にしか聞き取れないが「僕は……ない」「周りが……んだ」「お前が……すから」見えない誰かに向かって言い訳を並べているのか?
「で、一番大事なのがその奪った加護がこの宝玉へと移されているんですよ。ええと、確かこうやったら起動するのかな」
負華が新しい宝玉をなで回していると、白い光を放ち文字が浮き出てきた。
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「ここでゲーム要素を出す必要性はあるのか」
思わず亡きバイザーに対してツッコミを入れてしまう。
「えっと、直ぐに奪うのは無理らしくて、一つ奪うのには最短でも三十分はかかるそうです。あと奪った加護は私たちが使えるそうですよ」
最高だよ、バイザー。これはかなりの朗報だ。
「これで逃げる理由ができた。時間を稼げばヤツの加護が奪えてこちらのものになる。相手は弱体化されて俺たちは強化されるってことだ」
「でも、幻覚を見せられている今の内に倒すべきだろ!」
俺の提案に納得がいかない雪音が冥府の王を指差す。
精神を乱され幻覚を見ている今がチャンスなのも間違いない……ように思えるが。
「
「ええっと、大丈夫でしょうか?」
「わからないが、今俺たちの所持している最大火力が負華の一撃だ。あと、その大矢に雪音が《ダイナマイト》をくっつけて」
雪音が対戦相手から得た新たな加護。この二つが合わさることで生み出される威力。これが俺たちの最高火力だ。
「これが通じなければ、諦めて逃げてくれるな?」
俺は雪音の両肩を掴み、正面から見つめる。
雪音は目を逸らさずに小さく頷いた。
これが切っ掛けで冥府の王が正気を取り戻すかも知れない。危険な賭けだが、雪音を見捨てるという選択肢は存在しない。
《バリスタ》を召喚すると照準を冥府の王へ合わせる。
負華が最終確認のために、ちらっとこっちを見たので大きく頷いた。
発射された大矢が唸りを上げて冥府の王へと飛んでいく。見事命中して爆発したが、体をまとうように漂う黒い霧を晴らすこともなく、なんの変化も見当たらない。
「見ての通りだ。正気を失っているが、俺たちでは……あの闇を貫けない」
明の《雷龍砲》や喉輪の《光の杖》なら可能性はあったかもしれない。だけど、無いものねだりをしたところでどうしようもない。
「負華の話だと、冥府の王が混乱している時間にもタイムリミットがある。逃げるなら今のうちだ」
「わかった……従うよ」
渋々といった感じだが雪音も決断をしてくれた。
これで今後の行動は決まったな。
「ここから離れたら逃げて逃げて逃げまくって……くれ。時間を稼ぐのが最重要だからね」
二人の肩に手を置いて、俺は笑みを浮かべる。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 今の言い方……それじゃまるで、要さんはここに残るような」
いつもは鈍いのにたまに鋭さをみせるよな、負華は。
雪音も少し遅れて発言の違和感に気づいたようで、俺を睨みつけている。
「あいつが、いつ正気を取り戻すかわからないだろ。それに安全に逃げるためには誰かがここで足止めをするべきだ。最適な人選は――俺だよ」
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