第129話 残酷な物語
血の魔法陣から放たれる赤い光の奔流が渦となり天高く噴き上がる。
空から大粒の血の雨が降り注ぐ中、俺たちは一歩も動けないでいた。
逃げる、という思考すら頭になく、ただ呆然と事の成り行きを見守るしかできないでいる。
雨が止み、渦が消えると、真っ赤な地面の上に異形の化け物が一体浮かんでいた。
それは――四本の腕が生えた骸骨。俺よりも一回りは大きな骨格に足はなく、代わりに尻尾のような骨がゆらゆらと揺れている。
頭蓋骨の陥没している目元には闇が佇み、その奥には赤い瞳が炎のように揺らいでいた。
「これが、アンデッドの王か。なるほど、骨の体だというのに違和感はないようだ」
自分の体を見下ろし、四本の腕を振って状態を確認するロウキ……だったもの。
「この姿で勇者ロウキを名乗るわけにもいかぬか。そうだな、これからは冥府の王とでも名乗ることにしよう」
四本腕のうち、上の二本で腕組みをして悦に入っている。
冥府の王か。また大層な名前を付けたものだ、と嘲笑したかったが口を開いても出るのは呼吸音のみ。緊張と恐怖で口が乾いて声が出ない。
「さて、貴様らは我を出し抜いたと思っていたようだが、貴様らの作戦はすべて筒抜けだ。これを通じてな」
あばら骨の中に手を突っ込み引き抜く。
その手には俺たちが持っている物と同じデザインの宝玉があった。
バイザーが開発し改良した宝玉をロウキ……もとい、冥府の王が手に入れたことは聞いている。だが、通信機能はなくしたと言っていたはずだ。
「不可解だと言いたげだな。我は魔法を極めし者。こやつの作った物に性能を付け加えることなど容易い」
冥府の王の赤い瞳が左へと移動する。視線の先にいるのは体を貫かれたバイザーの死体。
「つまり、貴様らは我に利用されたのだよ。冥府の王として生まれ変わるために」
作戦が上手くいったことを素直に喜んでいたが、それはすべて掌の上で踊らされていたというのか。冥府の王の!
「いい表情をするではないか。我は骸骨になった故に感情が表に出せぬが……最高の気分であるぞ」
その嫌みったらしく嬉しそうな声を聞けば嫌でも伝わってくる。
冥府の王が高揚して歓喜に震え、この状況を楽しんでいるのが。
満足げに歯を打ち鳴らして笑うと、手にしていた宝玉を再びあばら骨の奥に押し込む。
「さてと、まずは力を試して、お」
冥府の王の言葉を遮るように《雷龍砲》の放つ光が、その姿を呑み込んだ。
光が消えた後には平然と浮び、傷一つない骨の体を晒している冥府の王。
「ふむ、耐久力、防御力共に以前とは比べ物にならぬな。実験の例としてこれをくれてやろう」
冥府の王が上の左腕を突き出すと、黒い渦が収束して円錐状の形になる。
そして、その渦が凄まじい速度で放たれた。
「避けろ! 明!」
明に届く直前、鉄製の《ブロック》が現れ、一瞬だけ黒い渦の動きが止まるが、無残にもあっさりと《ブロック》は砕け散り、その背後にいた明に――命中した。
ちぎれた上半身と下半身がきりもみしながら別の方向へ飛でいく。地面で何度も跳ねながら転がり、数秒後には完全に動きが止まる。
死んだ――。
こんなにもあっさりと、明が……死んだ。
「なんてことを! 許さん!」
仲間の死を目の当たりにして激高した喉輪が《光の杖》から光線を放つが、黒い板状の渦に防がれる。
「面白い見世物の褒美に最後に殺してやるつもりだったが、仕方あるまい」
残念そうに話す冥府の王を見て、咄嗟に喉輪へと手を伸ばす。
その足下に《矢印の罠》を置いて強制離脱――。
ぐちゅり、と嫌な音が響き、喉輪の体がねじれ切れ、細切れになり、霧散した。
「なんと脆い。力の調整が上手くいかぬな。あまりにも強大すぎる力で制御できぬようだ」
倒した相手には目もくれず、四本ある腕の手を開いては閉じるを繰り返す冥府の王。
また……死んだ。
俺の目の前で……また、大切な人が……守るべき人が……死んだ。
別れの言葉もなく、人は死ぬ。……それはわかっていた。覚悟もしていた、はず。
母も姉も聖夜も同じだったから……。だから、心構えはあった……のに。
無残に転がる明の死体と、もう原形を何一つ留めていない喉輪だった肉片。
二人の死が聖夜や家族の死とつながり、異物が喉までこみ上げてくる。
心の葛藤、懺悔が悲鳴となり脳内で反響して狂いそうだ!
恐怖と困惑で頭がどうにかなりそうな発狂寸前の心を引き留めたのは……背後から抱きついてきた負華の温もりだった。
全身の震えが背中越しに伝わってくる。
振り返ると、俺の背後には負華、それと雪音と立挙がいた。
不安そうな……顔だな。彼女たちを見た瞬間、心のざわめきが静かになっていく。
まだ、終わっていない。
生き残りがいる。
守るべき人がまだ残っているんだ。
今にも精神が崩壊しそうな危うい表情を浮かべている彼女たち。俺も恐らく同じような顔をしているのだろう。
――奮い立て。
――今度こそ諦めるな。
――守れ、守れ、守り抜け。
既に大切な仲間を何人も失っている。だけど、まだ終わりじゃない。
後悔も絶望も今はいらない。守ることだけを考えろ!
バンッ、と自分の両頬を強く手で挟むように打ち、辛うじて正気を取り戻すと同時に気合いを入れる。
ここから起死回生の逆転劇……なんていらない。背後にいる彼女たちを守り逃がすことだけに注力しろ。
「ワダカミだったか。貴様に名誉ある仕事を与えよう。我の体が馴染むように相手をせい。できるだけ足掻け。求めるのはそれだけだ」
おあつらえ向きに俺へと照準を定めてくれた。
化け物となり力を手に入れた冥府の王にとって、俺たちの命なんてどうでもいいのだろう。ならば、この状況を活かすしかない。
「わかった。相手をさせてもらうよ。……みんなは距離を取って、逃げてくれ」
そう言って、体に回されていた負華の腕をほどこうとすると、力が増して離れてくれない。
「ダメです。あんなのと戦ったら死んじゃいますって! 一緒に逃げましょう!」
涙目で訴える負華の頭にそっと手を置く。
「そうしたいのは山々だけど、相手が許してくれそうにないからね」
持て余している力を確認したくてうずうずしている冥府の王。無視して逃げたらどうなるかなんて、考える必要すらない。
「要さん《応援》の力を。レベルを上げたので八分は持ちます」
背中にそっと触れる立挙から温かい力が流れ込んでくる。
全身の熱が上がったような感覚に加え、漲る力。これが《応援》の効果か。
身体能力、レベルが一気に上がった感覚。それが八分も続くのであれば上出来。
「ありがとう、立挙さん。なんとかやれそうだよ」
俺が一歩踏み出すと、隣に並ぶ人影が。
視線を向けるとそこにいるのは雪音だった。
「僕も戦うよ」
「ダメだ。負華たちと後方で控えておいてくれ」
「嫌だ。ヘルムを殺せずに、こいつまで殺せなかったら……聖夜に会わす顔がない!」
強い意志を宿した瞳で真っ直ぐ俺を見ている。
何を言ったところで曲がらないか。説得すれば考えを改めてくれるかもしれないが時間の猶予はない。痺れを切らした冥府の王に殺されるだけだ。
「わかった。だけど、戦うのは俺がメインだ。それは守ってくれ」
苦渋の決断をして雪音と共に戦うことを選ぶ。
「うん、出しゃばったりはしないよ」
その言葉を信じるしかない。
「雪音さんが戦うなら私も!」
続いて隣に並ぼうとする立挙を手で制したのは雪音だった。
その行動に立挙は納得がいかないのか、今まで一度も雪音には向けたことのない憎悪混じりの表情で睨みつけている。
「キミはバックアップとして一番大事なんだ。《応援》の効果時間が切れたときに、再びしてもらわないと困るから、さ」
雪音はこんな状況でも笑顔と優しい表情を作り、立挙の頭を撫でている。
そう言われたら引っ込むしかないようで、頬を赤らめた状態で負華の元まで下がっていく。
「じゃあ、行こうか要さん!」
「そうだな、雪音。待たせて悪かったな」
四本の腕を組んだ状態で睥睨している冥府の王に、上辺だけだが謝罪の言葉を届ける。
「その目に余る茶番劇がもう少し続くのであれば、この闘技場ごと消し飛ばすところであったぞ」
冥府の王は肉体と同時に辛抱強さも捨ててしまったようだ。
以前よりも寛大なように見える佇まいだが、その実は横暴さと傲慢さが増しただけの化け物か。
相手の実力は未知数。
おそらく……いや、余程のことがない限り勝つのは難しい。
だけど、それでも、挑まなければならない。光明がなければ自ら生み出すだけ。
覚悟は決まった。あとは前に進むのみ!
足の裏に《矢印の罠》を貼り付けて、地面を滑るように移動。
以前とは比べ物にならない速度が出ているので、一気に距離を縮められたが相手は地面から五メートル以上の宙に浮かんでいる。
このままではどう足掻いても攻撃が当たらない。
ならば、少しでも相手の注意を引くために、冥府の王の足下付近をぐるぐると走り続ける。
「そうか、我が浮いていると攻撃が当たらぬか。それはすまなかったな。では、まず、新たな死霊術と貴様の実力を試させてもらうとしよう」
四本腕の内、下の二本を地面に向けると地面から黒い霧が噴き出し、人の形へと凝縮した。
闇が晴れるとそこには長身に長髪で全身が真っ赤な女性が一人佇んでいる。
着ているワンピースも手袋もブーツも髪までもすべて赤で染められた女性。
俺は彼女を知っている。まさか、ここで再会するとは夢にも思っていなかった相手だ。
「再生の勇者……
見間違えるはずがない特徴的な外見。
どんな重傷を負っても瞬く間に回復する、脅威の再生力を誇る勇者。
彼女がいるということは、常に一緒にいるはずの彼も何処かに……。
警戒して辺りを観察するが再び黒い霧が出ることもなく、その姿は見当たらない。
「何を探しているのだ。……ああ、そうか。その片割れの神速の勇者か。あやつなら、そこで骸を晒しているその男に倒され死んだぞ」
骨の指が指す先にいたのは、肉片となった喉輪。
俺の知らないところで二人の戦いが繰り広げられていたのか。
大切なパートナーの死を知らされたというのに、鞘は声も出さず微動だにしない。
元々静かで大人しい人だったが、神速の勇者である刃紅牙(じんこうが)の顛末を知って取り乱さないわけがない。
「鞘、さん?」
声を掛けるが……反応はない。
「無駄だ。そいつはもう死んでおる。殺してから我の死霊術で操っている傀儡だ。この新たに得た力を試すには打って付けの新鮮な実験体があったのでな」
冥府の王の言葉を聞く度に心がざわつく。
あの骸骨の顎を打ち砕きたい衝動を抑え、大きく息を吐いた。
二人の勇者とは一度敵対し、一度助けてもらった恩はある。だけど、そこまで親密な間柄ではなかった。それでも、こんな外道にいいように利用されている姿を見て、黙っていられるほど達観していない。
「せめて、安らかに眠らせてあげないと」
「さあ、元勇者よ。目の前の男を殺せ」
命令に従い、ゆっくりと歩み寄る鞘。
彼女の加護は《再生》と《痛覚無効》という話だった。しかし、アンデッドとなった今、どちらも意味を成さない。
歩く速度が徐々に早足、疾走へと変化して、猛烈な勢いで俺へと向かってくる。
揺れる前髪の隙間から見えた目は虚ろで、光を宿していない。
本当に死んでいるのだな。
あと一歩で届く範囲まで迫る鞘だったが、直前でその体が真っ二つに裂ける。
歩幅から予想して既に仕込んでいた《矢印の罠》を二つ踏み、股裂き罠にかかった。
正面から向かってくるのがわかっている状況なんて、どうとでもなる。
「即席は思考力が弱いか。加護を失ったアンデッドに価値はなし。この程度の罠も見抜けぬとは嘆かわしい」
彼女があっさりと倒されたことは気にも留めてないのか、冥府の王が腕組みをしながら上の腕で顎を撫でている。
その考察は間違っているぞ。彼女には意思があった。その証拠に《矢印の罠》をあえて同時に踏み、真っ二つになる瞬間……微笑んでいた。
「新たな死者作成の実験は後にするとしよう。死体は山のようにあるのでな。更に今から新鮮で優秀な死体も増えることになる」
冥府の王はそう言って俺や仲間に冷たい視線を注ぐ。
ヤツの目には俺たちの姿がモルモットにでも見えているのか。
ゆっくりと地上に降り立つ冥府の王。
降り立つ、か。両足がなく常に浮かんだ状態なので、正しい表現ではないが。
今も地面から十センチほど浮かんだ状態だが、この高さなら拳が届く。
「さて、ここからは我の準備運動に付き合ってもらうとしようか」
「そのままポックリ逝かないといいけどな」
圧倒的な実力差を肌で感じながらも虚勢は張らせてもらう。
せめて心だけは……負けを認めるわけにはいかない!
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