第113話 現実の夢

 目が冷めると久々に自室の天井が見えた。


「三日ぶりの我が家、か」


 上半身を起こして室内を見回す。飾り気のない最低限の家具がある、シンプルながらも住みやすさにこだわった部屋。

 夢だとわかっているのに安心感のある間取りと空気感。

 このまま寝転がったまま、だらだらと一日を過ごすのも悪くないが、今日ばかりはそうもいかない。

 ベッドから出ていつものルーティンをこなす。

 歯を磨いて顔を洗って、台所に立って朝食と……二人分の紅茶を入れる。

 しばらくするとリビングに繋がる扉が開いて姉と母が現れた。


「おっはよー」

「おやほう、ございますー」


 少しテンションが高めの姉と寝ぼけ眼の母。

 いつもの席に座り、テーブルに置かれた紅茶をすする。

 この世界では二日家に帰ってない筈だけど、その点について指摘されることはない。そういう風に振る舞うようにセッティングされているから。

 まじまじと家族を見るが、昔と全く変わらない姿だ。あの日、強盗に殺された直前と何も変わらない、十年前の若さを保ったままの二人。

 俺だけが年を重ね、二人は一生このまま。幻覚を見ていた頃よりも鮮明で実際に触れることも可能な家族。

 記憶と寸分違わない二人を見ていると、ポーから聞いた説明を思い出した。


「話す内容はこっちでいじることも可能だけど、ワダカミっちの記憶から抜き出した、自分の想像通りの反応をする疑似の性格……ええと、そっちの世界で言うところの受け答え可能な高性能AIが組み込まれている感じ、みたいな?」


 とのことだった。サキュバスの世界では昔からやっている当たり前の行為なので、今まで深く考えたことがなかったそうだ。

 つまり、俺の理想を具現化した偽の家族像、ってことだ。

 それでもこの空間が心地よいし、ずっとこのままでもいいと……思っていた。だけど。


「姉さん、母さん。今までありがとう。ずっと甘えて束縛してごめんな」


 二人の目を見て謝ると、一瞬驚いた顔をしたが直ぐさま穏やかに微笑む。


「なんか不思議な気持ちよ。私たちが作られた存在なのはわかっているけど、家族として弟と一緒にすごすのは楽しかった。きっと、本物のお姉さんもそう思うはずよ」

「うんうん、そうね。私たちは偽の家族だけど、本物の家族に負けないぐらいの愛情があったわ」


 清々しい表情で優しく語る姉と、大きく頷いて目に涙を浮かべる母……の虚像だとわかっているのに、わかっているのに、なんで涙がこぼれ落ちるんだ。


「ありがとう、ごめんなさい。あの時、二人を救えなくて、守れなくて」


 ずっと、すっと、墓前でも言えなかった後悔を告白した。

 それを口にすると二人が死んだことを受け入れてしまいそうで怖かった。自分の情けなさを、弱さを、認めたくなかった。

 胸にため込んでいた未練を吐き出すことで少しだけ体が軽くなった気がする。


「誰も弟を責めたりなんてしてないよ。本物のお姉さんもね」

「そうよ。息子だけでも生きてくれて本当に喜んでいるはずよ」


 机に身を乗り出した二人は両方からぎゅっと俺を抱きしめてくれた。

 この感触も温もりも嘘だとわかっている、でも、それでも新たな一歩を踏み出すのに、この行為は必要だったんだ。


「ありがとう、姉さん、母さん。もう、会うことはないけど本当に幸せだったよ」


 二人からすっと離れると席から立ち、迷いを吹っ切った笑顔で二人に語りかける。

 そんな俺を見て二人は心から安心したのか、満面の笑みを浮かべた。


「さようなら。……いってきます!」


 大声で別れの言葉を口にすると、二人はボロボロと大粒の涙を流しながらこう言ってくれた。


「「いってらっしゃい!」」






 夢から目が冷めると巨大で殺風景な空間にいた。

 無数のベッドが並べられ、脇には椅子が設置されている。まるで野戦病院みたいな、という感想は以前にも抱いたな。

 望んだ夢を見させてもらうために、俺たちは自らの足でこの場所に移動してベッドに横たわった。

 この場所は夢魔に適した場所らしく、簡素な作りに見えるベッドや室内の壁や天井や床の素材にも、夢魔を促進させる魔力が含まれているらしい。

 なので、ここで夢を見させるのが最適で確実という話だった。

 寝転んだまま視線を隣に向けると、涙で顔面がぐしゃぐしゃになっているポーと目が合う。

 俺のために泣いてくれているのか。


「ありがとうございました。これで吹っ切れそうです」

「ごれべぇ、ぼんどうびぃ、いいの?」


 涙声で話すから聞き取りにくいが、言いたいこともその優しさも充分すぎるほどに伝わってきた。


「はい、これでいいんです。我が儘に付き合ってくれて、ありがとう」

「ずずずっ。エロい夢が見たいときも遠慮なく言ってね」


 鼻をすすりながら感謝と余韻が台無しになるようなことを口にするポーに苦笑してしまう。

 その隣に立って見守っていたルドロンの後ろ姿が見える。

 涙を拭うには一旦目隠しを外す必要がある。この場ですると俺が石化してしまう恐れがあるので、見えないように背を向けたのか。それか、単純に泣き顔を見られるのが恥ずかしかっただけかも。


「無理を言ってすみませんでした」

「いいのいいの。ちゃんとお別れは口にしないとね」


 少しも嫌な素振りは見せずに笑顔で対応してくれるポー。そして、隣でびしょびしょの目隠しを装着したまま頷くルドロン。

 この二人が俺の担当で本当に良かった。心からそう思う。

 騙されてこの世界に連れてこられたのを知ったときは、魔王国の人々に対して怒りが湧いたが、全員が異世界人を憎み陥れようとしているわけじゃない。

 こうやって親身になって俺たちを案じてくれる人たちもいる。それを決して忘れるな。

 憎しみは周りを見えなくしてしまう。異世界人だから、魔物だから、魔族だから、と主語を大きくして一括りにしない。それを肝に銘じておこう。

 大きく息を吐き、ひとまず家族との思い出は心の奥にしまい、現状を確認する。


「みんなはまだ……」


 上半身を起こして周囲を確認する。

 俺の右隣のベッドには負華が眠っていて、左隣には雪音。そして頭の方向には明、足下には喉輪。雪音の左隣に立挙。

 かなり離れた場所に残りの守護者が寝ている。

 俺から提案した、もう一度夢の現実世界に戻らせて欲しい、という願いをサキュバスたちは快く叶えてくれた。

 仲間と二人の守護者に俺の提案を教えると、全員が夢を希望して今に至る。

 夢の内容は自由に選んでよかったので、俺は家族に最後の挨拶をすることを望んだ。他の人たちが何を望み、今どんな夢を見ているのかは知らない。

 各自の宝玉を使えば夢を投影できるので覗き見は可能らしいが、そんな最低な行いをする気はない。


「うへっ、うへっ、ダメですよぉ。要さん、いきなりそんな大胆なぁ。でもぉ、どうしてもって言うならぁ」


 隣で寝言を呟く負華の声を聞いて眉毛がピクリと動く。

 横目で確認すると、だらしない顔で涎を垂れ流している。


「まずこの婚姻届と契約書にサインを。私の初めてを奪うなら、もちろんわかってますよね。専業主婦希望で、家事が苦手だから得意な要さんに全部任せて。あとお小遣いはいらないけど、毎月の課金だけは許可してもらって。あと目一杯甘やかしてください! そんな感じでずっと、私を養ってくれますよね! 一生寄生……じゃなくて、一緒に暮らし」


 どうやら、願望を丸出しで最低な駆け引きをしている夢を見ているようだ。負華を担当して夢を操っている、紫髪ポニーテールが印象的なサキュバスの頬が引きつっている。


「どんなヤバい性癖も顔色一つ変えず対応して吸収して、自分の知識にしてきた海綿体のスポンが動揺するなんて……」


 隣の同僚を見て驚くポー。

 海綿体のスポンか。嫌な二つ名だけど、このネーミングはサキュバスとしては誉れなのかもしれない。

 正直、今すぐにでも負華に対する夢の供給をストップして欲しいが……ここは我慢するか。夢の中ぐらい幸せな妄想を繰り広げてくれ。

 すっと目を逸らして左に視線を向けると、雪音の穏やかな寝顔があった。

 寝言は聞こえてこないが心から嬉しそうに笑っている。きっと聖夜と一緒に過ごしているのだろう。

 明は無表情でぐっすり眠っている。実は明の夢にかなり興味があるけど、もし覗き見したのがバレたら口を利いてくれなくなりそうなので自重しよう。

 喉輪はというと、何か小声でずっと言っている。小さすぎて聞こえないので、ベッドから下りて起こさないように近くまで忍び寄る。


「ほほう、作者がお亡くなりになってしまった未完結な漫画の続きでござるか。どれどれ、まさに拙者が望んでいた通りの展開でござるな。強敵だった相手が土壇場で裏切り、主人公側につく。くうううぅ。王道であるが故に最高ですな」


 かなり特殊な内容の夢を見ているのか。

 喉輪を担当しているサキュバスは見るからに大人しそうだ。かなり小柄でおかっぱ頭。切りそろえた前髪で目が見えない。

 そんな彼女が俺の視線に気づくと、ちらっとこっちを見てから顔を伏せる。

 見た目通り大人しくて人見知りをするタイプのようだ。


「あの、えと、喉輪さんは未完結の漫画やアニメが観られる、特殊なお店に行きたいというので……」


 ぼそっと小声で夢の内容を教えてくれた。

 夢の内容は出来る限り叶えてくれるとのことだったが、喉輪らしい内容と言える。


「でも、続きの内容なんて存在しないので、喉輪さんが望んだ通りの展開になるのは当たり前なんですけどね……。ふふふっ、可愛らしい」


 おかっぱサキュバスが口元を押さえて妖艶に笑う横顔を見て、背筋に冷や汗が流れる。


「あんた、ほんとにちょっと変わっていてダメな感じの男好きよね」

「普通の男は面白くないもん……。イケメンなのに子供っぽいところが可愛いよねぇ……ふふっ」


 この人も少し変わった趣味をお持ちのようなので、喉輪とは仲良くやれそうだ。

 いち早く目覚めた俺は仲間が起きるまで、もう一度ベッドに寝転んで目を閉じた。

 このまま眠っても二度とあのリアルな幻像である家族には会えないが……それでいい。それでいいんだ。

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